2012年09月21日
◆第3回ふるさと自立計画寄合い
9/17、夜7時より3回目の「矢野町ふるさと自立計画」策定のための寄合いを行いました。今回は少しでもこの寄合いを地域の方に知っていただこうと場所を矢野公民館から才元の里ふるさと交流館に移し、中野の方にも声をかけさせていただきました。当日のその時間は、急に雨足が強くなり足もとの悪いなか、17名の方が集まってくださいました(うちオブザーバーとして県・市より3名)。
前回までは、地域づくりとは何か、から始まり、矢野町の現状把握ということで地域の抱える課題と矢野町の自慢できるお宝を出し合いました。そして、今回のテーマは、「“地域の将来像、目標”は??将来イメージを考えてみよう!」です。
今回は中野から4名の方が参加くださったので、中野地区と策定委員の2班に分かれて、前者は中野地区の後者は矢野町の将来イメージを各自出し合って、最終的に「中野は、将来こんなだったらいいなぁ」、「矢野町は、将来こんなだったらいいぁ」という形でポエム的にまとめました。ぼくは中野地区の班に入れていただきました。
それでは結果を紹介しましょう。中野地区の班から
私たちが暮らす中野地区は、
一.中野は、集落が一つの家族みたいに暮らせるところだったらいいな・・・
一.豊かな自然(川やたんぼ)と一緒に暮らせるところだったらいいな・・・
一.ホタルや魚、だれもが暮らせるところだったらいいな・・・
一.ふるさと交流館にいろんな人が集まって活き活きと暮らせるところだったらいいな・・・
となりました。中野地区の班は50歳以上の班となったのですが、これを見るとみなさんが子どもの頃実際に過ごされた中野の村風景のように思います。時代の流れとともに、あるいは流れに乗って、村のかたち・自然(生き物含め)の様子が変わってしまいました。あの頃は思わなかったけれど、便利さ・快適さと引き換えに無くしていったかけがえのない幸せなものを感じ取ったのかもしれません。
続いて、策定委員のみなさんの班では、
私たちが暮らす矢野町は、
・住人が自分たちの村を胸を張って大好きだといえるようなところだったらいいな・・・
・昔から受け継いできた歴史・文化・農業、今ここにあるものの良さを再認識できるようなところだったらいいな・・・
ほんとにそうですね。矢野町の地域づくりは、矢野町に人が来て住んでもらおうという矢野町への定住が最上位の目標にありますが、そのためには住んでいる人たちが「自分たちの町が大好き」と言えなければなりませんね。自分たちが好きでもない町に人はこないですから。
二つ目のまとめについていえば、太古から積み重ねられてきた由緒ある歴史、そして受け継がれてきた文化に農業-農業はアグリカルチャーといいますからこれも文化ですね、これらを地域の大事な資源・お宝と捉えている視点がここあります。それを再認識できる動きをしましょうということですね。
ということで、次回の第4回ふるさと自立計画策定のための寄合いは、これら矢野町あるいは中野の将来イメージを少しでも実現するための具体的な取り組みを上げていきます。ここからが自立計画策定の佳境に入っていきます。
中野地区班
策定委員班
発表(策定委員班)
こ
前回までは、地域づくりとは何か、から始まり、矢野町の現状把握ということで地域の抱える課題と矢野町の自慢できるお宝を出し合いました。そして、今回のテーマは、「“地域の将来像、目標”は??将来イメージを考えてみよう!」です。
今回は中野から4名の方が参加くださったので、中野地区と策定委員の2班に分かれて、前者は中野地区の後者は矢野町の将来イメージを各自出し合って、最終的に「中野は、将来こんなだったらいいなぁ」、「矢野町は、将来こんなだったらいいぁ」という形でポエム的にまとめました。ぼくは中野地区の班に入れていただきました。
それでは結果を紹介しましょう。中野地区の班から
私たちが暮らす中野地区は、
一.中野は、集落が一つの家族みたいに暮らせるところだったらいいな・・・
一.豊かな自然(川やたんぼ)と一緒に暮らせるところだったらいいな・・・
一.ホタルや魚、だれもが暮らせるところだったらいいな・・・
一.ふるさと交流館にいろんな人が集まって活き活きと暮らせるところだったらいいな・・・
となりました。中野地区の班は50歳以上の班となったのですが、これを見るとみなさんが子どもの頃実際に過ごされた中野の村風景のように思います。時代の流れとともに、あるいは流れに乗って、村のかたち・自然(生き物含め)の様子が変わってしまいました。あの頃は思わなかったけれど、便利さ・快適さと引き換えに無くしていったかけがえのない幸せなものを感じ取ったのかもしれません。
続いて、策定委員のみなさんの班では、
私たちが暮らす矢野町は、
・住人が自分たちの村を胸を張って大好きだといえるようなところだったらいいな・・・
・昔から受け継いできた歴史・文化・農業、今ここにあるものの良さを再認識できるようなところだったらいいな・・・
ほんとにそうですね。矢野町の地域づくりは、矢野町に人が来て住んでもらおうという矢野町への定住が最上位の目標にありますが、そのためには住んでいる人たちが「自分たちの町が大好き」と言えなければなりませんね。自分たちが好きでもない町に人はこないですから。
