2012年09月28日

交通安全教室




現在9/21~9/30の期間、「秋の全国交通安全運動」が展開されています。朝、通勤時、いろんな交差点で地域の方らが立ち番されているのを見かけます。

今回の運動の基本は、「子どもと高齢者の交通事故防止」で、重点項目として次の4点が掲げてあります。

①夕暮れ時と夜間歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
  (特に、反射材用品等の着用の推進及び自転車前照灯の点灯の徹底)
②全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
③飲酒運転の根絶
④早めのライト点灯の推進


ということで、本日(9/28)、矢野公民館において相生交通安全協会矢野支部の主催で矢野町連合自治会と矢野高年クラブの協力を得て、矢野地区の高齢者対象に交通安全教室がありました。相生警察署交通課長さんが高齢者の交通安全について講演され、腕に巻く反射材が配布されました。

講演によると、交通事故死者数の約半数が65歳以上の高齢者だそうです。特徴として、横断歩道以外の横断、走行車両の前後の横断、夕暮れ時・夜間発生が挙げられています。そこで、高齢者のみなさんに

〇横断歩道を利用しましょう
〇走行車両の前後の横断は止めましょう。
〇夕暮れ時・夜間は反射材等を着用しましょう。

と呼びかけています。

確かに夜って見にくいですね。車を運転していて車道ぎりぎりのところに歩行者がいて、「こんなとこに人がいたのか」と間際に気づいてヒヤリとすることがよくあります。夜出歩かれるときは、白っぽい目立つ服を着るとか反射材をつけるとか懐中電灯をもつとか対応が必要です。自分がここにいることをドライバーやバイク・自転車の運転者にいち早く気付かせて、つまり自分の身は自分で守るという心掛けが大事ということですね。



横断歩道を渡りましょう




こ  
タグ :交通安全


Posted by 矢野町交流広場 at 14:29Comments(0)イベント等報告

2012年09月27日

『矢野町交流広場ニュース9月号』

『矢野町交流広場ニュース2012.9.25号』をお届けします。

今回は表裏2面でもり沢山です。内容は、福田眉仙生誕地石碑の建立矢野小学校の最後の運動会、そして矢野町の地域交通実現に向けて交通ヒアリング第3回の「矢野町ふるさと自立計画」策定のための寄合いについてです。どうぞご覧ください。


   
表                裏
(画像をクリックすると大きくなります)




第4回「矢野町ふるさと自立計画」策定のための寄合いは、10月19日(金)19時から榊の西教寺で行います。どなたでも参加できます。次回は今回作った将来イメージを実現するための取り組みを考えます。


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タグ :ニュース


Posted by 矢野町交流広場 at 15:08Comments(0)「交流広場ニュース」

2012年09月27日

ヒガンバナ




今、矢野町に入るといたるところで鮮やかな赤色が目に留まります。
そう、先週から稲刈りが始まった田んぼの畦や川の土手でヒガンバナが咲き誇っています。これだけ畦にきっちりとヒガンバナがあるところは、近くでは少ないんじゃないでしょうか。矢野の風物詩ですね。

ヒガンバナ(彼岸花)ってお彼岸(秋分の日を中心に前後3日)あたりに咲くからヒガンバナっていうそうです。でも昔に比べ開花時期が遅くなっているように思うのですが、どうでしょう?温暖化の影響?

あと、ヒガンバナは稲作が中国からやってきた時に一緒に来たそうです。ヒガンバナは球根部分(ヒガンバナって球根植物だったんですね)に毒性があって、ネズミやモグラや虫など田を荒らす動物を避けるために畦や土手に人為的植えられたそうです。なんか今のシカ被害を連想しますね。有史以来害を及ぼす動物に手を焼いていたのですね。

時には子どももかな。小さいとき、「ヒガンバナは毒があるから行ったらあかんで」って大人から言われた記憶があるのだけど、それは子どもが田んぼに悪させんようにいうことだったのかな。

今、不意に思ったのですが、今ある畦のヒガンバナは太古の昔に人為的に植えられたヒガンバナの名残ということですよね。それで、これだけきっちりと畦にヒガンバナがあるということは、昔から地割が変わっていないということですよね。圃場整備の影響もあまりなかった。つまり、太古の昔から、矢野荘の頃と地形や地割・地目が変わっていない。これは、都会に近い平野部の農村ではすごいことなんじゃないでしょうか。やっぱりこれは「売り」になりますよ、「都会に一番近い農村、矢野町」























