2017年08月17日

走行距離10万キロ



2017年8月14日、マイカーの走行距離10万キロになりました。

車体購入から約8年半。矢野町に関わって6年5か月。ほとんどが自宅(太子町)と矢野町の往復で積み上げた距離といえます。

総代会など夜に会議があって1日に2往復したことも幾度となく。地域交通の検討委員会や「おてらdeらいぶ」の実行委員会、キャッサバ生産組合の立上げ会議は深夜まで及び、帰るときにはフロントガラスが凍っていたことも。

ここまでには、事故に遭ったり、故障したり、当て逃げされたり。ほんとに手負いでもよく走ってくれます。マイカーさん、これからもまだまだよろしくお願いしますね!

こ  


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2017年06月29日

当て逃げされた気分の中で思う

月曜日(6/26)に勤務中、私用車で西播磨地域を回っていたら、どうもどこかの駐車場で
当て逃げ(擦り逃げ?)されたらしい。帰宅して気付きました。

左側のフロント部分が擦られただけでなく、ボディも若干ひしゃがってフロントとの接合が微妙にズレてるし、上目ライトは傷ついて少し落ち込んでいる。

フロントだけでもきっちり色を塗り直すと7万円かかるらしい。「そんな余裕ないよー」ということで、磨いてもらうだけにしました。やっぱり深い傷の部分はどうしようもなく、色がはげてるし。気分最悪。











でも、当事者は、社会人として、自律した人間として、誠実で責任ある行動をとってほしいものです。最近、何かで「教育の本分は自律した人間を育てることにある」と読みました。矢野町の地域づくりも以前作成した「ふるさと自立計画」のなかで、「自律した地域の実現を目指し」とうたいます。

「個人の自律」「集団の自律」「住民の自律(=市民)」。「自律」という言葉には、一般論として批判的な見方もあるようですが、ぼくはやっぱり民主主義社会において、あるいはあらためて民主主義を考える上でも重要なキーワードだと思います。特に今の政権を見ていてそう思います。

当て逃げされた気分の中で・・・



  


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2017年06月12日

『鵤庄引付』と新たな<契約>発見

先月末、荘園つながりで太子町の鵤荘を歩いたこと報告しました。
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。



『鵤庄引付』冒頭部分


『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。

今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。






さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。

「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました()。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。

歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。

「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」


「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。

しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。

法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で

「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
  
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
 
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」

ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。

ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:23Comments(0)推進員のつぶやき矢野歴史考

2017年01月05日

年賀状-新年のご挨拶



あけましておめでとうございます。
今日は、今年最初の「いきいき百歳体操」「お買物同行サービス」でした。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年の年賀状の写真は、感状山から矢野町を撮った写真です。三濃山が相生市全体なら感状山は矢野町がすぐ近くに俯瞰できます。それほど高くない山が点在し、その下には堆積された平野が見てとれます。町の真ん中を太古からの自然・矢野川が流れ、それにある所でクロスして現代の人工物・テクノラインが走っています。

感状山城(跡)という歴史的に重要な遺産(赤松円心の三男赤松則祐が築き、新田義貞の追討から足利尊氏を守り、その功績からその名が付いた)が立つ山上から、矢野町を眺める。専門家によるとこの位置は、真東に権現山(神山)がそびえ、磐座神社があり、政治的にも権威を示す上でも重要な位置だったようです。

タイトルの「矢野・トポグラフィックス」は、1970年代にアメリカで起こった風景写真の新たな潮流「ニュー・トポグラフィックス」を意識して付けています。「トポグラフィックス」は、ギリシャ語の「場」を意味するトポスと画法などを意味するグラフィックスの造語です。「ニュー・トポグラフィックス」では、これまでのような自然美をたたえる風景写真ではなく、その「場」の中に存立する新興工業団地や工業建築物など人工物を客観的に距離感をもって捉えています。新たな写真表現として文明や共同体に潜む時代(時間)や場所(空間)の様相を指摘し、現代のあり方を問います。

感状山という重要な位置にある山に立ち、矢野町の今後のあり方や地域づくりを想う。観念ではなく事象を直観し人間の経験からその意味を捉える「現象学」という哲学のスタンスによって。