二つ目のまとめについていえば、太古から積み重ねられてきた由緒ある歴史、そして受け継がれてきた文化に農業-農業はアグリカルチャーといいますからこれも文化ですね、これらを地域の大事な資源・お宝と捉えている視点がここあります。それを再認識できる動きをしましょうということですね。
ということで、次回の第4回ふるさと自立計画策定のための寄合いは、これら矢野町あるいは中野の将来イメージを少しでも実現するための具体的な取り組みを上げていきます。ここからが自立計画策定の佳境に入っていきます。
中野地区班
策定委員班
発表(策定委員班)
こ
2012年08月23日
◆地域づくりの方向性2-高須論文から
昨日は、結論だけを先に述べたような感じだったので、今日は高須論文の中身を少し見ておきましょう。
その前に昨日のおさらいをすれば、高須によると、自然とは歴史の産物だということで、つまり自然とは長い年月をかけた人間の営為が加わったものということでした。これを二次的自然といいます(一次自然はまったく人の手が入ってない自然)。そうすれば、矢野の豊かな自然(山・川・土)は、山は里山だし、川は用水路としての川だし、土は田んぼだし、みんな二次的自然ということですね。
ここに、矢野(三濃山)は秦河勝以来相生の原点だということもあって、高須は矢野の自然(山・川・土)を「歴史的文化的遺産」と表現しました。そして、その歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢だ、というのが結論でした。
じゃ、ここで問題となるのが、自然は人間の営為が加わったものが自然ということでしたが、その営為とはどこまでのことをいうのかということです。
高須によれば、それは「自然という資源を生産手段に利用する本来の土地利用」としており、いいかえれば、「林業をはじめ農業や漁業は、自然を高度に利用する唯一の産業であり、単なる消費やモノを食いつぶす行為ではない」としています。
それにぼくから少しつけ加えるとすれば、なんぼ林業、農業、漁業であっても、その地にあった生産規模・限度というものがあります。マーケットがワールドワイドになって儲け至上主義に走ると、限度を超えると自然破壊につながっていきます。東南アジアの森林破壊を思い浮かべれば明らかです。この観点、つまりサスティナブルな観点からも「地産地消」がいわれています。
では、一方のゴルフ場開発について高須はどういっているでしょうか。高須は、「過度な経済効率の追求や競争で、自然を食いつぶし破壊に導く要素のある事業だ」、「先祖の営為の産物としての矢野の文化を、カネ余り現象のバブル的リゾート投機の餌食にさらしてはならない」といっています。まあ、バブルがはじけ不景気が延々と続く今日、今さらゴルフ場建設のような大規模な開発はないでしょうが。
最後に、高須は次のように論文を閉めています。
いま一度私たちは、三濃山系の森林と、その水のもたらした大地を遺産として評価しなくてはならない時にきている。土の生産力を軽視し、土地のバランスを大きく崩した土地利用(正しくは食いつぶし)が、あたかも町の活性化につながるかのような価値観は、ほんのひとときの幻想にすぎないことを知るだろう。
この高須のメッセージは20年経った今も通じるように思います。よく人は、「矢野は農振地域で、市街化調整区域やから家も立てられへんのや。だから矢野の人口が減っていったんや」といいます。確かにそういうこともあったでしょう。しかし、逆に考えれば、そういう規制があったからこそ、高須のいう歴史的文化的遺産(矢野の二次的自然)が残ってきたといえます。
実は、もう右肩上がりの経済的成長が望めない今日の社会において、この貴重な二次的自然が地域資源として今後価値をもってきます。この二次的自然をフルに生かして矢野は地域づくりを行っていくのが道ではないでしょうか。採算性を考えた事業を展開していく。これから矢野は、規制による恩恵を受けるのです。むしろ矢野は今後、都市部よりも可能性を秘めているんじゃないかと思うぐらいです。
「どうしてもこれをやるんだ」と、気概と強い信念をもって、前に立ちはだかる様々な障壁を打ち破り、ときにはかわし、矢野の誰もが幸せを感じる地域づくりを進めたいものです。
矢野の自然(山・川・土) 2012.8.23中野
かつて天皇への献上米もとれたそうですね
こ
その前に昨日のおさらいをすれば、高須によると、自然とは歴史の産物だということで、つまり自然とは長い年月をかけた人間の営為が加わったものということでした。これを二次的自然といいます(一次自然はまったく人の手が入ってない自然)。そうすれば、矢野の豊かな自然(山・川・土)は、山は里山だし、川は用水路としての川だし、土は田んぼだし、みんな二次的自然ということですね。
ここに、矢野(三濃山)は秦河勝以来相生の原点だということもあって、高須は矢野の自然(山・川・土)を「歴史的文化的遺産」と表現しました。そして、その歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢だ、というのが結論でした。
じゃ、ここで問題となるのが、自然は人間の営為が加わったものが自然ということでしたが、その営為とはどこまでのことをいうのかということです。
