2011年09月30日

矢野小大運動会2

フォトアルバム続きです。


5.台風の目(PTA、来賓、スポーツクラブ21)




地域のみなさんも大いに走りました


6.まわれ まわれ(4、5、6年生)




最後の起立で白組が逆転


ここで、赤組・白組の応援席を見てみましょう








フレー、フレー


7.ねらってなげて玉入れ合戦(1、2、3年生、高年者)






来年度入学するちびっ子も来てくれました


楽しいよ。よろしくね!


8.玉入れさせない玉入れ(PTA、来賓、スポーツクラブ21)






9.矢小っ子ソーラン(全校児童)




10.〇☓クイズ(PTA、全校児童)


みんな☓ですか。同じですね


楽しいお昼の時間です


家族みんなで食べます。おいしいね。この光景懐かしいです


スポーツクラブ21のみなさんは、冷たい飲み物とアイスクリームを用意


ごはん食べたら、子どもたちは緑の芝生の上で追っかけっこ
みんな仲よし

つづく

こ  
タグ :運動会


Posted by 矢野町交流広場 at 14:51Comments(0)矢野小学校

2011年09月29日

矢野小大運動会1

9月23日(祝)、矢野小学校第45回秋季大運動会が開かれました。
9月に入ってから続く台風で天気が心配でしたが、当日は空がよく澄みわり、気持ちいい秋晴れのもとで行われました。

子どもたちは、緑の芝生の上を裸足で駆け回り気持ちよさそうです。
練習の成果を発揮して、競争に演技に応援に一生懸命頑張りました。
PTA、スポーツクラブ21、来賓、高年者ら地域の方々も参加していい汗をかきました。

それでは、矢野小運動会。フォトアルバムの始まりです。


開会式






児童入場


国旗・校旗掲揚


児童代表の言葉


演 技

1.ラジオ体操




2.アイアム チーター(3、4年生徒競走)








3.ゴールをめざして!(1、2年生徒競走)










4.走れ!風のように(5、6年生徒競走)










まだまだ続きます


こ  
タグ :運動会


Posted by 矢野町交流広場 at 13:24Comments(0)矢野小学校

2011年09月28日

『矢野町交流広場ニュース9月号』

『矢野町交流広場ニュース2011.9.27号』を掲載します。

今回は、9月23日に行われました「矢野小学校第45回大運動会」と21日の第1回「勉強会」の報告です。 どうぞご覧ください。



(画想をクリックすると大きくなります)


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:32Comments(0)「交流広場ニュース」

2011年09月26日

ちょっといい話

先の「勉強会」のなかでちょっといい話がありましたので、ぜひ紹介させてください。

参加してくださった1人の方から「ぜひ、お話したいことがあるんです」

その方は真広の方で、先の台風12号でお宅がある裏の山の側溝が波板がめくり上がり土砂で埋まって、水と土砂が家の敷地に勢いよく入り込んでくるようになりました。そうこうしているうちに台風15号がそこまで来ています。

その方は県に対処をお願いしたのですが、急には対応できないとのこと。困ってどうしたら・・・
そうして仕事から戻ってくると、なんと側溝の土砂は取り除かれ、波板がきれいに敷き直され、土嚢も積み直されています。

実は、地域の消防団の方が率先してそのように対応されたそうです。消防団には自治会長さんからも相談があったそうですが、消防団の方たちも12号のときに状況を確認しており、今回も気にして偵察にこられたら、「これはあかん」ということで力を合わせて応急的に処置されたようです。

この方は、とても感激して感謝し、このことをみなさんにお伝えしたくてということでした。参加者全員、なんかあったかい気持ちになりました。


災害を目の前にして、この川の所有管理は県やから、あるいは市やからといってそこに住む住民が動かない地域もあると聞くなか、今回のように地元の消防団の働きこそ地域の自律ですね。それは、昔は「普請」といって当然のことだったのですが、近代以降中央集権に向かうなかで自律の精神が奪われていきました。