(なんか新年から堅苦しくなってしまった)


  


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2016年06月02日

山陽道を歩こう(その2)の2

4/10に行われた「山陽道を歩こう(その2)」太子町鵤から姫路のつづきです。
昼休憩の後、青山の稲岡神社から出発しました。



船板を使った珍しい塀


青山の道標 (正)円光大師二十五霊場美作国道 (1855)


夢前川を渡ります。このときは桜も終わりかけ、若者が最後の花見をしていました


夢前川を渡って龍野藩から姫路藩へ。金比羅灯籠(1827)。一里塚跡もあります


下手野の道標(1767)   円光大師二十五霊場   右 みまさか 左 たつの道


高岳神社丁石(1870)    北在 五丁


少し離れた所にも式内高岳神社丁石が(昭和7年)


題目石 (正)南無妙法連華経日蓮大菩薩 (1681)


表忠碑の道標 (1879) 


姫路にある「龍野町」の古い建物の前を通って


車橋の碑 昔は川だった


やっと船場本徳寺(明治天皇行在所)までたどり着きました


前出の表忠碑は現在、本徳寺の中にあります


また、第1次世界大戦?時の捕虜が故郷を懐かしんで作った石造のお城も


西二階町を歩いて大手前通りまで来ました。もうくたくたです(疲)


相生から姫路まで2日に分けて、道標や石碑などを辿りながら大名行列や江戸時代の人が歩いた山陽道(西国街道)を歩くイベント、ようやく終了です。昔の人は健脚だったのね。西播磨でツーデーマーチできないかな?


  


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2016年05月30日

山陽道を歩こう(その2)の1

相生から姫路まで、江戸時代の山陽道を歩こう。4/10に前回の続きで太子町の鵤宿から姫路の大手前通りまで約15kmを歩きました。今回は姫路のケーブルテレビが取材に来られていましたよ。



太子町の街道沿いは昔ながらの造りがほとんど無くなっています。その中で貴重です


少し寄道して太田小学校の脇にある、聖徳太子が檀特山から投げたという鵤荘の牓示石


この辺りで一番古い太田の地蔵


黒岡神社の鳥居


廻国供養塔・額田部連伊勢塚


原村庄屋屋敷


ここにも明治天皇小休所が(太子町山田)


道標発見 右 おか山  左 ひめじ


青山へ抜ける山田峠。舗装道からわざと脇の山道へ 当時の街道気分


少し寄り道。黒田官兵衛と赤松軍の決戦の場(青山)


宗全寺跡・薬師堂





大きな鳥居をくぐって


稲岡神社でお昼休憩です


愛嬌のある狛犬


今は兵庫県の歴史博物館にあるここの絵馬が先日の伊勢志摩サミットに展示されたそうです

つづく・・・


  


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2016年05月26日

山陽道を歩こう(その1)

少し前のことになりますが、太子町歴史資料館の主催で現地見学会「山陽道を歩こう」と題して、江戸時代の山陽道を相生から姫路まで2回に分けて歩きました。この山陽道は都と九州を結び多くの諸大名が行き来した街道です。

3/27に行われた1回目は、相生から歴史資料館のある太子町鵤まで歩きました。約15km。最後の方、疲れました。




相生駅から出発です


駅を南に少し下って、陸本町に道標があります


(正面)「是より右さいこくみち」  (左)「是より左あ加本城下みち」





実はこのこんもりとしたところが古墳「赤坂古墳」


今は新興住宅街のここが街道だったなんて。昔はただの山だったんですね


那波野にある神戸若宮神社(子安神社)。ここは赤穂藩ではなく龍野藩の揖保郡


若宮神社から見える景色


神社を出て少し北へ行くと田んぼの中にある塚森古墳





河本光先生と書かれた石碑


たつの市揖保川町に入って、片島宿の本陣跡


本陣跡のすぐ斜め向かいにある了福寺。この門構えは実は本陣のもの


石仏石碑(圓尾幸蔵)