高須によれば、それは「自然という資源を生産手段に利用する本来の土地利用」としており、いいかえれば、「林業をはじめ農業や漁業は、自然を高度に利用する唯一の産業であり、単なる消費やモノを食いつぶす行為ではない」としています。
それにぼくから少しつけ加えるとすれば、なんぼ林業、農業、漁業であっても、その地にあった生産規模・限度というものがあります。マーケットがワールドワイドになって儲け至上主義に走ると、限度を超えると自然破壊につながっていきます。東南アジアの森林破壊を思い浮かべれば明らかです。この観点、つまりサスティナブルな観点からも「地産地消」がいわれています。
では、一方のゴルフ場開発について高須はどういっているでしょうか。高須は、「過度な経済効率の追求や競争で、自然を食いつぶし破壊に導く要素のある事業だ」、「先祖の営為の産物としての矢野の文化を、カネ余り現象のバブル的リゾート投機の餌食にさらしてはならない」といっています。まあ、バブルがはじけ不景気が延々と続く今日、今さらゴルフ場建設のような大規模な開発はないでしょうが。
最後に、高須は次のように論文を閉めています。
いま一度私たちは、三濃山系の森林と、その水のもたらした大地を遺産として評価しなくてはならない時にきている。土の生産力を軽視し、土地のバランスを大きく崩した土地利用(正しくは食いつぶし)が、あたかも町の活性化につながるかのような価値観は、ほんのひとときの幻想にすぎないことを知るだろう。
この高須のメッセージは20年経った今も通じるように思います。よく人は、「矢野は農振地域で、市街化調整区域やから家も立てられへんのや。だから矢野の人口が減っていったんや」といいます。確かにそういうこともあったでしょう。しかし、逆に考えれば、そういう規制があったからこそ、高須のいう歴史的文化的遺産(矢野の二次的自然)が残ってきたといえます。
実は、もう右肩上がりの経済的成長が望めない今日の社会において、この貴重な二次的自然が地域資源として今後価値をもってきます。この二次的自然をフルに生かして矢野は地域づくりを行っていくのが道ではないでしょうか。採算性を考えた事業を展開していく。これから矢野は、規制による恩恵を受けるのです。むしろ矢野は今後、都市部よりも可能性を秘めているんじゃないかと思うぐらいです。
「どうしてもこれをやるんだ」と、気概と強い信念をもって、前に立ちはだかる様々な障壁を打ち破り、ときにはかわし、矢野の誰もが幸せを感じる地域づくりを進めたいものです。
矢野の自然(山・川・土) 2012.8.23中野
かつて天皇への献上米もとれたそうですね
こ
2012年08月22日
◆地域づくりの方向性-高須論文から
昨日、三濃山求福教寺の境内の状態をレポートしましたが、その三濃山の今後の整備や矢野の地域づくりの方向性の参考になればと一つの論文を紹介したいと思います。
以前、ある方から故 高須剛氏の「文化としての山と川―三濃山を考える―」という論文のコピーをいただきました。それは、氏が創刊した詩的文芸誌『鴎』のNo.24(1991年)に掲載されていたものです。
高須剛氏は、相生出身の地の詩人で「相生ペンの会」初代事務局長、95年から相生市文化協会の会長を務められ、地域文化の向上に貢献されました。2010年に姫路市芸術文化賞を受賞されています。
その論文は、1991年という年代が示すように、まだバブルの余韻が残るバブル崩壊直後の三濃山にゴルフ場建設の計画が進められており、それを反対する論旨となっています。氏は、三濃山を「相生にとって歴史的文化的遺産の原点ともいうべき三濃山」と表現しています。また「相生の聖地」とさえいっています。
氏がいうには「自然とはただそこにあったものではなく、歴史の産物だという視点」が必要だということで、どういうことかというと、秦河勝以来(ぼくは恵弁・恵聡からと見ていますが)、矢野の山も川も土も(すなわち自然)すべて先祖の営為の産物であるということ、つまりそれは文化(→人間が関与するもの)であって、そういう意味で三濃山をはじめとする矢野の自然を歴史的文化遺産としています。
論文には、その「歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢であろう」としています。ここに矢野における地域づくりの方向性を見出すことができます。
ここで問題となるのは、「営為」(人間の営み・行為)という言葉ですが、どこまでの範囲をいうのでしょうか。ちょっと今日は時間がないのでまた明日。
三濃山を登る(テクノから)
こ
以前、ある方から故 高須剛氏の「文化としての山と川―三濃山を考える―」という論文のコピーをいただきました。それは、氏が創刊した詩的文芸誌『鴎』のNo.24(1991年)に掲載されていたものです。
高須剛氏は、相生出身の地の詩人で「相生ペンの会」初代事務局長、95年から相生市文化協会の会長を務められ、地域文化の向上に貢献されました。2010年に姫路市芸術文化賞を受賞されています。
その論文は、1991年という年代が示すように、まだバブルの余韻が残るバブル崩壊直後の三濃山にゴルフ場建設の計画が進められており、それを反対する論旨となっています。氏は、三濃山を「相生にとって歴史的文化的遺産の原点ともいうべき三濃山」と表現しています。また「相生の聖地」とさえいっています。