そういう世情のなかで矢野町の共同体精神は、今後も太く長く伸ばしていきたいですね。




応急処置された側溝
土砂で埋まり左側に水と土砂が溢れ出していた。その下にお家が





こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 15:50Comments(2)推進員のつぶやき

2011年09月23日

第1回目「勉強会」から

21日の夜8時からこれからの矢野町を考える第1回目の「勉強会」が開催され、11名の方が参加くださいました。台風が来たり、祭りの準備があったりとなかなか出にくいなか、思っていたより多くの方が集まっていただきうれしい限りです。

最初ということもあり、三濃山のアカガシは現在どんな状態かという話から始まって、矢野町には多くの歴史的資源があるねとか、いろんな話題に話が展開していきました。


私からは相生市の2055年までの人口予測のデータと矢野町のこれまでの人口推移と各集落の現時点での年齢構成データを提示しました。人口予測と推移のデータをみると、相生市は昭和45年ごろをピークに約4万人から現在約3万人まで一直線に人口が減少しており、矢野町もこの50年で約1000人の人口減があって、現在は2000人を切っています。ちなみに明治末期には矢野町は4000人以上の人が住んでいました。集落ごとに見れば、中学生以下の子どもが0%の集落も存在し、あと5年、10年先、その集落は存続しているのだろうかという心配も湧きあがってきます。

将来の矢野町の元気や活性化、町の維持を考えるとき、それらのデータからは、いかに人を確保し、特に町の若者の流出を防ぎ、外からも若い人たちをいかに町に呼び込むことができるか、ということが要として見えてきます。これはなにも相生市や矢野町だけに限らず、人口減少社会に突入した日本のどの自治体、地域にもいえることです。そうすると、悪い言い方をすれば、結局人の奪い合いということになります。

現に多くの自治体が独自の定住促進施策を作りPRしていますし、相生市の「子育て応援都市宣言」かつその多数用意されたメニューにしてもしかりです。そんななかで矢野町としても矢野町の自然、歴史、風土に適した実行的かつ実効的な定住促進策を練り進めていくことが、矢野町の地域づくりの一つの方向性となるでしょう。それには雇用(特に地域での雇用)を抜きに語れません(で、コミュニティビジネスにつながります)。

そうすると、勉強会のなかで、将来的に矢野町の維持、元気・活性化のために若い人たちの確保を目指すというなら、小学校の統合で矢野町から小学校が無くなってもいいのか、という意見が上がりました。矢野町の将来を見据えた地域づくりという見地から見た場合、ごもっともな意見です。

小学校の統合問題の進め方については、しかるところで進められているのでここでは触れませんが、この勉強会開催の意義はそういう意見が出てみんなで考える「場」を提供することにあります。こういった住民が話し合える「場」があること、これがこれからの自律した地域づくりの出発点ではないかと考えるからです。

この勉強会はまだ始まったばかりでちっぽけですが、この勉強会をきっかけに、他でも町の人たちが集まって、意見を出し合い、議論し、そしてそれらを集約・収束し、実施計画を作り、実行できるようになればと思います。言いかえれば、地域自治・自律した地域に向けてまずやっていくことは、そのサイクルを回す仕組みを考え、それを軌道に乗せることかもしれません。



彼岸花が咲く季節になりました




真広にて




菅谷にて


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 18:09Comments(0)「勉強会」

2011年09月22日

磐座神社

前回、磐座(いわくら)神社の安産信仰を取り上げましたので、少し磐座神社について調べてみました。

磐座(いわくら)神社は、最初教えられないと「いわくら」とちょっと読めないですね。「」は大きな石、「」は「います」ということで、大きな石に神がいる神社ということだそうです。そういう名前がつくだけあって、磐座神社には巨岩伝説があるようですね。詳しくは、相生市のホームページ(相生の伝説と昔話)に書いてあります(下線部をクリック)。




神社の背後にそびえ立つ権現山天狗岩


神社の境内に入ると大木が茂り、凛とした静けさのなかに、ここで何百年も行われてきた人々の営みがあり、思いを馳せます。



山上の大きな石に神が降りてきたときに落ちてきたという座光石




四十七士の絵馬




使われなくなった芝居の舞台




ところで、神社の由緒書きには、権現山を神体山として拝したとあります。御神体ですね。権現山のほかにも磐座神社の背後には矢野神山(かみやま)として祇園山(竜王山)と神田山があります。