昼食は街道を離れ神戸神社でとりました。石柱の左には「なくはず宮」と書かれています


街道に戻り少し歩くと正條宿。ここも本陣跡で明治天皇が泊られました


郵便局のところにある正條の道標。正面に「右ひ免ぢかうべ」「左た津の山さき」


揖保川。昔は渡しがあったのだけど、今は橋を渡ります。かなり古い橋げた


揖保川を渡った辺りから疲れてきました。揖保村の道路元標。埋まっています


京都の大徳寺(臨済宗)を開山した大燈国師生誕の地 宝林寺


江戸時代、播磨で数少ない一揆を主導した弥右衛門を顕彰した石碑


林田川を渡って太子町へ。下阿曽にある茶屋垣内の地蔵


阿宗神社丁石。 (正)式内 阿宗神社 (右)従是北八丁廣山村鎮座

このあと本日終了となる鵤宿に入りますが、疲れていたのか写真を撮っていません
街道沿いには、斑鳩寺常夜灯や北向き地蔵、斑鳩村道路元標などがあります
かつて本陣もありました

2回目は4/10に太子町鵤から姫路の大手前通りまで歩きました。


  
タグ :山陽道


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2016年04月27日

鰯浜遊歩道から万葉の岬へ

今日は1日雨ですが、先週の水曜日(4/20)はすごくお天気がよく、いきいきネットのメンバーで相生市の海側、鰯浜遊歩道から金ヶ崎万葉の岬まで歩きました。
すごく眺めも心地もよく、ゆっくりと約1時間の散策コースです。



鰯浜、ここから出発です


まな板岩だっけ? 何かを燃やしたのか真っ黒け


海岸線を歩きます


カキの養殖の向こうにポコっとおわん島


山の緑がきれいです


珍しい植物だそう。名前を聞いたのだけど忘れてしまった


正面に見えるは君島


では、ここから万葉の岬まで登っていいきます


「魚つき保安林」って?


こちらを参照


うわっきれい


左に君島


右におわん島











もうあと少し


到着です


「万葉の岬」の説明


いい眺め。海と空が同じ色


黒椿もまだ見れました


島がつながっている


上からの君島


普段は矢野で三濃山や感状山、山側の散策が多いけど、この日は海側のウォーキングを楽しみました。相生市は山から海まで多様さがコンパクトにつまっていて気軽に自然や歴史ツーリングが楽しめる魅力あるまちだと思いました。

こ  


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2016年04月19日

感状山ハイクとお姫様伝説

これも先月のこと。
3/28に相生いきいきネットのメンバーと感状山に登りました。感状山は2回目です。瓜生の八柱神社の脇から「バクの道」を通って登りました。



瓜生の八柱神社


この頃は、境内の桜はまだ蕾でしたね








つつじの紫が目に留まります





木のトンネル(お気に入り)








物見岩まで来ました




矢野の集落と山桜のコラボ この時しか見れないね


さて、今回、登山の目的は、感状山城落城の時のお姫様伝説をたどること。

秀吉が中国を攻めた時(1577)の城主は赤松則房。則房には二人の姫がいた。戦の負けを悟った姉姫は日ごろから可愛がっていた金色の羽をした鶏を抱いて、城内の井戸に身を投じて死んだという。それから、毎年正月に感状山の井戸付近から鶏の鳴き声が村人に聞こえたという。

ということで、その井戸を探しました。一つは大手門付近にあるようですが、ちょっと行けなさそうだったのでそこは断念し、もう一つの出曲輪の脇道を入ったところにあるらしい井戸を探しました。最初、行き過ぎてしまいましたが、安心してください、ちゃんとありました。





果たしてここに身を投げたのでしょうか。それとももう一つの井戸か・・・



帰りは階段から羅漢さんに降りました





では、妹姫はどうなったのか。妹姫は落城寸前に城を逃れ、麓の森集落の藤堂家で大切に育てられ、心のやさしいお姫様として一生を送られたそう。姫の死後、藤堂家の女性は美人ばかりが生まれ、これは姫の感謝が天に通じたためと伝えられています。