氏がいうには「自然とはただそこにあったものではなく、歴史の産物だという視点」が必要だということで、どういうことかというと、秦河勝以来(ぼくは恵弁・恵聡からと見ていますが)、矢野の山も川も土も(すなわち自然)すべて先祖の営為の産物であるということ、つまりそれは文化(→人間が関与するもの)であって、そういう意味で三濃山をはじめとする矢野の自然を歴史的文化遺産としています。
論文には、その「歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢であろう」としています。ここに矢野における地域づくりの方向性を見出すことができます。
ここで問題となるのは、「営為」(人間の営み・行為)という言葉ですが、どこまでの範囲をいうのでしょうか。ちょっと今日は時間がないのでまた明日。
三濃山を登る(テクノから)
こ
2012年08月20日
◆第2回ふるさと自立計画寄合い
8月18日(土)19時より、第2回目の「矢野町ふるさと自立計画」策定のための寄合いを矢野公民館で行いました。
今回は、策定委員他一般の方含め15名の参加で行いました(うち行政3名(県2名・市1名)はオブザーバー)。
前回は、アドバイザーの進行によりそれぞれが考える「まちづくりとは」について語り合いました。一般論としてのまちづくりから、具体に矢野におけるまちづくりまで、それぞれが自分たちの住む「矢野」を何とかしたいという思いを感じ取ることができました。
今回は、「地域が抱える問題点・課題」をみんなで上げてもらいました。複数いろいろ上がりましたが、それでも同じことを指摘する方も多く、それぞれが共通的に問題を認識していることがわかりました。いくつかあげてみますと、
村落構造
・規制があって家が建てられず人が住めない
・高齢者夫婦・独居老人世帯がますます増える
・未婚の中年男性とその親という世帯も多い
・少子高齢化で人口が減少。特に若い人の数が少ない・流出→後継者不足→集落として維持できない。つまるところ5年後10年後には限界集落から廃村という流れ(第2第3の三濃山村、黒蔵村)
・雇用が少ない
・矢野が好き・居りたいという若い人も多い。しかし雇用など生活面から出ていかざるおえないという現状
生活利便性
・食事をするところが少ない
・お店・コンビニがなく不便。ちょっとしたものでも買い物は車で隣のまち
・救急病院が近くにない
農業自然環境
・農業特にコメ作りの将来性→根本的な構造改革の必要性
・シカ・イノシシの獣害がひど過ぎる。作物を作る気になれない
・ヤマヒルが近年多い→シカが連れてくる
・里山が放置されっぱなし
その他
・小学校の跡地利用
結局は、つまるところ村落の維持という問題につながる。
だから何かしないとという思いで「ふるさと自立計画」を作る。
つづいて、矢野や私の集落にはこんないいところがあるというところや事を上げてもらいました。多彩なハイキングルートやホタルのビューポイントなど知らなかったことがいっぱいでてきました。あらためて矢野という地域は、歴史・自然・人という3つの地域資源(お宝)が豊富だということを認識しました。これをうまく使って事業化し人を呼びたい。
ここで少しお話を。
確かに今のままでは矢野は、働き口がなくてコンビニもなくて生活に不便。シカが出放題、山が放置。農業で生計が立たない、学校がない、こんなところに誰が住みたいか。だからこそ、それを少しでも改善することを事業としてやることが大事だと思います。それの出だしが「ふるさと自立計画」の策定です。事業としてやることによって、わずかでも雇用を生み出す。
こんな地道な地域の行動が、地域の元気、地域の活性化につながっていく。それを外部に発信していく。矢野の魅力を外部に伝える。受け入れの体制も整備もちゃんとやる。そうすれば矢野はまだまだやれる。そんな地域自身が頑張っている姿を外部の人に出ていかざるおえなかった若い人に見てもらう。若い人は必ず戻ってくる。なぜならふるさと矢野が好きなのだから。そう信念をもってやることが大事だと思います。
そう考えるようになったのも、先月、県の地域づくりの研修で淡路市の生田村へ行ったことがきっかけです。生田村は中山間地の棚田が美しい村です。全校生徒が10人ほどになって2年前に小学校が閉校となりました。現時点で限界集落に突入しているといっても過言ではありません。そこが蕎麦を栽培しその蕎麦粉から手打ちそばを県民交流広場事業で作った蕎麦処で出すようになりました。それがニュースで広まりお客さんが京阪神からも来るようになって、日に平均50人ほど来客があるそうです。これこそ事業化です。
今は、それを核に、行政と大学と協働して村の回遊ルートを整備したり水車を復活させたり、カフェサロンを作ったり、地域の活性化、まちづくりにまい進しています。そこで、僕は聞きました。そんなことして限界集落で村に後継者がいないのに意味あるんですか。そしたら中心になられている方は、こう答えられました。
今住んでいる者が頑張っている姿を見せたいんや。そうして事業化して少しでも働くところができて光が見えたら戻ってこれるやろ。みんなが好きで出ていったんと違う。そしたら、次にまた彼らががんばってくれる。
