2015年01月29日

『矢野町交流広場ニュース1月号』

『矢野町交流広場ニュース2015.1.23号』をお届けします。

今回の記事は、新年のあいさつ「矢野再発見セミナー」の後期1回目の模様、そして3/14,15に開催される「矢野町ふれあい交流作品展」の作品募集の案内をしました。どうぞご覧ください。



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こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 12:17Comments(0)「交流広場ニュース」

2015年01月27日

第6回「ふれあい作品展」作品募集

今日は、比較的暖かいですね。(このまま暖かくなってくれないかな~)

さて、今年で6回目となる「矢野町ふれあい交流作品展」の作品募集のご案内です。

今年も3月14日(土)と15日(日)の2日間、矢野町交流広場で「矢野町ふれあい交流作品展」を開催します。

毎年、矢野小学校、矢野川幼稚園の子どもたちの手作り作品を中心に作品展を開催してきましたが、子どもたちの人数が減って作品展がさみしくなってきています。ここはぜひ、地域のみなさんにがんばっていただいて盛り上げたいと思います。

あなたの手作り作品を、地域のみなさんに自慢してみませんかニコニコ

「へぇー、あの人がこんなの作ってんや」。「器用やなー」。「知らんかったわ」。「すごいなー」
(あちこちから感嘆の声が)

一人でも多くの方の出展をお待ちしております。


詳しくは、下のチラシをご覧ください。



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こ  
タグ :作品展


Posted by 矢野町交流広場 at 16:00Comments(0)お知らせ・案内

2015年01月23日

神戸新聞に写真展の記事が



先日ここで、宍粟市のカフェ&ギャラリー「ひまわりの家」で開催しているグループ写真展で、ぼくが矢野町の写真を出展していることをご案内しましたが、一昨日神戸新聞さんの取材があり、本日(23日)の朝刊にその記事が掲載されました。
今月31日まで(水曜~土曜+25日午後)開催していますので、よかったら足をお運びください。



神戸新聞の記事
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タグ :写真展


Posted by 矢野町交流広場 at 12:11Comments(0)推進員のつぶやき

2015年01月21日

「矢野再発見セミナー」後期1回目つづき

「矢野再発見セミナー」後期タイトル「矢野荘の残照Ⅰ~赤穂義士の時代~」。第1回目のサブタイトルは「大名・旗本支配と矢野地域」。昨日のつづきで、江戸城松の廊下刃傷事件について少しみていきましょう。

松の廊下で浅野内匠頭長矩が斬りつけた相手、吉良上野介義央(よしひさ)は、高家の筆頭として勤務し(いわゆる名門です)、将軍綱吉の信任を得ていました。高家とは、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職で、またはこの職に就くことのできる家格の旗本(高家旗本)を指します。つまり、義央は長矩の上司・指導者になるのでしょうか。先生によると、吉良家の菩提寺の名前も花岳寺だとか。何の因果か。

そして、時の将軍綱吉は生類憐みの令などで悪政名高く、別名「犬公方」。綱吉は母桂昌院に女性最高の官位「従二位」の官位を授与するよう朝廷に画策していました。事件のあった1701年(元禄14年)3月14日は、天皇の勅使によって桂昌院に従二位の授与が宣下される予定でした。


午前11時頃、江戸城松の廊下。浅野内匠頭長矩が吉良上野介に斬りかかる。
「この前の遺恨、覚えたるか」。

将軍綱吉、永年の悲願達成の日に江戸城を血でけがされる。
綱吉の処断-長矩の即刻切腹、赤穂藩の改易(領地没収)。

長矩への事情聴取、「遺恨あり」

18時頃、長矩、切腹。


長矩にどんな遺恨があったのでしょう。刃傷の原因は諸説紛々あるようです。その中でも有力なのが、上司・指導役の上野介への賄賂が少なかったことによる不当な扱い→接待の失敗→他(老中)の面前での叱責という屈辱のようです。確かに、元禄期は物価が上昇し貨幣価値が大きく変動するなか、長矩が勅使饗応にかけた費用は他の者と比べても少なかったようです。