ということで、森集落に藤堂という小字があって、そこにお屋敷の跡らしい石垣があるというので行ってみました。



なるほど石垣が。地の人が言うには棚田ではなさそう


ここにお屋敷があって、妹姫はここで過ごしたのか。想像が膨らみます


側に「感状 藤堂 山城跡」という石碑がありました
裏に郷土史家の小林楓村氏の名前がありました

こ  
タグ :感状山伝説


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2016年04月15日

近畿自然歩道-小野豆から瓜生大池へ2

上郡の小野豆から瓜生大池へ抜ける近畿自然歩道ウォーキングの続きです。
小河から瓜生へ山を越えます。



小河のメイン道路を少し北に行って、脇に入ります


瓜生の八柱神社まで1.6kmだから大池までは1.3kmぐらいでしょうか


お花に見送られて登っていきます





階段が付いていますが、かなり急で、シンドイ




峠のお地蔵さんにごあいさつ





山水の流れが林道に沿って変わり、道が荒れています


階段も


もうすぐで大池に出ます


池の水は澄んでいてきれいです


このときは梅ですね


大池の下までたどり来ました。お疲れ様でした


後日談
次の日、お尻の上あたりが痛くて。小野豆から小河の下り、ずんずん行き過ぎて、思ったより腰に負担が掛かっていたのね。


  


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2016年04月15日

近畿自然歩道-小野豆から瓜生大池へ1

最近、何度か林道や旧街道を歩く機会があって、けっこう楽しいです。

少し前になりますが、3/16、矢野にいて前から一度歩いてみたかった瓜生大池から小河を通ってお隣上郡の小野豆へ抜ける近畿自然歩道を歩きました。今回は、小河の自治会長さんに車で送ってもらって、小野豆から瓜生へ抜けました。4キロちょっとのコースです。

小野豆は平家の落人伝説で有名です。姫上線から車でかなり山奥へ登っていきます。こんなところに集落が・・・すごい



(画像をクリックすると大きくなります)



せっかく小野豆に来たのだから平家が隠れていたという洞窟を観ておきましょう。





ジャンジャン穴というそうです。その云われは下記を



(画像をクリックすると大きくなります)





公民館の向かいの山道を入っていきます


小野豆集落


小野豆はすでに高い位置にあるので、こちらから矢野への方が楽かな




少し行ったところに須賀神社がありました


まずは小河の宇麻志神社を目指します





道沿いにいろんな石碑や地蔵さんがあります





よく道が手入れされており歩きやすいです




幹がねじれた奇妙な木を発見





下りです。どんどん行きましょう


宇麻志神社まで0.6km








小河の村が見えてきました


宇麻志神社を後にします


つづく

こ  


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2016年03月22日

「犬塚」周辺のゴミの状況確認

明日23日、「犬塚」周辺の清掃活動を行うのにあたり、18日の三濃山の帰りにゴミの状況を確認してきました。
一時よりゴミが少なくなったとはいえ、1年経つとやはりテクノ線ののり面には生活ゴミなどが廃棄してありました。みなさま、明日の清掃活動よろしくお願いします。






















「犬塚」下の公園は枯れ草がいっぱい。これも刈らないと


  


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2016年02月02日

とんどの立て方(瓜生)

1月に各集落でとんどが行われました。
先日、瓜生の方が瓜生のとんどの立て方を動画に撮られていて、それを切り取った写真をいただきましたのでここで紹介します。



7本竹を束ねて上部を縛ります


縛ったところから縄を垂らし引っ張ります


竹の下部を支点に縄を引っ張っておこします


がんばれ


やったー。置き上がりました


7本の竹の足を広げて整えます

こ  
タグ :とんど


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2016年01月08日

今昔物語「三濃山のアカガシ」-相生市連合自治会広報誌より

年2回、相生市連合自治会の広報誌が相生市の全戸に向けて発行されています。その中に市内地域の「今」と「昔」を語る「今昔物語」というシリーズ記事があります。

今回、新年号で矢野町から書かせていただく機会がありました。それで、矢野町からの第1弾として多くの方がその復活に携わった三濃山の頂上に立つアカガシ(赤樫)について書かせていただきました。

相生市内の方のみならず多くの方に知っていただきたいのでその記事をアップさせていただきます。どうぞご覧ください。



(画像をクリックすると大きくなります)