こ  
タグ :ヒガンバナ


Posted by 矢野町交流広場 at 14:02Comments(0)推進員のつぶやき

2012年09月24日

今年もアキランサス




今年も「いぶき」の花壇に、昨年紹介させていただいた岩崎さんのアキランサス(詳細はここをクリック)が植えられました。通常のアキランサスと葉っぱが大きく品種改良された大型アキランサス「播州」(黄色)と「赤穂」(赤色)が植えられています。播州と赤穂、よく見ると色だけではなくて葉っぱの感じも違いますね。

アキランサスは花が変色するのではなくて、葉っぱ自体が秋になると赤色と黄色に変わるめずらしい植物です。密集した葉っぱの赤と黄のコントラストをお楽しみください。11月いっぱいまで楽しむことができます。



大型アキランサス「播州」


大型アキランサス「赤穂」



通常のアキランサス



こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 11:57Comments(0)NPO法人いぶき

2012年09月21日

第3回ふるさと自立計画寄合い

9/17、夜7時より3回目の「矢野町ふるさと自立計画」策定のための寄合いを行いました。今回は少しでもこの寄合いを地域の方に知っていただこうと場所を矢野公民館から才元の里ふるさと交流館に移し、中野の方にも声をかけさせていただきました。当日のその時間は、急に雨足が強くなり足もとの悪いなか、17名の方が集まってくださいました(うちオブザーバーとして県・市より3名)。

前回までは、地域づくりとは何か、から始まり、矢野町の現状把握ということで地域の抱える課題と矢野町の自慢できるお宝を出し合いました。そして、今回のテーマは、「“地域の将来像、目標”は??将来イメージを考えてみよう!」です。

今回は中野から4名の方が参加くださったので、中野地区と策定委員の2班に分かれて、前者は中野地区の後者は矢野町の将来イメージを各自出し合って、最終的に「中野は、将来こんなだったらいいなぁ」、「矢野町は、将来こんなだったらいいぁ」という形でポエム的にまとめました。ぼくは中野地区の班に入れていただきました。

それでは結果を紹介しましょう。中野地区の班から

私たちが暮らす中野地区は、

一.中野は、集落が一つの家族みたいに暮らせるところだったらいいな・・・
一.豊かな自然(川やたんぼ)と一緒に暮らせるところだったらいいな・・・
一.ホタルや魚、だれもが暮らせるところだったらいいな・・・
一.ふるさと交流館にいろんな人が集まって活き活きと暮らせるところだったらいいな・・・

となりました。中野地区の班は50歳以上の班となったのですが、これを見るとみなさんが子どもの頃実際に過ごされた中野の村風景のように思います。時代の流れとともに、あるいは流れに乗って、村のかたち・自然(生き物含め)の様子が変わってしまいました。あの頃は思わなかったけれど、便利さ・快適さと引き換えに無くしていったかけがえのない幸せなものを感じ取ったのかもしれません。

続いて、策定委員のみなさんの班では、

私たちが暮らす矢野町は、

・住人が自分たちの村を胸を張って大好きだといえるようなところだったらいいな・・・
・昔から受け継いできた歴史・文化・農業、今ここにあるものの良さを再認識できるようなところだったらいいな・・・

ほんとにそうですね。矢野町の地域づくりは、矢野町に人が来て住んでもらおうという矢野町への定住が最上位の目標にありますが、そのためには住んでいる人たちが「自分たちの町が大好き」と言えなければなりませんね。自分たちが好きでもない町に人はこないですから。

二つ目のまとめについていえば、太古から積み重ねられてきた由緒ある歴史、そして受け継がれてきた文化に農業-農業はアグリカルチャーといいますからこれも文化ですね、これらを地域の大事な資源・お宝と捉えている視点がここあります。それを再認識できる動きをしましょうということですね。

ということで、次回の第4回ふるさと自立計画策定のための寄合いは、これら矢野町あるいは中野の将来イメージを少しでも実現するための具体的な取り組みを上げていきます。ここからが自立計画策定の佳境に入っていきます。

 

中野地区班


策定委員班


発表(策定委員班)


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:08Comments(0)地域づくり事業

2012年09月20日

交通ヒアリングで考えたこと-QOL

昨日、第1弾の交通ヒアリングが終わったという報告をしました。今回のヒアリングで少し思ったこと、考えたことがあります。それは、「QOL(quality of life)」(クオリティ・オブ・ライフ)ということです。