ということで、矢野再発見後期セミナーの第1回目はここまで。秀吉以降、赤穂郡・赤穂藩の領主の変遷から矢野地域との関わり、そして松の廊下刃傷事件まで一気にたどった、ワクワク・ドキドキ、大変面白いセミナーでした。この続き、いよいよ討ち入り?、第2回目が楽しみです。次回も多くの方の参加をお待ちしております。



討ち入り装束


討ち入りの映像。ほんとは雪は降っていなかったらしい


石高の説明。石高によって租税や使役の量が決まる


  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:42Comments(0)イベント等報告

2015年01月20日

「矢野再発見セミナー」後期始まる



1月18日、「矢野再発見!セミナー」の後期第1回目が開催されました。約60名の方に参加いただきました。

この歴史セミナーは、秦氏の開拓から始まり全体史との関わりの中からその当時の矢野地域をみてきています。前期セミナーは黒田官兵衛の時代、惣荘一揆などで矢野の住民が最も自律していた中世「矢野荘」を勉強しました。

その後、矢野地域は秀吉の太閤検地後矢野荘は解体され近代に入るまで、領主が頻繁に変わったり分割支配されたりして、住民の表だった活躍がありません。そういう意味で、江戸時代の矢野地域を扱う本セミナーのタイトルを「矢野荘の残照」としました。江戸時代、休眠中の矢野荘=相生市は近代に入り造船で息を吹き返します。

そうは言っても、矢野地域の神社には赤穂義士四十七士の絵馬が数多く掲げてあり、浅野家の菩提寺である花岳寺の別院が小河の観音にあり、矢野地域と赤穂藩主とのつながりを感じます。そこで、後期セミナーは2回に分けて日本で最も演じられる戯曲「忠臣蔵」を色に添えてその頃の赤穂藩・矢野地域を見ていきます。

今回、山口先生は、秀吉以降の赤穂郡(赤穂藩)領主の変遷を丁寧にたどり、浅野内匠頭長矩が吉良上野介を切りつけた「江戸城松の廊下刃傷事件」までつなげられました。あらましを見ていきましょう。

①秀吉が天下をとり、播磨は秀吉の直轄地(蔵入地)と数名の側近大名が支配

②赤穂郡は最終的に57万石岡山城主になる宇喜多氏の支配下に編入
  宇喜多氏の家臣 宇喜多忠家が那波4ヶ村の領主、岡豊前守が上矢野・下矢野

③関ヶ原の戦い後、池田輝政が播磨に入部(姫路藩52万石 後に62万石に修正される)
  輝政の末弟、長政に赤穂郡2万2千石給付。赤穂城預ける
  1603年、長政が下津井に移転になり、赤穂郡は輝政の直轄とし代官を派遣支配

1613年、輝政の死去後、幕府の命令で輝政の子兄弟(利隆、忠継、政綱、輝興、輝澄)に播磨は分割されていきます。そのうち赤穂郡に着目して支配をたどっていきますと

④利隆が姫路藩を相続。その際、宍粟郡・佐用郡・赤穂郡を忠継に分ける

⑤1615年、忠継の死去により赤穂郡は赤穂藩として政継が相続

⑥1631年、政綱死去。跡継ぎなく、輝興が佐用(平福藩)から移転・継承

⑦1645年、輝興乱心により備前福岡に幽閉
  それにより、常陸国笠間藩から浅野長直が播州赤穂に転封

浅野はもともと美濃国土岐郡浅野村の出であり、この地はそれこそ秦氏の足跡の残る地です。三濃と美濃、どこまでも秦氏でつながっている因縁を感じます。長直は赤穂城を築城し、入浜式の塩田経営を本格化、浅野家菩提寺として花岳寺を建立します。

⑧長直の孫、長矩(内匠頭)が父長友の早世により9歳で家督を継ぎ、朝鮮通信使や天皇の勅使(使節)などVIPの接待役を承るようになります。そして、いよいよ1701年、長矩は勅使饗応役として勅使接待の折に松の廊下で刃傷事件をおこします。

