2014年09月26日

『矢野町交流広場ニュース9月号』

『矢野町交流広場ニュース2014.9.25号』をお届けします。

今回は、「矢野再発見セミナー」前期第2回の内容と9/24に行われました地域とバス事業者ウエスト神姫さんとの懇談会の内容をお伝えしています。どうぞご覧ください。



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Posted by 矢野町交流広場 at 17:06Comments(0)「交流広場ニュース」

2014年09月22日

ヒガンバナ

お彼岸ですね。お墓参りに行かれましたか?

今、矢野町では至る所でヒガンバナの赤が咲き誇っています。
稲の黄色との対比がとてもきれいです。
(でも、稲刈りが始まりましたね)












ちなみに、白いヒガンバナもあるんですね。
ぼくん家のお隣のお家が植えられていました。









こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 14:19Comments(0)推進員のつぶやき

2014年09月18日

矢野再発見セミナー前期第2回開催

9/14、矢野再発見セミナーの前期「矢野谷の寺院と浄土真宗~軍師官兵衛の時代~」の第2回目が矢野公民館で開催され、約40名の参加がありました。今回は、「織田信長、豊臣秀吉の統一事業と矢野地域」ということで、信長と秀吉の天下統一に矢野地域がどのように関わりをもったかをみていきました。

前回のセミナーでは、当時の矢野地域では「惣村」という集落を単位とする共同体自治組織を結成し、荘園領主らの不当な支配から自ら守ってきました。そこへ蓮如の弟子の実如や実円らが播磨に入り、村ぐるみの布教活動を行うことによって集落、地域全体が浄土真宗門徒になっていきました。門徒には、海運や漁民の海民や山民もいました。

播磨での布教の拠点になったのが、英賀御堂です(姫路市英賀)。英賀の地は、当時、寺内町(真宗寺院を中心に発展した町。土塁・堀の防御施設をもち、自治を行う)が形成され、石山本願寺の西の拠点であり自由都市として栄えました。

織田信長は、「天下布武」、全国統一事業の過程で石山本願寺の顕如と対立します。1570年、約10年に及ぶ石山合戦の始まりです。顕如から諸国の門徒に対し軍事動員があります。英賀の三木氏にも出兵要請がありました。その参戦の記録の中に「地侍300人」とあります。

地侍とは、惣村の指導者で乙名(おとな)と呼ばれる有力農民(名主)や沙汰人(さたにん)と呼ばれる荘官の代理人で武士になった者をいいます。つまり、播磨から数百の惣村が石山合戦に参戦しているのが分かります。当然、矢野の集落からも指導者クラスが参戦したことが容易に想像できます。しかし、合戦では多くの死傷者を出し、以後、英賀衆(英賀門徒)は後方支援に徹します。

NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」の第10回の放送では、「毛利襲来」いわゆる1577年の英賀の戦いが描かれていました。本願寺と手を組んだ毛利軍が5000の大軍で播磨に上陸します。そのときの拠点(本陣)となったのが英賀御堂です。当然、この英賀の戦いにも毛利・本願寺側として矢野からも何らかの形で参戦しているでしょう。

戦いは、信長勢力の官兵衛側が1000という少ない軍勢ながら、相手が休んでいるところに同じ兵での二度攻撃や自領の農民に幡をもたせ太鼓やホラ貝を鳴らせて後方動員するという官兵衛の戦力を大きく見せる奇策により、毛利軍は勘違いし敗走しました。ということで、矢野は真宗門徒「英賀衆」の一員として官兵衛と敵対し戦ったのでした。矢野の民としては何とも言いがたいですね。

最終的に、1580年3月に信長と顕如が和睦し、石山本願寺は落ち、その後に英賀が攻略されます。英賀御堂は解体され、亀山本徳寺として姫路に移転させられます。その後、秀吉の世になり1582年から90年の太閤検地により、下剋上の一つの要因とされた乙名・沙汰人を廃止して本百姓にもどしました。これが、荘園の解体とともに自治村落「惣村」の解体へとつながっていきます。浄土真宗、英賀を支えた旧矢野荘の惣村も再編成をよぎなくされ、近世江戸時代の農村へと移り変わっていきます。





  


Posted by 矢野町交流広場 at 12:31Comments(0)イベント等報告

2014年09月16日

矢野歴史講座12-寄合について

矢野歴史講座、約1年ぶりのご無沙汰となります。この矢野歴史講座は、シリーズの構成や資料の準備・調査、そして原稿作成など下準備に時間がかかり、かなりエネルギーを費やします。でも、ようやく終盤にかかりました。

昨年の前回までは、矢野荘、荘園時代の地域自治・住民自治を体現した自律した村落である「惣村」に着目し、そこで結集される「一揆」というものの本質に迫りました。それというのも、これからの矢野の地域づくりにおいて、いや日本全国の地域づくりにおいて地域自治や住民自治は外せないキーワードですし、ご先祖様が築いた「惣村」の共同体自治から何かを学ぼうと考えたからです。

「矢野歴史講座6」で、惣村の主な特徴を6つの切り口であげました。①協議機関-寄合、②規約の制定-惣掟、③共有財産-入会地、④共同作業-普請、⑤年貢納入、⑥抗議行動-一揆、です。終盤の矢野歴史講座では、これら惣村の特徴のいくつかを内容的にどんなであったかを少し見ていきたいと思います。ちなみに⑥の抗議行動-一揆は前回までで終了。