「QOL」は、そのまま人生の質とか生活の質と訳され、広義ではよりよい環境で仕事や生活を楽しむ豊かな人生をいいますが、最近では医療や介護、福祉の分野でその言葉をよく耳にします。患者さんや高齢者の方の生活の質を向上させることで、患者さんも高齢者も一人の人間として尊厳や人間性・主体性を取り戻そうという考え方です。

たとえば、介護ではお年寄りにはできるだけ流動物ではなくて固形物を自分の手で口から食べ物を食べてもらおうとしています。それは食べるという行為が、楽しみを喚起する行為であり人間性ある行為だからです。また自分でやることが意欲や機能低下を防ぐことになります。そこには、食べ物にとろみをつけるとか細かく刻むとか幾重もの工夫が必要となります。お世話をさせていただくということは、その方のためにいかにもう一つ手間をかけることができるかということではないでしょうか。

交通ヒアリングに話を戻しまして、ある集落で現在の交通事情、買い物や通院についてお聞きした時、一人暮らしのおばあさんがいいました。「今、体は元気で病院には行っていませんし、買い物は週一回、宅配に頼んで持ってきてもらうので不便なことはありません」。

(そうか。無ければ無いで何とかなるのか)

このおばあさんは、近所の方に自分たちのことやから一緒に行こうと誘われて歩いてこられました。普段は畑仕事をされています。つまり、足も元気で動けるということですね。それにしても、こうやって近所の方が気にかけて誘え合える関係があるっていうのはすばらしいことです。

話が進んでいって、ある方が「やっぱり商品は自分の目で見て選びたいよね」という発言をされました。

(そうなんや、そういうことなんや。今ある状況においてしょうがないから、日常品も手に入るし「不便ない」ということなんや)


これこそQOL(クオリティ・オブ・ライフ)ということをいっているのではないでしょうか。体も元気で動ける。しかし、自分は運転できないし気軽に気兼ねなく使える足がない。もし、そんな交通手段があれば、さらに地域で乗り合って移動できる手段があれば、お仲間と一緒に買い物に行ったり、おしゃべりを楽しむことができる。

なぜ、地域交通をやるのか。地域交通は、地域に住む人たちのQOLをより高めるためにあるのです。そして、矢野が目指す地域交通は、単に人を目的地まで運ぶものではなく、地域の絆も育むものであってほしいと思います。むしろ、そちらの視点を重視したい。そういう意味で乗り合うことのできないデマンドタクシーは最終形ではないといえます。

もう一つ、ヒアリングの中で、今はいいけど自分で運転できなくなった時が心配ということでした。そして、車の運転が一番楽だから、そうなったらもう足も弱っていてバスに乗れないのではないかという意見もありました。つまり、テクノ線に乗り継ぐためのデマンドタクシーやそれに代わるだけの地域交通(ドアtoドアではないということ)は、意味をなさないということになります。

でも、地域交通が乗り合いができて地域の関係を築くものであれば、そこをもう一つの目的とすれば話は変わってきます。地域交通が地域の絆を育むものであれば、高度成長期のようにだれもが一人では生きていけず、これから助け合い支え合っていかなければいけない世の中において、地域交通はその面でのQOLを上げてくれるものとなります。





こ  
タグ :交通QOL


Posted by 矢野町交流広場 at 14:49Comments(0)推進員のつぶやき

2012年09月19日

第1弾交通ヒアリング終了しました

先日お伝えしていましたとおり、今後ますますお年寄りなど交通弱者が増えていく中、将来の矢野町における交通のあり方を考えるという趣旨で、9月7日から9月12日にかけて矢野町の交通ヒアリング第1弾が開催されました。このヒアリングは矢野町の各集落に入って直接住民の方から、特にお年寄りの方々から矢野町における交通の現状や意見をうかがおうというものです。

今回のヒアリング第1弾は、矢野町北部の榊、釜出、金坂と西部の小河、上土井のウェスト神姫テクノ線から比較的離れた集落を対象とし、相生市地域公共交通総合連携計画の策定を進めている相生市まちづくり推進室と矢野町の地域交通のあり方を検討している矢野町まちづくり推進委員会の共同で行われました。

このヒアリングは、生活者の生の声を直にうかがうことができ、ほんとに有意義なものとなりました。それは手間をかけて各集落ごとにおこなったことによります。みんな顔見知りという気安さと車座になって打ち解けた雰囲気の中でいろんなことを話していただくことができました。これこそ「寄合い」です。「場づくり」は大事ですね。