ちなみに、大石家のルーツもたどれば、浅野長直が赤穂に転封した時に永代家老の大石良勝も赤穂に移転しています。そして、良勝の子と長直の娘鶴姫との子、長恒は長直の養子になり、浅野家(赤穂藩主)とこの地(矢野・若狭野地域)の関わりでいえば、長恒に1671年浅野家領地3000石が分け与えられ、若狭野地域を領有し若狭野村に陣屋(役所)を設けています。大石良雄(内蔵助)は良勝から数えて三代目の浅野家家老となります。

長くなってしまったので、一旦ここで切って、次回につづく・・・





  

Posted by 矢野町交流広場 at 18:03Comments(0)イベント等報告

2015年01月14日

今月の「矢野っこひろば」(1月)

1月7日、今年最初の「矢野っこひろば」が開催されました。

今回は、壺で焼いたやきいもを食べました。

壷焼きのやきいも、ぼくもはじめてでした。

中までほっこり、ホクホク。甘くて、すごくおいしかったです。

みんなは、どうだったかな?




やきいも専用の壺があるんだぁ



お芋が焼けている間に読み聞かせ。「みんな集まれ~」


ブゥーーン


みんなの目がキラキラ






グッドスマイル



やきいもできたよ。中まで黄色くて、ホクホクです


お先に失礼~


壺の中、覗いてみ


おそるおそる


上からよく見える


ねっ、焼けてるかな



アツアツだから気をつけてね


あーん


ハイ、むけたよ


グッドです


「愛情」


上からパシャリ
















  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:47Comments(0)矢野っこひろば

2015年01月09日

矢野再発見セミナー「後期」開催のご案内



お待たせしました。好評の矢野再発見!セミナー。今年度「後期」のセミナーが1月18日と2月15日の2回開催されます。

前回は、黒田官兵衛の時代-戦国時代の矢野荘を見てきましたが、今回は江戸時代に入りその後の矢野荘です。

題して、「矢野荘の残照Ⅰ~赤穂義士の時代~」

楽しみですね。まだまだ席はありますので、ふるってご参加ください。


詳細・申し込み方法は、下記チラシをクリック


        
チラシ表               チラシ裏


  


Posted by 矢野町交流広場 at 12:40Comments(2)お知らせ・案内

2015年01月07日

古民家で写真展のご案内



私事で恐縮ですが、昨年できた写真仲間と、縁あってカフェ&ギャラリーにリノベーションされた宍粟市山崎町の古民家(農家家屋)で、本日(7日)から今月末までグループ写真展を開催しています。題して、Seven Colors+ Photo Exibition

ぼくは、矢野町の写真を展示しています。前回ブログの年賀状の写真2作品と下記の作品、計3作品を展示しています。タイトルは年賀状と同じ「村を生きる-相生市矢野町-」。山崎町ですが、よければ、足を運んでみてください。










ちなみに、会場となるカフェ&ギャラリー「ひまわりの家」は、高次脳機能障害者や引きこもりの若者がスタッフとして働き、運営団体のNPO法人ピアサポートは彼らが社会とつながれる場を提供しています。彼らが丁寧に淹れてくれるサイフォン式のコーヒーや材料にこだわったシフォンケーキは最高に美味しいです。お試しあれ!
詳しくは、「ひまわりの家」のホームページ「http://www.npohimawarinoie.net」で。






















雰囲気、いいでしょ


ちなみに、ぼく(古賀)は、10日と25日、昼から顔を出す予定です。

こ  


2015年01月05日

年賀



あけましておめでとうございます

今年、ひつじ年

羊にまつわる漢字が「美」「善」「養」「祥」であるように、
羊は古代中国では「よきもの」という意味があるそうです
羊は、群れて暮らすおとなしい家畜というイメージがあります

実は、私、今年、年男です。そして、星座は牡羊座

しかし、昔流行った動物占いでは「狼」でした

「羊の皮を被った狼」とは、私のこと?

本年もどうぞよろしくお願いいたしますニコニコ

こ  
タグ :年賀未年


Posted by 矢野町交流広場 at 14:39Comments(2)推進員のつぶやき