日本人は、神体山というように山そのものを神とみなしています。山のほかにも、日本人は物そのものにもいのち・価値を認め、崇め、畏れ、敬ってきました。そこから「もったい(勿体)ない」という意識が生まれています。西洋人にはちょっとない感性です。それが自然と人間との調和を育んできました。

ちなみに、精霊崇拝・アニミズムは、そこに神(霊魂)が宿るというように物に精霊がとりつくイメージで、物そのものを神とみなす日本人の感覚とちょっと違うようです。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:54Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年09月20日

もう一つの安産信仰

以前、矢野町のパワースポットで瓜生の安産杉を紹介しましたが、もう一つ矢野の安産の神様を紹介しましょう。

森の「磐座(いわくら)神社」です。

磐座神社には、県指定の天然記念物「コヤスノキ叢林」があります。叢林とは、樹木が群がって生えている林のことをいいます。コヤスノキは中国地方中部、岡山県東部と西播地方に限って分布する珍しい植物で、五月ごろ新枝の先に淡黄色の花をつけ、秋には直径1cmばかりの球形の実をつけます。







神社の由緒書きには、「中世には安産の守護神であり矢野庄總鎮守の杜として尊信崇敬せらる」とあります。相生市史には、「これは境内に子安の木があり、赤い実の様子から安産信仰が生まれてきたのであろう」と書いてありました。

矢野町は、安産の神様もたくさんいて、緑あふれる自然と人情味のある人たちの中で、子育てにはもってこいだと思いますよ。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:37Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年09月18日

「勉強会」を開催します

先月の「矢野町交流広場ニュース」でもお伝えしましたが、矢野町の将来について住民が考える第1回目の「勉強会」9月21日水曜日、夜8時から矢野町交流広場で開催します。どなたでも参加できますので、多くの方の参加をお待ちしております。

日本社会は、戦後から続いた右肩上がりの高度経済成長社会はバブルの崩壊によって終焉し、現状を維持していく持続可能な安定社会に入ったといわれています。しかし、「失われた10年」と呼ばれた90年代を過ぎて10年たった今でも、どうすれば持続可能な安定社会が築けるのか、政治の退廃もあってなかなか確固たる答えを見出せないでいます。

けれども、社会の構造が中央集権から地方分権へという流れは疑いもなく、またその流れゆく先には地域分権があります。つまり、人任せではなく自分たちの町のことは自分たちで考え、決断し実行していかなければならない時代がきたのです。これを「地域自治」といい、そしてこれが「自律した地域」となります。これからは昭和の良き時代と違ってなかなか厳しい時代のようです。

でも、ぼくは心配していません。なぜなら、矢野町の先人たちはこれまで(明治以前)、地域自治を体現し自律した地域を自ら築いてきたからです。しかし明治以後の中央集権国家が村から自治を奪っていきました。だから、それに気付き取り戻せばいいのです。この辺については、またあらためて話しましょう。

ともあれ、矢野町の将来については矢野町の住民自身が考えなければいけないことは明白です。しかし、じゃ、何をどう始めればよいのか。わからないことだらけです。

そこで、とりあえず、住民の意思ある人たちが集まって話し合える、気軽に語れる「場」が必要ではないかと考え、今回の「勉強会」を思いついたわけです。ここで語り合うなかから、矢野町の活性化・元気に何が問題となっているのか、そして実際矢野町のビジョン(総計)を作成し、それを実現するには具体的にどう動けばいいのか、そういうことをみんなで勉強していけたらと思います。

矢野町住民自身の手で、住民だれもが笑顔あふれる矢野町を築いていくために。



瓜生大池



大池が潤す大地


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 00:19Comments(0)「勉強会」

2011年09月15日

敬老会




今日(9/15)午前中に、矢野町真広にある老人ホーム「愛老園」と「椿の園」で合同の敬老会が行われました。矢野小学校4年生、矢野川幼稚園、矢野川保育所の子どもたちも参加して、アトラクションを披露しお祝いしました。