さて、今回は、ぼくが共同体自治の根幹にあると考える「寄合」について見ていきます。寄合は前回とりあげた一揆の作法=起請文の作成や一味神水を行う上でも重要な役割を果たしました。さすがに当時の寄合の様子を示すものは残っていませんが、寄合自体は変化の少ない農村地域ではこの流れを汲んで近年まで続けられてきたと想像できます。

そこで、ムラの寄合の様子がどんなであったかは、民俗学者の宮本常一が著した『忘れられた日本人』(昭和35年、未来社)の中の「対馬にて」が詳しいです。そこには、宮本が戦後間もない長崎県対馬地域に調査で入った時に自ら体験した村の寄合の様子が書かれています。ほんとはその臨場感ある記述を読んでもらうのが一番いいのですが、ここではそういうわけにもいきませんので、要点だけまとめましょう。

宮本が体験した村の寄合は、全員が納得いくまで、無理をせず自然と結論に向けて落ち着くように話し合われています。だから当然、時間もかかり、昼夜問わず何時間も何日間もかけて話し合いがつづきます。かつては家族の者が食事を寄合にもってきていました。話し合いは、一つの議題に対し村びとが自分の体験・経験にことよせてゆったりと転がすように話し合われ、どんなに難しいと思われた議題も大抵は三日で結論が出たようです。このように村びとの代表たちが一丸となり精魂こめて導いた結論に対し、村びとは全員がそれをきっちり遵守します。これが寄合のもつ権威であり、暗黙のルールであったようです。

民俗学の高取正男は、この宮本が語る寄合について、「こうした場でなされる協議はまさしく話し合いのための寄合いであり、手に汗をにぎるような甲論乙駁の筋を追った議論とは正反対のものであった」。そして、寄合の話し合いを連歌に引き寄せ、「ひとつ以上の主題から発した集団の連想の環が、じっくりと腰を落ちつけ、展開するのを味わっているうちに、やがて帰すべきところにもどってゆき、すべてのものの納得のうちに集結する姿は、論理の次元とは別に見事な調和を示している」と述べています(高取、1995、『日本的思考の原型』、p.62)。これこそ寄合の妙味というものでしょうか。

寄合の話し合いの場では、いろんなしがらみの中で、今日のように論理づくめでは収拾のつかないことも少なくはなかったでしょう。そのようなときは、自分たちの体験してきたことにことよせて、誰もが不快にならないように時間をかけ、インターバルをおき、話し合いがなされました。ここに村びと相互の気遣いがみられます。

そして、どうしても話し合いの中で結論にたどりつけない時は、最後に「長に決を託す」という手法がもたれます。それは、毎日顔を突き合わし、互いに助け合っていかなければ生きていけない村落共同体ゆえのことだったのでしょう。つまり、そこには共同体としてのよりよい人間関係の維持を第一に考えていたことが見受けられます。それが寄合における運びの知恵であり、寄合における合意形成の意義といえます。

民主主義の根幹である「熟議」が重要視される今日、このようにかつての村の寄合をみていくと、中世の「惣村」時代から続く寄合はそれこそ日本の民主主義であったと思えてなりません。近代以前から日本にも(日本的な)民主主義はあったのです。しかし、それが近代以降の中央集権国家による社会構造の転換から住民レベルでの自律の民主主義は弱まっていったように思います。


  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:02Comments(2)矢野歴史考

2014年09月12日

矢野再発見セミナー前期第2回のご案内

「矢野谷の寺院と浄土真宗~軍師官兵衛の時代~」と題した

今年度前期の矢野再発見セミナー

前期の第2回「織田信長、豊臣秀吉の統一事業と矢野地域」

9月14日(日)13:30から矢野公民館で開催されます

当日、飛び入り参加もOKですので、より多くの方の参加をお待ちしております。無料です







  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:02Comments(0)お知らせ・案内

2014年09月10日

矢野米



かつては天皇にも献上されたという「矢野米」

「実るほど頭も垂れる稲穂かな」

こうなりたいものです





もうすぐです


こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 12:24Comments(0)推進員のつぶやき

2014年09月08日

「いぶき」の花壇にアキランサス



小規模作業所「いぶき」の花壇にアキランサスが植えられました。

アキランサスは、西播磨の園芸農家さんがいろんな品種を開発・育成され、全国に広めようとがんばっておられます。その打ち合わせに交流広場を使っていただいています。

アキランサスを播磨から全国へ。矢野町はアキランサスの里に。夢大きく「ガンバレー」
(矢野町とアキランサスの関わりは、以前のブログ記事「アキランサスと岩崎さん」を参照)

アキランサスは、葉っぱの形、大きさ、色、発色の具合等でいろんな種類が増えており、ますます楽しめます。



















こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 12:50Comments(0)推進員のつぶやき

2014年09月04日

今月の「矢野っこひろば」(9月)

8月、何か物足りない「夏」が過ぎてゆきました。
そして、9月に入ってもスッキリしないお天気が続きます。

昨日9/3、9月の「矢野っこひろば」が開催されました。
今回は、つるるんアップ そうめん「揖保の糸」を食べました。

(余談ですが、揖保の糸はこちらでは普通に食べていたのですが、関東に就職して初めてそうめんを食べたら、揖保の糸がどんなに美味しいか実感したのでした)



すやすやお眠りちゃん


「あ~ん」だよ


自分で食べれるね


知らないカメラのおじさん、怖がらせてごめんね


何撮ってんの


今、お口に入ったとこ ツルツル


美味しいですか


あれ、裸んぼ。こぼしちゃったのかな


冷たくて気持ちいい


お腹も張ったのでちょっとあそぼかな


トレーニングですか


ライダー かっこいいね



  
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Posted by 矢野町交流広場 at 15:01Comments(0)矢野っこひろば