地域づくりには、最初からあきらめではなく、そういう強い信念が必要なんだなと思いました。何も始めなければ変りません。この地域づくりのバトンを渡していくんだなと感じました。
矢野もようやく動き出しました。
次回は、9/17(月祝)19時から中野の「才元の里ふるさと交流館」で行います。
どなたでもご参加ください。
こ
今回は、策定委員他一般の方含め15名の参加で行いました(うち行政3名(県2名・市1名)はオブザーバー)。
前回は、アドバイザーの進行によりそれぞれが考える「まちづくりとは」について語り合いました。一般論としてのまちづくりから、具体に矢野におけるまちづくりまで、それぞれが自分たちの住む「矢野」を何とかしたいという思いを感じ取ることができました。
今回は、「地域が抱える問題点・課題」をみんなで上げてもらいました。複数いろいろ上がりましたが、それでも同じことを指摘する方も多く、それぞれが共通的に問題を認識していることがわかりました。いくつかあげてみますと、
村落構造
・規制があって家が建てられず人が住めない
・高齢者夫婦・独居老人世帯がますます増える
・未婚の中年男性とその親という世帯も多い
・少子高齢化で人口が減少。特に若い人の数が少ない・流出→後継者不足→集落として維持できない。つまるところ5年後10年後には限界集落から廃村という流れ(第2第3の三濃山村、黒蔵村)
・雇用が少ない
・矢野が好き・居りたいという若い人も多い。しかし雇用など生活面から出ていかざるおえないという現状
生活利便性
・食事をするところが少ない
・お店・コンビニがなく不便。ちょっとしたものでも買い物は車で隣のまち
・救急病院が近くにない
農業自然環境
・農業特にコメ作りの将来性→根本的な構造改革の必要性
・シカ・イノシシの獣害がひど過ぎる。作物を作る気になれない
・ヤマヒルが近年多い→シカが連れてくる
・里山が放置されっぱなし
その他
・小学校の跡地利用
結局は、つまるところ村落の維持という問題につながる。
だから何かしないとという思いで「ふるさと自立計画」を作る。
つづいて、矢野や私の集落にはこんないいところがあるというところや事を上げてもらいました。多彩なハイキングルートやホタルのビューポイントなど知らなかったことがいっぱいでてきました。あらためて矢野という地域は、歴史・自然・人という3つの地域資源(お宝)が豊富だということを認識しました。これをうまく使って事業化し人を呼びたい。
ここで少しお話を。
確かに今のままでは矢野は、働き口がなくてコンビニもなくて生活に不便。シカが出放題、山が放置。農業で生計が立たない、学校がない、こんなところに誰が住みたいか。だからこそ、それを少しでも改善することを事業としてやることが大事だと思います。それの出だしが「ふるさと自立計画」の策定です。事業としてやることによって、わずかでも雇用を生み出す。
こんな地道な地域の行動が、地域の元気、地域の活性化につながっていく。それを外部に発信していく。矢野の魅力を外部に伝える。受け入れの体制も整備もちゃんとやる。そうすれば矢野はまだまだやれる。そんな地域自身が頑張っている姿を外部の人に出ていかざるおえなかった若い人に見てもらう。若い人は必ず戻ってくる。なぜならふるさと矢野が好きなのだから。そう信念をもってやることが大事だと思います。
そう考えるようになったのも、先月、県の地域づくりの研修で淡路市の生田村へ行ったことがきっかけです。生田村は中山間地の棚田が美しい村です。全校生徒が10人ほどになって2年前に小学校が閉校となりました。現時点で限界集落に突入しているといっても過言ではありません。そこが蕎麦を栽培しその蕎麦粉から手打ちそばを県民交流広場事業で作った蕎麦処で出すようになりました。それがニュースで広まりお客さんが京阪神からも来るようになって、日に平均50人ほど来客があるそうです。これこそ事業化です。
今は、それを核に、行政と大学と協働して村の回遊ルートを整備したり水車を復活させたり、カフェサロンを作ったり、地域の活性化、まちづくりにまい進しています。そこで、僕は聞きました。そんなことして限界集落で村に後継者がいないのに意味あるんですか。そしたら中心になられている方は、こう答えられました。
今住んでいる者が頑張っている姿を見せたいんや。そうして事業化して少しでも働くところができて光が見えたら戻ってこれるやろ。みんなが好きで出ていったんと違う。そしたら、次にまた彼らががんばってくれる。
地域づくりには、最初からあきらめではなく、そういう強い信念が必要なんだなと思いました。何も始めなければ変りません。この地域づくりのバトンを渡していくんだなと感じました。
矢野もようやく動き出しました。
次回は、9/17(月祝)19時から中野の「才元の里ふるさと交流館」で行います。
どなたでもご参加ください。
こ
タグ :自立計画」
2012年07月17日
◆第1回ふるさと自立計画寄合い
14日13:30から「矢野町ふるさと自立計画」を作るための第1回寄合いを矢野公民館で開催しました。まずは顔合わせとなりました。