園には、105歳になる相生市最高齢の方がおられ、表彰を受けられました。おめでとうございます。
また、米寿以上の長寿の方々が紹介され、記念品が手渡されました。
「みなさん、ありがとうございました」・・・長寿の方からお礼の言葉をいただきました。



子どもたちから長寿のみなさんにお花が渡されます


幼稚園のみんなから入園者のみなさんにプレゼントです


敬老会の最後は、子どもたちのアトラクションです


矢野川保育所のみなさんからボンボンのお遊戯が披露されました


矢野川幼稚園のみんなはお歌と太鼓のバチをもった踊りです


矢野小学校4年生のみなさんからは、合唱と伝統の「矢野っ子ソーラン」が披露されました


そうして、お年寄りのみなさんには拍手と笑顔の花が開きました
みなさん、いつまでもお元気で


矢野町はやさしい町です。ますますその芽が育つことを願っています。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:48Comments(0)イベント等報告

2011年09月14日

ポンデ ぼ~る

昨日(9/13)は、第3回目の「お宝探検サロン」でした。
引き続き三濃山にまつわる話は、なかなか奥が深いです。
そこで、三濃山シンポジウムが開けたらという話へ発展しました。
実現できるようにちょっとずつ詰めていければと思います。

今回サロンで、「いぶき」さんに用意していただいたお菓子は「ポンデ ぼ~る」
新商品です。もちもちした食感がなんともgoodです。







  
タグ :サロンお宝


Posted by 矢野町交流広場 at 22:59Comments(0)NPO法人いぶき

2011年09月13日

『までいの力』から学ぶこと

9月11日は、アメリカのテロから10年、そして東日本大震災からちょうど半年という日でした。その日にたまたま今年の「みなとフェスティバル」ということになりましたが、当然のごとく市長あいさつや来賓の方はそのことに触れられました。というわけでもないのですが、震災から少し考えたことがあります。




今、私の手元に『までいの力』という本があります(上写真)。それは、福島原発事故での放射能により計画避難のために全村民が離村を余儀なくされた福島県飯舘村(いいたてむら)の災害前に行われていた地域づくりのお話です。みなさんもぜひ見てみてください。売り上げが飯舘村の復興に使われます。

飯舘村は、人口約6000人で3人に1人がお年寄りという村です。しかし、先の平成の大合併では合併を選択せず、「自主自立のむらづくり」を菅野典雄村長のリーダシップのもと、これまでの価値観にとらわれない、柔軟かつユニークな発想で行ってきました。そうして飯舘村は「日本でもっとも美しい村」となりました。

そのとき、キーワードとなった言葉が「までい」です。「までい」とは、東北地方の方言で、手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味があります。スローライフをより深くしたこの「までい」を理念として子育て支援や環境保全活動、定住支援などいろんなアイディア・施策で地域づくりをおこない、メディアにも取り上げられるようになりました。

そんな中、放射能漏れといういわば人災によって一瞬のうちに築き上げてきたものが水の泡となってしまいました。こんな理不尽なことはありません。行き場のない怒りが湧き上がります。理不尽や不条理、もっとも嫌な言葉です。


矢野町も飯舘村に引けを取らない美しい自然豊かな歴史ある町です。ですから、飯舘村が行ってきたことから参考になること、学ぶべきことは、具体・抽象たくさんあります。中でもぼくがもっとも大事と思ったのは「地域経営」という感覚です。

しかし、矢野町と飯舘村が絶対的に違うのが、方や相生市の一地域、方や一自治体、つまり「財力の差」です。自律した地域を目指すには、今後どうしても地域でお金を稼ぐ必要があるように思います。それが経済的な自立ですし、そこに新たな雇用が生まれます。

いわゆるコミュニティビジネスの創出です。コミュニティビジネスは現代の新たな地域共同体を生み出す媒体となりうると考えています。ちなみにかつての村落共同体では農耕が共同体の媒体でした。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 18:41Comments(0)推進員のつぶやき