今回参加いただいた女性の方が、「自分たちの生活の足のことやから絶対に行こういうて、友達を誘って来たんや」と言われました。また「これだけは言おうと思って来ました」とおっしゃられた方もいて、ありがたく思いました。

さて、ヒアリングの内容ですが、細かなことは書けませんが、どの集落も共通的なことが多いですね。ほとんどの方の交通手段が車で、お年寄りでも買い物や通院など自分で運転されており、今は特に不便は感じないが運転できなくなったときが心配といわれます。今だからこそ、その時のために手を打たないとというところでしょうか。

今回のヒアリングでどの集落でも言われて一番思ったのは、バスのテクノ線が相生駅止まりということですね。矢野の人にとって相生での買い物・病院となるとコープや播磨病院など、また市役所など公的機関はその先の港の方にあるので、バスが駅止まりだと不便で使いにくいということですね。連絡も悪いと聞きます。この点が改善されないとデマンドタクシーあるいはその他の手段でテクノ線につなげても利用が図れないということがわかりました。

デマンドタクシーの利用について利用者が少ないということですが、大部分の方は今自分で運転できたり、家族の方に送迎してもらったり、その必要性が無いというのが最大の要因です。しかし、「デマンドタクシー助かっています」とおっしゃられる方も確実に切実におられましたので存在意義はあります。

それ以外にも、矢野の人はバスに乗り慣れていないというのも一つの要因であることが分かりました。またデマンドタクシーというシステムそのものがとっつきにくく分からないということもあるようです(1時間前までにタクシー会社に電話予約)。

それで、デマンドタクシー利用促進のために一度、デマンドタクシーを利用したバスの乗り方講習会を開催してもいいなと思いました。一回みんなでデマンドタクシーを呼んでバスに乗って港まで行ってみませんか。体験乗車みたいな。帰りも同様に。ちょっと検討してみましょうか。

ということで、矢野町まちづくり推進委員会は、このあとの第2弾、第3弾交通ヒアリング含めみなさんの意見をまとめ上げ、いろんな制限がありながらも現実的で矢野町にとって一番いい地域交通のあり方を探り作っていきます。そして結果をまたみなさんにフィードバックしてよりよいものを作り上げていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

今回第1弾交通ヒアリング実施地区以外の集落も第2弾(10月)、第3弾(11月)と交通ヒアリングを実施して参りますのでよろしくお願いします。





榊地区 (9/6)



釜出地区 (9/7)



金坂地区 (9/10)





小河地区 (9/11)



上土井地区 (9/12)
(上土井の方すみません。ヒアリング中の写真撮り損ねました)



こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:46Comments(0)イベント等報告

2012年09月18日

福田眉仙生誕地見学会

現在、相生市制施行70周年記念事業で「福田眉仙展」が相生市民会館で開催されていますが(27日まで)、その一環として昨日(17日)、「生誕地を訪ねて」と題して福田眉仙生誕地の見学会がありました。市外からの参加者も多数あって、43名の参加者はバスに乗って、午後1時、集合場所の市役所を矢野に向けて出発しました。

当日は、台風の影響もあって午前中風雨でしたが、ちょうど見学会の時は雨は止みました。1時15分頃バスは矢野公民館に到着し、ぼくはここから参加です。






1番目の見学地、眉仙の生家に向かいます


1 福田眉仙画伯生家


福田さんご夫妻が迎えてくださいました

眉仙さんは9人兄弟の7男です(兄弟みんな男)。現在お住まいの福田さんは、眉仙さん兄弟の長男さんのお孫さんになるようです。ご主人は眉仙さんに似てらっしゃいますね。


この建物は眉仙さんが住んでおられた時のお家そのものだそうです


2 顕彰碑「生誕の地瓜生」


先日、瓜生公民館入口に立てられた顕彰碑に行きました
黒御影石に描かれた眉仙の写真と簡単な年表が刻まれています




3 筆塚


眉仙が永年愛用した筆10本と墨が納められています

昭和40年に有志によって建てられました。実はもともとはこの場所(「里の店」前の羅漢さん入り口)ではなかったようです。



裏面は郷土史家小林楓村氏による撰文
日米親善に貢献したとあります


4 瓜生羅漢石仏


眉仙が生前最も描いたのではないかと思われる羅漢石仏を見に行きます








眉仙は向かいの山壁の高い位置から描いているようです



このあと一行はバスに乗って最後の見学地で眉仙ゆかりのお寺「光専寺」へ行きますが、ぼくはここで失礼しました。


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:42Comments(0)イベント等報告

2012年09月14日

矢野歴史講座4-「悪党」について

今回は、「悪党」について勉強しましょう。

『相生市史』によれば、悪党とは、大まかな定義として

「鎌倉時代中期以降の政治の行き詰まりと社会構造の変化が生みだした、新しい政治と社会を目指す者たちの動きであり、鎌倉時代中後期特有の歴史的産物」(『相生市史第1巻』pp.613-614)