メンバーは、下記の表のとおりで、策定委員は矢野町の30代~50代前半のこれから矢野町を引っ張っていく比較的若い方々12名で構成されています。この方々を中心にこれから作っていくことになりますが、どなたでも随時寄合いに参加してくださって結構です。そうしてまとめ上げたものを矢野町連合自治会を含む矢野町まちづくり推進委員会が総会の中での協議を経て承認し、矢野町ふるさと自立計画が完成します。つまり、ここで作る計画は矢野町公認の権威あるものとなります。
この日は、委員で出席できた7名とまちづくり推進委員会三役、県担当職員2名、市産業振興課職員2名、私コミュニティ推進員にアドバイザーの進行で行いました。
なにせ、矢野町では初めての試みです。どうなるか分かりません。当初、それぞれに趣旨が浸透しておらず(これはこちらのミスですが)、ぎくしゃくしましたが、矢野町のまちづくりについて思いをそれぞれに語ってもらいました。根本的な問題として村落の構造(世代間等)のこと、矢野町に豊富にある歴史的地域資源の活用、地域の安心安全、町内での商店・交通など利便性の問題、これまで小学校に関わってきた思いと跡地利用についてなど、自分たちのふるさと矢野を何とかよくしたいという思いがそれぞれからビシバシ伝わって来ました。
実は、この計画策定の1番の狙いは、思いをもった人がまずは寄り合い、意見を言い合って、まとめていく、そんな「場」を提供することにあります。そしてそんなプロセスを体験することにあります。これまで人それぞれに思いはもっているが、それを合わせる「場」がありませんでした。地域づくりは人が寄り合うことから始まると思っています。そして、今回、こんなに思いをもった(比較的)若い人が集まり、まずは一歩を踏み出しました。
矢野町が動き出しました。次回は8月18日(土)19:00から矢野公民館です。
こ
タグ :ふるさと自立計画
2012年06月19日
◆「ふるさと自立計画推進モデル事業」に選定
昨日(6/18)、兵庫県知事の定例記者会見で平成24年度の「ふるさと自立計画推進モデル事業」に選定された地域の発表がありました。今回、11地域が新規モデル地域に選定され、「相生市矢野」も無事選ばれました。よかったです。
選ばれた11地域は下のとおり。今回西播磨から5地域もあるんですね。
がんばって夢ある計画を作っていきましょう。
記者発表で提示された資料に載った矢野地域の概要です。
(画像をクリックすると大きくなります)
こ
選ばれた11地域は下のとおり。今回西播磨から5地域もあるんですね。
がんばって夢ある計画を作っていきましょう。
記者発表で提示された資料に載った矢野地域の概要です。
(画像をクリックすると大きくなります)
こ
タグ :ふるさと自立計画
2012年06月15日
◆西播丘陵県立自然公園
以前にある方から三濃山一帯は「西播丘陵県立自然公園」の一部であるから、そういうことを知っておかないといけないといわれましたので自然公園について少し調べました。
自然公園には3つあります。自然公園法という法律によって国(環境大臣)が指定する国立公園と国定公園、それに各都道府県が自然公園法を基に作った条例によって知事が指定する都道府県立自然公園です。
ということで、西播丘陵県立自然公園は兵庫県立自然公園条例によって兵庫県知事が指定した自然公園ということになります。1959年7月21日に指定されています。ということは三濃山にまだ人が住まれていたときですね。
範囲は播磨地方西部の相生市、たつの市、姫路市に広がる丘陵地帯で、姫路市では書写山、たつの市では龍野公園の辺りが含まれます。矢野でいえば北の方、釜出、榊、中野、能下、森、瓜生、小河の山岳部分が含まれます。
兵庫県立自然公園条例の第1条(目的)を見てみますと、次のように書いてあります。
この条例は、県内にある優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もって県民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的とする。
最後の「生物の多様性の確保に寄与する」は近年、生物多様性の重要性が認識されるに至って付加された部分ですね。
もう少し詳しく見ていきますと、兵庫県のホームページで「兵庫の自然>自然公園のあらまし」というページに、「自然公園とは」という節で
旅に出て雄大な風景、自然の美しさに接したとき、 私たちは言葉に表すことのできない感銘を抱きます。 また、日常生活の中でも自然の雄大さ、美しさ、神秘さを見直すことがあります。
こうした自然の風景地では、古くから社寺参拝や行楽の形で休養的利用が行われていましたが、近年、登山、探勝旅行などが広く行われるようになり、また、ドライブ 、キャンプなどによる自然風景地の積極的な利用も盛んになっています。
このため、とくに代表的な美しい自然の風景地をえらび、その姿が私たちの子孫に伝えられるよう保護し、その中ではだれもが、いつでも自由に休養でき、また野外レクリエーションを楽しむとともに動植物や地質などの自然を学べるよう、区域を定め指定されるのが自然公園です。
と書いてありました。つまり、自然公園とは自然を保護するだけでなく、自然を利用する視点でも設定されているのです。当然、ルールを守ってということになります。