2011年09月09日

「みなとフェスティバル」開催




矢野町のことではないのですが、地域コミュニティ推進員として私も関わっていますので、イベントを一つ案内させてください。

9月11日(日)10:00から15:00まで相生湾の埋立地緑地
『みなとフェスティバル』が開催されます。

上町連合自治会、北町連合自治会、南町連合自治会の相生(おお)地区3連合自治会もこのイベントに共催し、ステージパフォーマンスの合同運営や各連合自治会によるバザー出店を行っています。

相生地区は、矢野町以上に少子高齢化で人口減少社会がどんどん進み、祭の獅子舞やとんどなどをどう維持していくのか、また福祉の問題などそれぞれの連合自治会だけでは解決しきれない課題を共通的に抱えています。

そんななか相生地区3連合自治会が、互いに関係を作り地区の絆を深めていくところから始めようと、昨年からこの「みなとフェスティバル」の企画・運営に関わり、コミュニティ形成を図ろうとしています。


昨年は大雨で人足も湿りがちだったようですが、今年の天気は大丈夫そう。

ステージパフォーマンスは、夏にコンクールで金賞を取った「那波中学校吹奏楽部」の演奏、相生のダンススクール 「ジュエルダンススタジオ」で踊りを学ぶ元気なちびっ子たちのキッズダンス、そして地元播磨地域のミュージシャンで結成され、播磨を拠点に活躍するブラジル音楽バンド 「マトリックス」による歌と演奏、本場のサンバダンスも見ることができます。

午後からは、大カラオケ大会が開催されます。我こそはと思われる方は当日申込み参加も可能です。そして、最後に32インチの液晶テレビをはじめ豪華賞品が当たるビンゴゲームもあります。

その他にも体験乗船、キッズボートなど海のイベントもありますので、みなさん、どうぞ足をお運びください。


詳しくは、相生市観光協会のホームページをごらんください。(下線部をクリック)

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:01Comments(0)お知らせ・案内

2011年09月08日

今月の「矢野っこひろば」




相生市社協の子育てひろばとして毎月第1水曜日に開かれている「矢野っこひろば」
今月は多彩な準備で、たくさんの子どもたちとお母さん方が集まってくれました。



外では、ヨーヨー釣りと


スーパーボールすくい (うまく捕れましたか?)



絵本の読み聞かせです


みんな真剣に見ていますね


今回はポップコーンを作りますよ!


コーンが跳ねて、白くなります


わぁ、すごい!


興味津々


お母さんも


お昼の時間です。


この日はそうめんが配られましたよ










仲良く遊んでます



また、来月お会いしましょう

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:46Comments(0)矢野っこひろば

2011年09月07日

犬塚五輪塔

先日、約30年前に能下で行われた「犬塚まつり」を取り上げました。
実は、まだ「犬塚」を見たことなかったので今日、見てきました。
テクノラインで三濃山トンネルに入る200mぐらい手前左側にありました(入口がわからず何度も通り過ぎてしまいました)。そこから能下川に架かる櫻橋を渡ってすぐです。




確かに桜の木の下に五輪塔があります。
このちょっとした空間で、約30年前、能下音頭が歌われ踊られたのですね。
地面はその時からもう、アスファルトだったのかな?




秦河勝・三本卒塔婆伝説(犬塚伝説)をもつ五輪塔(鎌倉後期~南北朝期)


でも、よく倒れないでありますよね。先日の台風でも大丈夫だったんですね。


教育委員会の説明文です。


画像をクリックすると大きくなります



こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:52Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年09月06日

源重郎池2

源重郎さんをはじめとする小河の人たち先人が苦労して築いた源重郎池。それは今でも私たちに恵みをもたらしてくれています。

こうして築造され、修理されてきた源重郎池ですが、時の代官や幕府勘定奉行は源重郎さんに対して幾度となく、「自分入用(私財)を以、溜池壱ヶ所取立候」ことは「奇特之儀に付御褒美として銀三枚」というように褒美を遣わせています。また、小河の人たちに対しても庄屋の曾平に「隣郷えも余水分け遣候様骨折世話いたし候段、厚く誉置」くと申し渡しています。