としています。「新しい政治と社会を目指す者たちの動き」、なんかかっこよく書いてありますね。果たしてそうなのでしょうか。

『播磨国風土記』に次いで古い播磨の地誌に『峰相記』というものがあります。南北朝の時代に書かれたもので、当時の悪党の様子がこと細かく書かれています。それによると、「播磨では殊に、悪党が大勢、一斉に立ち上がって実力行使の挙にでるという評判でございます」と、ここ播磨地域は悪党が盛んであったと認識されていたようです。

では、悪党はどういう行動をとったのでしょうか。『峰相記』によれば、

「あちらこちらで乱暴をし、海辺では、海賊をし、急に押し寄せて物を取り、強盗、山賊、追剝ぎと、絶えることは無く、(世間の人とは)類を異にするというか、とても普通とはいえない様子で、人として、ふみ行う道からはずれています」

「まったく、約束を承知するなどの、正しいことはしません。博打や博奕が好きで、かくれて物を盗むのを仕事としています」

「しきりに、奪い取り、乱暴をし、(勝手に)田(の稲)を刈り、畠(の収穫物)を刈り、攻め入り、奪い取り、結局は、(無事に)残った荘園が、あるはずだとも見えないのです」

『峰相記』は、おそらく体制側の人間によって書かれたものであろうけれども、それにしても酷いものですね。幕府は何度か悪党の鎮静を図ろうとしたようですが、あまり効果はなかったようです。

では、悪党にどういう人たちがいたかということですが、『兵庫県史』には次のようにあります。

「その主力は特定の階級や階層ではない。地頭御家人であり、荘園の雑掌・代官あり、問丸・借上あり、浮浪人・犯罪者あり、その構成は雑多である。(中略)基本的には地方領主・地主・商人・運送業者・高利貸・代官請負業者の利害を中心に行動しているので、最大の被害者は農民ということになる。というのは、刈田狼藉から殺人、合戦まで、ことごとく農民が犠牲に供されるからである」(『兵庫県史第2巻』p.537)

要するに、悪党とは現社会に、すなわち当代政権を担っている鎌倉幕府に対し不満をもつ反体制的群像なのです。そして、悪党の反社会的で反道徳的行為はその不満を昇華するための行為だったと位置づけられるでしょう。

ここで見落としてはならないのは、悪党の行為によって最も犠牲を払ったのは、田畑を好き勝手荒らされた農民だということです。すなわち矢野みなさんの御先祖様だということですね。悪党というと、アウトサイダー的に体制側と戦った人たちと捉えられヒーローのように扱われますが、決して称賛されるべきものではないとぼくは思います。

ご先祖様もやられっぱなしではありません。次第に結束を固め、「惣」という自衛的な村組織を形成し戦うようになります。郷村制(ごうそんせい)の始まりです。ようやくここまでたどり着きました。実は「惣」という村組織、ここに持って来たかったのです。「惣」とはどういうものか、次回以降見ていきましょう。

悪党にもどって、『相生市史』には、
「(悪党は)たいへんな乱暴狼藉をはたらいたわけだが、その内容は、荘園領主に納めるべき年貢米を横領したばかりでなく、百姓個々人に対しても乱暴を加え、その結果百姓ともするどく対立するにいたった。百姓との対立は、悪党の多くに共通する」(『相生市史第1巻』p.615)と書かれ、

「『人目をはばかって恥を恐れる気色さらになし』といわれる悪党たちの倫理的な退廃がじゅうぶんに克服されないかぎり、政治勢力としての悪党の大結集が困難」(同上p.621)と言いきっています。

最後に、「われは播磨の悪党なり」と宣言した矢野荘の大悪党、寺田法然はどうなったか述べておきましょう。法然は一族郎党と近隣の地頭御家人らを語らって、矢野荘の他の荘園(別名)にも押し入り、年貢米をはじめ手当たり次第奪い取り、殺害、強盗、放火などの数々の悪行を何度も働きました。東寺は幕府に訴えますが、幕府は有効な処置を取ることができません。