なお、アカガシのノートにつづられた多くの思いが消えてしまわないように、現在デジタル化しようとしています。  


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2016年01月05日

年賀状ーご挨拶



新年明けましておめでとうございます

今日、仕事始めです

この3月で、ぼくが矢野町に自律した地域づくりのサポーター役(コミュニティ推進員、アドバイザー、支援員)で関わって丸5年になります。あらためて、もうそんなになるんだぁて思いとちょっと長いなぁって気もします。

年末に連合自治会の忘年会に参加させていただきました。各単位自治会の会長さんたちと話していて、14集落ある中で当初の会長さんが残っておられる集落が3集落だけで、ほとんどの集落が代われているのに気付きました。会長さんたちよりも長い…

たぶんまちづくり推進委員会の事務補助としての支援員は、この辺りで一区切りとする時期に来ているのかなと思ったりもします。ただ、いきいき百歳体操を始めとするコミュニティ福祉事業の運営の事もありますし、矢野町と縁が切れるわけでもありません。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

こ  
タグ :年賀状


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2015年12月24日

朝日新聞に「矢野荘」の記事

12月22日、朝日新聞の地域面(はりま)にある「はりま歴史探訪」というシリーズで「矢野荘」が取り上げられていました。

先日、世界記憶遺産に登録された「東寺百合文書」に触れ、その中に書かれている矢野荘の百姓の行動が紹介してあります。矢野町や地域のみなさんにとって私が最も着目するところでもあります。よくぞ取り上げてくださいました。若狭野町下土井の大避神社で行われた十三日講という寄り合いについても書かれています。

先月あった馬田綾子先生の記念講演にも触れ、先生の「荘園の人々の生活の息吹を文書から感じることができる」というコメントが載せられています。そして、その当時政所のあったあたり(下土井)で生まれ育ったという元相生市長の藤田氏は「昔の人々の暮らしぶりに改めて関心がわいてきた」と話されています。

そう、地域のみなさんには大いに関心を持っていただけたらなと思います。地域の自律と地域自治がいっぱいつまった矢野荘に。そして、現代へと繋げ



(画像をクリックすると大きくなります)



  


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2015年11月09日

祝 世界記憶遺産登録の横断幕

先日、造船に目をつけ今日の相生の礎を築いた「唐端清太郎と相生の発展」という展示を観に市立図書館に行った折、「東寺百合文書」が世界記憶遺産に登録されたことを祝う横断幕が歴史民俗資料館に掲示されていました。

11/14(土)〜12/6(日)まで図書館で「東寺と矢野荘のかかわり -東寺百合文書に見る矢野荘ー」と題した写真パネル等の展示があります。また、11月21日(土)には馬田綾子先生(梅花女子大学名誉教授)の講演会「東寺百合文書から見る矢野荘のくらし」が13時半からあります。今から楽しみです。





こ  


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2015年10月26日

矢野寸景-ウォーキング下見より

気持ちのいい秋晴れが続きますね。

さて、NPO法人相生いきいきネットはメンバーで「相生ふるさと散歩」という会を作りまして、今度12月5日に「相生探訪ウォーキング 縁切りから縁結びまで-お地蔵さんに導かれてプチ人生再生コース」と題する物語性を持たせたコースで、矢野町の村なかを歩くウォーキングを企画しています。約10kmのコースです。詳細決まりましたらあらためてお知らせしますね。

そこで、先週21日に暑いぐらいの快晴のなか、下見のウォーキングをしてきました。いろんなものが目に留まり、やっぱりまち・むら歩きは楽しいです。そのときに撮った写真を少々。



二木の公民館から縁切り地蔵に向かって歩きます


稲刈りをした後の棚田風景


縁切り地蔵到着。なんでこんなにペットボトルのお茶があるの?おもしろいねぇ


二木集落のなかへ


村の道の上に八幡神社の鳥居があるよ





うゎー、つるし柿だ


上からみると急な階段です


愛嬌のある顔ですね


神社のなかに二宮金次郎さん。イケメンです


なんとバナナの木がありました


いい感じです


黄金色に輝く


いいですねー。味があります


ここで恵弁・恵聡が庵を結び読経したという京明(経明)地蔵


初代から相生市合併までの矢野村長碑


二木から菅谷へ きれくなった矢野小学校が見えます


菅谷の八幡神社


菅谷から瓜生を通り抜けて


森の磐座神社にある旧農村舞台。この佇まい、いいねー
森の公民館でお昼を取ります


大人しいけど人懐っこい芝くんでした


ため池の縁に、この鳥は? 帰りもまだいました


大きな里芋の葉。透過光できれいです


親指ぐらいの実。これなんだか分ります?  柿でした


中野の伊垣神社。ここの紅葉がきれいんですよね


榊のバス停。この雰囲気、いいですねー


縁結び地蔵に着きました。道路拡幅でここに降りてきたのです
悪縁を切ってこれだけ信心してきたから良縁が・・・(笑)