このことに対して、『相生市史』では以下のような見解を示しています。長文ですが重要なポイントですので記します。

  「源重郎池の築造や修築事業に対し、歴代の代官や幕府勘定奉行がこれを称賛し、源重郎や小河村名主などに褒美まで遣わしている点は、この事業の一つの特徴といってよい。これらのことを考慮すると、この築池事業は、代官などの領主階級の奨励にもとづいておこなわれたのではないかと推察することもできる。(中略)

本来領主階級は、主体的に灌漑施設の整備に取り組まねばならない筈であった。江戸時代には、村内にある小規模な堤防や橋梁の掛替などは村の自普請によるのが原則ではあったが、「池所の池」のような用水溜池の構築は、村による自普請の範囲を超えたものであり、領主の積極的な施策(普請費用の負担)のもとに実施されるべきであった。領主がそれに対して消極的であるかぎり、旱損場を救うことはできない。

源重郎を中心とする小河村農民は代官たちの施策をじっと待っているわけにはいかず、ついに『当村旱損場ニ付、往々村方一同助ケノため自分入用を以』って『池所の池』、通称源重郎池を構築することになった。この点に源重郎池築造の最大の意義をみいだすことができる


何もかもを行政に頼ることのできない今の時代に通じるものをどこか感じませんか。

『相生市史』では、結果的に領主に頼らず村人(農民)たちが自分たちの手で源重郎池を築造したことに最大の意義があるといっています。つまり、これこそが「自律した地域」であり、「地域自治」といえましょう。『相生市史』は源重郎池の築造・修復に関して、そこに最大の意義をみいだしているのです。

先人が残した足跡(過去からの伝言)を今の人が受け取り咀嚼し、また後世へとつないでいく、その大切な営みを考えさせられます。今日、小河の活動が国や県から表彰されるのも源重郎池築造・修復当時の小河の人たちの精神を受け継いでいるのかもしれません。


その後、源重郎さんの子孫である光葉久吉氏から「池所の池は、小河村持ちにして貰いたい」と申し出あって、源重郎池は小河村の所有(総有)になったそうです。明治29年(1896)5月、小河村の人たちは「村民相謀リ碑ヲ以テ其ノ徳ヲ表ショウセリ」(『赤穂郡史』(明治の地誌))と、「築池記念碑」を建立し謝恩の一端を表しました(下写真)。




源重郎池築池記念碑(2011年5月9日撮影)



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Posted by 矢野町交流広場 at 17:01Comments(2)お宝発見(遺跡等)

2011年09月05日

源重郎池1



源重郎池の石堤(2011年5月9日撮影)

ここにもシカ避けのフェンスが。シカが草を食べて環境を壊すらしい。


先日、小河活動協議会の視察に関して、ブログで小河のまとまりのキーは「源重郎池」にあるようだと書きました。自治会長さんは確かそれを「原点」と言っていたように思います。今回は、源重郎池について「地域自治」の観点から2回に分けて述べてみましょう。

源重郎池は、川が小川で水の少ない小河村にあって用水を確保するために、1800年代前半に同じ小河村の農民である2代目源重郎さんから3代にわたって私財を投じて、集落から約4kmも上った山の中腹に築造した谷池(山の谷を利用して水をためたため池)です。正式には「池所(いけどこ)の池」というそうです。池所は地名です。

記録によると、享和2年(1802)から文化6年(1809)の築造時には、「人足料 銀5貫239匁、諸雑費331匁2分、計銀5貫570匁2分」が源重郎さんによって投じられたということです。これが今ではどれくらいのお金になるかわかりませんが。

私財を投じて集落から約4kmも上がった山中にため池を築くことに思い至った源重郎さんもすごいですが、小河村の人たちや隣村の人たちもすごかったと思います。その時の記録には、「外に合力175人 寅年小河村中110人、上土井村より51人、観音より14人」ともあります。つまり、村総出で8年もの歳月をかけて源重郎池を造ったわけです。