自然公園は特別地域と普通地域に区分されています。特別地域では自然環境に影響を及ぼす行為、例えば立木の伐採、宅地の造成、工作物の設置などを行う場合は許可を受けなければなりません。ちなみに、矢野での特別地域は羅漢入り口から三濃山のてっぺん経納山までの山道左右100mの範囲だそうです。
それ以外の区域は普通地域で、ここでの行為は許可の必要はありませんが、事前に届出が必要となっています。
矢野町の北部一帯が西播丘陵県立自然公園に指定されていること、これこそが矢野町の地域資源です。ルールを守りこれを上手に活用して地域の活性化を図っていきたいものです。今度策定する「矢野町ふるさと自立計画」にもルートの整備など盛り込んでいきたいと考えています。
(二木)
こ
自然公園には3つあります。自然公園法という法律によって国(環境大臣)が指定する国立公園と国定公園、それに各都道府県が自然公園法を基に作った条例によって知事が指定する都道府県立自然公園です。
ということで、西播丘陵県立自然公園は兵庫県立自然公園条例によって兵庫県知事が指定した自然公園ということになります。1959年7月21日に指定されています。ということは三濃山にまだ人が住まれていたときですね。
範囲は播磨地方西部の相生市、たつの市、姫路市に広がる丘陵地帯で、姫路市では書写山、たつの市では龍野公園の辺りが含まれます。矢野でいえば北の方、釜出、榊、中野、能下、森、瓜生、小河の山岳部分が含まれます。
兵庫県立自然公園条例の第1条(目的)を見てみますと、次のように書いてあります。
この条例は、県内にある優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もって県民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを目的とする。
最後の「生物の多様性の確保に寄与する」は近年、生物多様性の重要性が認識されるに至って付加された部分ですね。
もう少し詳しく見ていきますと、兵庫県のホームページで「兵庫の自然>自然公園のあらまし」というページに、「自然公園とは」という節で
旅に出て雄大な風景、自然の美しさに接したとき、 私たちは言葉に表すことのできない感銘を抱きます。 また、日常生活の中でも自然の雄大さ、美しさ、神秘さを見直すことがあります。
こうした自然の風景地では、古くから社寺参拝や行楽の形で休養的利用が行われていましたが、近年、登山、探勝旅行などが広く行われるようになり、また、ドライブ 、キャンプなどによる自然風景地の積極的な利用も盛んになっています。
このため、とくに代表的な美しい自然の風景地をえらび、その姿が私たちの子孫に伝えられるよう保護し、その中ではだれもが、いつでも自由に休養でき、また野外レクリエーションを楽しむとともに動植物や地質などの自然を学べるよう、区域を定め指定されるのが自然公園です。
と書いてありました。つまり、自然公園とは自然を保護するだけでなく、自然を利用する視点でも設定されているのです。当然、ルールを守ってということになります。
自然公園は特別地域と普通地域に区分されています。特別地域では自然環境に影響を及ぼす行為、例えば立木の伐採、宅地の造成、工作物の設置などを行う場合は許可を受けなければなりません。ちなみに、矢野での特別地域は羅漢入り口から三濃山のてっぺん経納山までの山道左右100mの範囲だそうです。
それ以外の区域は普通地域で、ここでの行為は許可の必要はありませんが、事前に届出が必要となっています。
矢野町の北部一帯が西播丘陵県立自然公園に指定されていること、これこそが矢野町の地域資源です。ルールを守りこれを上手に活用して地域の活性化を図っていきたいものです。今度策定する「矢野町ふるさと自立計画」にもルートの整備など盛り込んでいきたいと考えています。
(二木)
こ
タグ :自然公園
2012年06月01日
◆「ふるさと自立計画」策定委員の募集について
先のブログでお伝えしましたように
「矢野町ふるさと自立計画」の策定委員
を下記のとおり募集いたします。
6月15日(金)まで
「矢野町ふるさと自立計画」の策定委員
を下記のとおり募集いたします。
6月15日(金)まで
「よし、希望ある矢野町の未来を描いてやろう」という矢野町を愛する住民の方、応募いただけると幸いです。
特に、これから矢野町を背負って立つ若い方々、ソフトな目線から女性の方々の参画を期待しています。
必要事項を記載してメールでの応募でもOKです。また、地域コミュニティ推進員に直接電話してくださっても結構です。
よろしくお願いいたします。
こ
2012年06月01日
◆「矢野町ふるさと自立計画」の策定について
昨年、矢野町地域協議会において「矢野町地域づくり将来構想(たたき台)」をつくり、市長とのコスモストークで矢野町は自律した地域を目指して頑張っていきますと意思表明しました。
その将来構想をより住民自身のものとするために、矢野町の総合計画(マスタープラン)ともいうべき「矢野町ふるさと自立計画」を住民自らの手で策定する必要があると考えました。そういう意味で先の将来構想は「たたき台」です。
