2012年02月01日

三濃山の山王神社と天台宗

先日、三濃山にかつて「山王神社」があって(現在のは篤信家が新たに建立)、その本尊が大山咋神で鉱山に関係があるということを述べました。

後日、ある方からいろいろ教えていただいて、山王神社は天台宗と関わりが深いことが分かりました。

山王とは、比叡山に鎮座していた日吉神(ひえのかみ)の別名で大山咋神のことだそうです。天台宗の開祖・最澄が比叡山を開くにあたり、その麓に祀られていた大山咋神ほかを勧請して、日吉山王と称し、その後日吉社の神を天台宗の護法神とする考え方が広まったそうです。

そして、この神道を「山王一実神道(さんのういちじつしんとう)」と呼び、これを仏教神道、あるいは天台密教の影響下で成立したので天台神道ともいうそうです。

三濃山の山王神社は山王権現ともいうのですが、なぜ権現なのか。当時の神仏習合と本地垂迹説(日本の神は仏が仮の姿を現したものという考え方)に乗って、最澄が釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の三尊が天台の守護と人々の救済のために飛来したとし、釈迦如来を大比叡神(大宮権現)の本体、薬師如来を小比叡神(二宮権現)の本体、阿弥陀如来を宇佐宮(聖真子権現)の本体としたことからのようです。

いずれにせよ、日吉の神は天台教学と習合しながら山王日吉神(山王一実神道)として形成されていったようです。しかし、その山王一実神道も明治の神仏分離令によって強制的に廃絶させられました。


それにしても、三濃山は天台宗も絡んでいたんですね。空海(弘法大師)が三濃山に真言密教の法窟を開いて、最澄(伝教大師)の天台密教も関わりがあったとは。これってすごくないんですかね。

そういえば、聖徳太子は法華経の注釈書『法華経義疏』を書きましたが、法華経は天台宗の根本経典ですから、天台宗と聖徳太子は関わりが深いですよね。とすると、求福教寺観音堂にある脇士は、弘法大師像と聖徳大師像ですから真言と天台、両密教があるということですか。これってすごくないですか。恐るべし三濃山。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 19:28Comments(5)矢野歴史考