加えて、冒頭の写真を見てください。源重郎池の堤は石積みでできています。これは、谷池としては日本でも珍しいようです。自動車のない時代に、村人は力を合わせて(合力:ごうりき)、重い石をもって約4kmものあるともいえない山道を一歩ずつ何度も上り下りし、石を積み上げていったのです。その光景を思い浮かべると胸にくるものがあります。

また、天保年間(天保3年~6年)の4代目源重郎さんによる大修理では、さすがに源重郎さん家も資金に余裕がなく、小河村の人たちと隣村の人たちは「頼母子講」を起こし、それによって経費を賄ったといいます。

このように、3代にわたる源重郎さんをはじめとする小河の人たちは、自分たちの手で、すなわち自分たちの知恵と汗とお金で村を守り、生活を維持してきたのです。先人たちのおかげで今の私たちがあるわけです。そして、先人たちは私たちに、地域自治とはこういうもんだということを何か教えてくれているような気がします。自治会長さんが、「小河のまとまりの原点が源重郎池にある」といわれるのも納得できます。


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Posted by 矢野町交流広場 at 23:55Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年09月02日

犬塚まつり

一昨日のブログに「矢野音頭」を取り上げました。
すると、それを見てくださった方から情報をいただきました。

矢野音頭の第14番、能下の部分の歌詞

   14 能下犬塚花の頃(ヨイヨイ)
      咲いた桜の木の下で
      踊る音頭の浴衣衆
      三本卒塔婆に渦を捲く(サノヨイヨイ)

に関して書かれた記事があるということです。

それは、約30年前の相生ライフで、
『相生ライフ 第25号(昭和57年4月18日)』の「街の話題 "犬塚まつり"」
という記事でした(下画像)。



画想をクリックすると大きくなります


それによると、昭和57年4月11日に能下の方たちが村おこしに「犬塚まつり」を初めて催されたということです。その犬塚まつりの光景が、矢野音頭の能下部分の歌詞になっているという情報でした。犬塚まつりでは、能下の三本卒塔婆にある桜の木の下で「能下音頭」を歌いながら踊ったようですね。

  
            能下音頭
     作詞 坂本一郎  作曲 芦田晴夫

       ハアー
       行こか詣ろか 犬塚さまへ
       花も薄紅 パッと咲く
       咲いた桜は ワン公のみ霊
       今もみあげて ほめそやす


ところで、矢野音頭の作詞者は坂本一路さん、能下音頭の作詞は坂本一郎さん。ひょっとして同じ人物ですか?


ここで、みなさんにお願いです。
もし、この三本卒塔婆の桜の木の下で踊りや花見をしている貴重な写真をお持ちの方がございましたら、一度私、コミュニティ推進員の古賀(090-7821-6544)までご連絡いただけないでしょうか。こういう貴重な写真はそれこそ地域のお宝ですので、よかったらデジタル化してアーカイブに残していけたらと思います。

能下音頭のうたわれたこの当時、能下地区は22戸だったんですね。ちなみに今は自治会資料によるとさらに減って13戸です。

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Posted by 矢野町交流広場 at 14:40Comments(2)お宝発見(遺跡等)

2011年09月01日

「いぶき」でおでん




今日、地域の方が「いぶき」のお昼におでんを作ってくださいました。
ぼくも呼んでいただき、お相伴にあずかりました。
ありがとうございます。



おでんは、ボリュームたっぷりでよく煮込んであります。
お芋は採れたてでホクホクです。
大根や玉子はよくだしがしみこんでいて美味しいです。
そうめんのお吸い物。気持ちがホッとします。


メーン以外の添え物も豪華なんです。
みんな、「いぶき」や地域の方の畑で採れたお野菜なんですよ。
自給自足ですね。


大根と芋のツルの炒め物



左は大根の皮の炒め物。シャキシャキ感があります。
右は健康にいいモロヘイヤ。



ピーマンの佃煮



キュウリとナスのお漬物



みんな、「おいしい」「おいしい」って言いながら食べました


いやー、お昼からガッツリいただきました。
夜は控えた方がいいかな。
ごちそうさまでした。

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タグ :おでん


Posted by 矢野町交流広場 at 16:05Comments(0)NPO法人いぶき