当日は何が何でもいいお天気であってくださいよ。多くの方の参加をお待ちしています

こ  


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2015年10月13日

『東寺百合文書』世界記憶遺産に登録される


(朝日新聞2015.10.10夕刊より抜粋)

既にご存知かと思いますが、首を長くして待っていた『東寺百合文書』がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。

『東寺百合文書』には中世の荘園、特にその時代の農民の生活・習俗を研究するには欠かせない矢野荘(現相生市)に関する第1級の資料が含まれています。本ブログの「矢野歴史講座」でもご先祖様の当時の住民自治として取り上げてきました。

長年、資料の整理や収集に携わって来られた上島有(うえじまたもつ)先生(摂南大名誉教授)は仰っています。「無限の可能性を秘めた知的情報資源。今後は資料から何を読み取ることができるか、研究者の能力が問われる」と。(朝日新聞2015.10.11)

今回の登録は相生市にとっては降って湧いたまたとないチャンス。これをまちおこしにつながるチャンスと捉え、今後の相生市のまちづくりに活かすことができるか、相生市の住民や行政の手腕が問われています。(あえて能力とはいわない)

そのためには、どういう相生市にしたいのか住民レベルでの活発な議論、そしてそれを救い上げる行政の仕組みを期待したいところです。


  


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2015年09月14日

「認知症サポーター養成講座」を受講しました



矢野町でコミュニティ福祉を手掛けるにあたり、9月8日、JA矢野支店の「ふれあい広場」で「認知症サポーター養成講座」(西播磨営農生活センター主催)があるというので受講しました。矢野町、若狭野町、他からも合わせて約40名の参加がありました。

相生市キャラバメイトによるフリップを使った認知症の講義と寸劇で認知症の理解を深め、対応の仕方を学びました。寸劇では、認知症のおばあさんに対する認知症を知らないお嫁さんと近所の人のまずい対応と彼らが養成講座で認知症を学んでからの良くなった対応を演じられました。認知症を理解し対応を少し学ぶだけで認知症の方の生きやすさがずい分変わります。

認知症は誰にでも起こり得る脳の病気で、85歳以上では4人に1人がその症状があるそうです。先日、厚生労働省が示した認知症国家戦略案の推計によると、団塊の世代が75歳以上になる2025年には65歳以上の5人に1人、約700万人が認知症だそうです。これはもう、右を向いても左を向いても認知症の方がいて、地域に認知症の方がいるのがあたりまえ、認知症の方と一緒に生活するのが一般的ということですよね。

そうなると、認知症サポーターは現在約630万人、H29年度末には800万人を目指すとありましたが、これはもう特定のサポーターがということでなく国民全員がある意味強制的にでも養成講座を受け、国民全員が認知症を理解しその対応を学ぶ必要があるのではないかと思いました。国民全員がサポーター、それが当たり前の社会へ。



相生市キャラバンメイトさんによる講義


寸劇








講座終了してオレンジリングをいただきました



認知症の人への対応 ガイドライン

〇基本姿勢〇

認知症の人への対応の心得〝3つの「ない」”
                       1 驚かせない
                       2 急がせない
                       3 自尊心を傷つけない



〇具体的な対応の7つのポイント〇

                   ・まずは見守る
                   ・余裕を持って対応する
                   ・声をかけるときは1人で
                   ・後ろから声をかけない
                   ・相手に目線を合わせてやさしい口調で
                   ・おだやかに、はっきりした話し方で
                   ・相手の言葉に耳を傾けてゆっくり対応する



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Posted by 矢野町交流広場 at 16:16Comments(0)推進員のつぶやきイベント等報告