そこで、当てにならない幕府を尻目に、ご先祖様農民と東寺の寺家使の結束により数回の合戦のち寺田悪党を撃退しました。こうして寺田氏は没落し、西播磨の開拓から始まった秦氏の相生における歴史が幕を閉じます。

矢野歴史講座いよいよ佳境に入って来ました。ここで少し休憩して再び始めます。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:42Comments(2)矢野歴史考

2012年09月13日

矢野歴史講座3-矢野荘のおこり

矢野歴史講座、今回は「矢野荘のおこり」です。

平安時代後半、赤穂郡の郡司(この相生・赤穂辺りの役人・権力者。今でいうと相生あるいは赤穂市長でしょうか)であった秦為辰(はたのためとき)が、その地位を利用し、その地の農民を動員して現在の陸・那波・佐方あたりを開拓させました。これが「久富保(ひさとみのほ)」です。

為辰はこの久富保を貴族に守ってもらおうと、国司(今でいうと県知事でしょうか)播磨守(はりまのかみ)、藤原顕季(ふじわらのあきすえ)に寄進します。

その後、顕季の孫で鳥羽上皇の寵姫(ちょうき:君主が寵愛する侍女)美福門院が、1136年荘園を申請し翌年「矢野荘」として承認されました。このとき、申請された荘園の範囲は、開拓された久富保だけでなくもとからあった矢野・若狭野の地含めて申請されため、矢野荘は大きな荘園(兵庫県で2番目の大きさ)になりました。これがほぼ今の相生市になるということです。

ということで矢野荘は大きく二つに分けられます。一つは矢野・若狭野エリアでそこを「惣荘(そうしょう)」と呼びます。もう一つは新たに開拓された那波・佐方エリアで「浦分(うらぶん)」と呼びます。

また、矢野荘はそこで財としてとれる米の用途からも二つに分けられます。例名(れいみょう)と別名(べつみょう)です。惣荘の6割と浦分全部が例名として領家(美福門院)の財へ、惣荘の残り4割が別名として歓喜光院の建設費用に回されました。要は、別名は今でいう特別会計ですね。矢野荘はこのあと変遷があって最終的には、例名が東寺に、別名が南禅寺のものとなります。

問題が発生します。時代は鎌倉幕府の時代となり全国に守護・地頭が配置されます。矢野荘にも鎌倉御家人の海老名氏が地頭として送り込まれてきます。そうすると、俺にも荘園の分け前を寄こせ、ということで争いが起きます。

ここでちょっと矢野荘(例名部分)に関わる職を確認しておきましょう。本家職・領家職が美福門院から最終的に東寺に、矢野荘現地では、預所職は領家からの代官、公文職が開拓者の子孫寺田氏、地頭職が海老名氏となります。

そうすると、現地に三人の権利者が錯綜し混乱します。預職の代官と地頭職海老名氏で取り分の争いがあって、最終的に矢野荘(例名)を東西に分け、領家の支配する土地(西方)と地頭の支配する土地(東方)に区分します。これを下地中分(したじちゅうぶん)といいます。

そこで、割に合わないのが公文職の寺田氏です。下地中分によって領家である東寺は寺田氏の公文職を解任し、寺田氏は個人の土地である重藤名も1/4を失うことになります。寺田氏は秦氏の末裔といわれており、そうだとすると、もとはといえば先祖の秦為辰が開拓した久富保から始まり、権利を確保するために寄進した矢野荘なのに、自分の持つべき権利が一切奪われてしまったのです。

そこで、寺田氏、特に寺田法然は自分の権利を主張するために不満をぶつけ、打ち壊しや放火、狼藉など反社会的行為を次々に起こしていきます。これが「悪党」です。

ということで、次回は悪党についてです。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:55Comments(0)矢野歴史考

2012年09月12日

矢野歴史講座2-荘園とは

3月に矢野で開催した「三濃山シンポジウム」松本恵司先生の講演の中で、この辺りは矢野荘(やののしょう)という荘園の一部で、矢野荘全体としては今の相生市とほぼ同じなんだよということでした。かなり大きな荘園ですね。兵庫県で2番目に大きな荘園だそうです。

この矢野荘は学術的な分野で全国的に有名なんですね。というのも、矢野荘は最終的に京都の東寺(東寺は嵯峨天皇により弘法大師に下賜され、真言密教の根本道場になる。ここにも弘法大師が顔を出します)の荘園になりますが、その頃矢野荘で起きた出来事などが記された古文書が残っているからなんですね。「東寺百合文書」といいます。そこから中世の荘園の様子や人々の生活・信仰の様子がわかります。

