2012年08月23日

地域づくりの方向性2-高須論文から

昨日は、結論だけを先に述べたような感じだったので、今日は高須論文の中身を少し見ておきましょう。

その前に昨日のおさらいをすれば、高須によると、自然とは歴史の産物だということで、つまり自然とは長い年月をかけた人間の営為が加わったものということでした。これを二次的自然といいます(一次自然はまったく人の手が入ってない自然)。そうすれば、矢野の豊かな自然(山・川・土)は、山は里山だし、川は用水路としての川だし、土は田んぼだし、みんな二次的自然ということですね。

ここに、矢野(三濃山)は秦河勝以来相生の原点だということもあって、高須は矢野の自然(山・川・土)を「歴史的文化的遺産」と表現しました。そして、その歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢だ、というのが結論でした。

じゃ、ここで問題となるのが、自然は人間の営為が加わったものが自然ということでしたが、その営為とはどこまでのことをいうのかということです。

高須によれば、それは「自然という資源を生産手段に利用する本来の土地利用」としており、いいかえれば、「林業をはじめ農業や漁業は、自然を高度に利用する唯一の産業であり、単なる消費やモノを食いつぶす行為ではない」としています。

それにぼくから少しつけ加えるとすれば、なんぼ林業、農業、漁業であっても、その地にあった生産規模・限度というものがあります。マーケットがワールドワイドになって儲け至上主義に走ると、限度を超えると自然破壊につながっていきます。東南アジアの森林破壊を思い浮かべれば明らかです。この観点、つまりサスティナブルな観点からも「地産地消」がいわれています。

では、一方のゴルフ場開発について高須はどういっているでしょうか。高須は、「過度な経済効率の追求や競争で、自然を食いつぶし破壊に導く要素のある事業だ」、「先祖の営為の産物としての矢野の文化を、カネ余り現象のバブル的リゾート投機の餌食にさらしてはならない」といっています。まあ、バブルがはじけ不景気が延々と続く今日、今さらゴルフ場建設のような大規模な開発はないでしょうが。

最後に、高須は次のように論文を閉めています。

いま一度私たちは、三濃山系の森林と、その水のもたらした大地を遺産として評価しなくてはならない時にきている。土の生産力を軽視し、土地のバランスを大きく崩した土地利用(正しくは食いつぶし)が、あたかも町の活性化につながるかのような価値観は、ほんのひとときの幻想にすぎないことを知るだろう。

この高須のメッセージは20年経った今も通じるように思います。よく人は、「矢野は農振地域で、市街化調整区域やから家も立てられへんのや。だから矢野の人口が減っていったんや」といいます。確かにそういうこともあったでしょう。しかし、逆に考えれば、そういう規制があったからこそ、高須のいう歴史的文化的遺産(矢野の二次的自然)が残ってきたといえます。

実は、もう右肩上がりの経済的成長が望めない今日の社会において、この貴重な二次的自然が地域資源として今後価値をもってきます。この二次的自然をフルに生かして矢野は地域づくりを行っていくのが道ではないでしょうか。採算性を考えた事業を展開していく。これから矢野は、規制による恩恵を受けるのです。むしろ矢野は今後、都市部よりも可能性を秘めているんじゃないかと思うぐらいです。

「どうしてもこれをやるんだ」と、気概と強い信念をもって、前に立ちはだかる様々な障壁を打ち破り、ときにはかわし、矢野の誰もが幸せを感じる地域づくりを進めたいものです。



矢野の自然(山・川・土)     2012.8.23中野
かつて天皇への献上米もとれたそうですね


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:45Comments(0)地域づくり事業