実際の進め方として、兵庫県には「地域再生大作戦」といって地域づくりに関するいろんなサポートメニューがあります。その中の一つに「ふるさと自立計画推進モデル事業」というのがあって、それを活用して矢野町のふるさと自立計画を作ろうと考えました。
「ふるさと自立計画推進モデル事業」とは、おおむね小学校区のエリアを対象として、1年目地域の自立・活性化計画を住民の手で策定します。策定にあたって県より100万円の助成(補助率10/10)とその中からアドバイザーの先生の派遣を受けることができます。
そして、2年目3年目はその計画に沿って実践活動をします。そこに活動費(ソフト事業)として75万円(補助率1/2)と施設整備などのハード事業に300万円(補助率1/2)の助成を受けることができます。(下記資料参照)
画像をクリックすると大きくなります
こうした助成事業をうまく活用しながら、矢野町は矢野町まちづくり推進委員会を推進母体として今年度矢野町のふるさと自立計画を住民自らの手で作り、来年度以降実践ということでつなげていきたいと思います。住民のみなさまよろしくお願いします。6月8日応募締め切りで6月末には採択が決定すると思います。
ということで、まずは「矢野町ふるさと自立計画」を策定する策定委員を一般の住民の中から募集するところから始めます。意思のあるいろんな方に参画いただきたいです。これについては次のブログで。
こ
その将来構想をより住民自身のものとするために、矢野町の総合計画(マスタープラン)ともいうべき「矢野町ふるさと自立計画」を住民自らの手で策定する必要があると考えました。そういう意味で先の将来構想は「たたき台」です。
実際の進め方として、兵庫県には「地域再生大作戦」といって地域づくりに関するいろんなサポートメニューがあります。その中の一つに「ふるさと自立計画推進モデル事業」というのがあって、それを活用して矢野町のふるさと自立計画を作ろうと考えました。
「ふるさと自立計画推進モデル事業」とは、おおむね小学校区のエリアを対象として、1年目地域の自立・活性化計画を住民の手で策定します。策定にあたって県より100万円の助成(補助率10/10)とその中からアドバイザーの先生の派遣を受けることができます。
そして、2年目3年目はその計画に沿って実践活動をします。そこに活動費(ソフト事業)として75万円(補助率1/2)と施設整備などのハード事業に300万円(補助率1/2)の助成を受けることができます。(下記資料参照)
画像をクリックすると大きくなります
こうした助成事業をうまく活用しながら、矢野町は矢野町まちづくり推進委員会を推進母体として今年度矢野町のふるさと自立計画を住民自らの手で作り、来年度以降実践ということでつなげていきたいと思います。住民のみなさまよろしくお願いします。6月8日応募締め切りで6月末には採択が決定すると思います。
ということで、まずは「矢野町ふるさと自立計画」を策定する策定委員を一般の住民の中から募集するところから始めます。意思のあるいろんな方に参画いただきたいです。これについては次のブログで。
こ
2012年05月31日
◆まちづくりの総会と新規事業計画
5月22日(火)に「矢野町まちづくり推進委員会」の平成24年度総会がありました。
矢野町まちづくり推進委員会は、兵庫県の県民交流広場事業をきっかけに立ち上がった組織で、連合自治会をはじめ矢野町の各種団体の長をメンバーに構成されています。ある意味地域の代表性を有する組織といえます。
矢野町まちづくり推進委員会は、これまで県民交流広場事業の助成の範囲で、「地域のつながり・交流」をテーマに活動してきました。たとえば、ふれあい寄席やふれあい交流作品展、チャレンジ駅伝大会、グランドゴルフ大会などを年間行事として行ってきました。昨年は月1回の「お宝探検サロン」を始めました。
しかし、この県民交流広場事業も矢野町は今年度が最後となり助成金がなくなります。来年度からは独力で運営していかねばなりません。つまり、地域の自立が求められます。
そこで、矢野町まちづくり推進委員会は、昨年矢野町地域協議会(矢野町まちづくり推進委員会の協議部門・上位部門)が作成した「矢野町地域づくり将来構想(たたき台)」をふまえ、今年度、従来の地域内のふれあい・交流事業に加え、自立かつ自律した地域をめざして外部に打って出る新規事業を計画しました。これらは県民交流広場の助成対象外として行います。
まずは、矢野町を将来見据えてどんな町にしたいか計画(ビジョン)を立てなければなりません。新規事業計画の一つ目が「矢野町ふるさと自立計画」の策定です。これについては続くブログで詳しく述べましょう。
2つ目は、先日お伝えしました「休耕地を活用したキャッサバ芋の栽培パイロット事業」です。
3つ目は、将来的な定住促進につなげるために、少しでも多くの方に矢野町を知ってもらいたいという思いで「矢野町音楽祭『おてらいぶ2013』の開催」です。来年4月28日(日)開催予定です。矢野町へ京阪神など都市部の人たちに来てもらいます。これについてはまたあらためてお伝えします。
ということで、今年度から矢野町は自分たちの将来のために動き出します。住民のみなさんも当事者として事業の参画などご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
こ