つまり、日本の中世がどんなだったかは、「東寺百合文書」によって矢野荘の様子、すなわち自分たちご先祖様の事実な事柄からわかるということなんです。これ、すごいことだと思いません? 矢野荘が日本の中世史を代表するのですよ。ということで、「矢野荘」というブランドは今後の矢野の地域づくりにおいて強力な武器になり得ると思います。

で、今日は少し原点にさかのぼって、「荘園」とは何かについて話しておきましょう。


荘園発生の背景
645年大化の改新により律令政治が始まります。おおざっぱにいえば法による政治です。そして、公地公民制度(土地も人も国のもの)、班田収授法により口分田が国から個人に分け与えられます。

しかし、時代が進むと、口分田が荒廃し、また人口増加で口分田が足らなくなります。そこで、為政者は723年に三世一身の法(開墾した土地は3代に限り私有地)を出しますが効果がないので、743年に墾田永年私財法を出し、墾田は永久に私有であることを認めました。

荘園とは
しかし、私有地には税が掛かりますので、開墾者はなんとかそれを逃れようとします。そうしてできたのが荘園です。税がかからないのは身分の高い貴族か寺院なので、そこを本家として開墾した土地を彼らに寄進し、守ってもらおうとしました。それが寄進系の荘園です。この場合、開墾者は主に地方の権力者になります。矢野荘はこれになります。一方、開墾者が貴族や寺院自身なのを自墾地系荘園といいます。

荘園には、不輸・不入の権といった特権ができます。不輸の権:税を納めないでよい権利。不入の権:国司の検田使が荘園に来るのを拒否する権利。

荘園の複雑な関与者
しかし、このように貴族や寺院に寄進することによって、一つの荘園に対して関与する人間(権利者)がたくさん出来てきます。以下のとおり。

本家職:名義上の所有者。領家職を指名
領家職:現地を管理する預所を指名
預所職:現地管理する代官
公文職:荘園を差配する現地有力者(開墾者)
地頭職:鎌倉幕府が送り込んだ管理者
名主職:実際の田畑の管理者
作人:名主のもとで田畑の耕作者

結局、一つの荘園に権利者が錯綜し、特に現地での権利者(預所職、公文職、地頭職)がトラブルの原因となります。


今日はここまで。明日は「矢野荘のおこり」です。



  
タグ :荘園矢野荘


Posted by 矢野町交流広場 at 13:31Comments(0)矢野歴史考

2012年09月11日

矢野歴史講座1-前書き

今年始めに、「矢野歴史考」ということで三濃山のことや泰河勝と矢野との関わり、地名のことなど古代の矢野について書いてきました。

今回は中世の頃の矢野、全国的にも有名な「矢野荘」のことについてシリーズでちょっと書いてみたいと思います。特に私たちのご先祖様はどのように生きてきたか、当時の矢野に暮らす人々に焦点を当てて書いてみたいと思います。

というのも、この頃の村落は惣村といって住民自治がしっかりした時代でした。これから自律した地域づくりを目指す矢野にとって、ご先祖様の頃の村落の仕組みや彼らの生き様は参考になると考えるからです。そこから何が見えてくるか、楽しみです。今回書こうとしている矢野歴史講座「矢野荘」シリーズは、今年4月から6月の勉強会で取り上げた内容です。

と、その前にこれまでのおさらいということで、これまでに取り上げた、言い伝えや伝承・記録などで古代の矢野に関わる人物を整理しておきましょう。


恵便・恵聡
朝鮮半島から仏教を伝えるためにやってきた僧侶で、奥矢野に隠棲し羅漢石仏を彫ったという伝承が残る。矢野に最初に登場する歴史上の人物である。

泰河勝
西播磨一帯の開拓に貢献した秦氏の当主で、聖徳太子の側近。河勝をまつる大避神社が西播磨一円にある。能下にある三本卒塔婆伝説は有名。

柿本人麻呂
矢野神山を詠んだ万葉歌。森の磐座神社に歌碑

弘法大師
三濃山を霊地として山岳信仰を広めようとした言い伝え

秦内麻呂
赤穂郡司。三濃山求福教寺を創建(864)。千手観音の脇士に聖徳太子と弘法大師が奉られている

源義家
義家の保護で三濃山が最も栄え、三濃千坊といわれる。しかし、その後保元・平治の乱(1156,1159)で伽藍消失し、三濃山荒廃


このように矢野(奥矢野)は、古代において歴史的な人物にまつわる伝承が数多く残されており、歴史的な由縁のある土地柄であり、矢野荘しいては相生市の原点ともいえます。その頂点に三濃山があります。

また、秦氏、秦河勝、秦内麻呂、このあと出てきますが、矢野荘おこりの基礎となった久富保を開拓した秦為辰というように古代から中世にかけて相生を形作ってきたのは秦氏一族というのがわかります。

先走ってもう少し言ってしまえば、秦氏の末裔で悪党になった寺田法然の没落によって、秦氏は相生の表舞台から去っていきます。

とにかく、矢野は、古代から中世にかけて歴史的な人物が何人も顔を出す歴史的由縁のある地域だということを覚えておきましょう。

とりあえず今日はここまで。


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:43Comments(0)矢野歴史考

2012年09月07日

真っ白なお花




          今、「いぶき」の西側のフェンス沿いに、

          真っ白な可愛らしいお花がぎっしり咲いています

          なんかほんのりいい匂いもします

          ハチカナブンもやってきました

          これは、なんてお花?








こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 12:08Comments(0)推進員のつぶやき

2012年09月06日

今月の「矢野っこひろば」(9月)

9/5、9月の「矢野っこひろば」が開催されました。
今回は、スーパーボールとヨーヨー取り。
外は暑いのでお部屋でやりましょう。

食べ物は、ポップコーンとそうめんをいただきました。
ポップコーンはその場で実演です。

では今回も、ちびっ子の可愛い表情をお楽しみください。






取れた


袋にいっぱい




ポップコーンを作ろう。コーンを入れて


あら不思議。変化しました


お味はどうですか


いけますね















そうめんができました。お母さんにトッピングしてもらいましょ





つるつる























最後は、お茶だな










ほっぺにご飯粒ついてるよ








お母さん、靴下履くから待って~



来月は、芋掘りです


こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 12:22Comments(0)矢野っこひろば

2012年09月05日

矢野町の交通ヒアリングします

昨年来より、矢野町では矢野町まちづくり推進委員会の協議組織として「矢野町地域協議会」を立ち上げ、矢野町住民の、特にお年寄りの足となる将来矢野町の地域交通をどうするべきか、「矢野町における地域交通のあり方について」検討してきました。

検討会議の中で、住民のみなさんに、現行のデマンドタクシーの運行含め矢野町の交通について現状はどんなか、あるいは将来に向けてどうあってほしいか、アンケートあるいは直接お話をうかがって(ヒアリング)、住民の皆さんの声をお聞きしたいと考えて参りました。

相生市も市としての「地域公共交通連携計画」の策定を進めており、市内のそれぞれの地域でヒアリングをする計画が組まれています。

そこで、この度、矢野町は市と共同でヒアリング会を開催することになりました。矢野町は地域交通に関して他地域より先行して進めていることもあって、また集落ごとに事情が違うこともあり、きめ細かくより多くの方にお話を伺い、それを将来の矢野町の地域交通に反映していきたいと、集落ごとにヒアリングを行います。

まずは、第一弾として下記の5集落について下の日程でヒアリングを行います。それぞれの集落の方の参加をお待ちしております。特に、お年寄りの方に、こういうことで困っているとか、いろいろお話を伺えればと思っていますので、お隣・近所、お友達で誘い合って参加いただけたらうれしいです。


「矢野町の交通のあり方についてヒアリング」


            9月6日(木)  榊地区

            9月7日(金)  釜出地区

            9月10日(月) 金坂地区

            9月11日(火) 小河地区

            9月12日(水) 上土井地区


           時間はどこも15:00~17:00
           場所はそれぞれの公民館です






こ  
タグ :交通


Posted by 矢野町交流広場 at 16:34Comments(0)お知らせ・案内

2012年09月04日

実りの秋


交流広場前の田んぼ(上)[2012.9.3撮影]



『実るほど頭を垂れる稲穂かな』



こうありたいものです


こ  
タグ :稲穂


Posted by 矢野町交流広場 at 15:08Comments(0)推進員のつぶやき

2012年09月03日

栗の大木 実る


栗の大木 (瓜生)


明け方は少し涼しくなリ、夜は虫の鳴き声

秋の気配を感じます

今日から子どもたちも2学期です

瓜生の例の「栗の大木」

先ほど前を通ると、いっぱい実を付けていました

すごいです

実りの秋ですね










こ  
タグ :栗の木


Posted by 矢野町交流広場 at 13:07Comments(0)推進員のつぶやき