2015年07月03日

矢野歴史講座17-入会地の「所持」について‐

今回の「矢野歴史講座」は「入会地(いりあいち)」を取り上げたいと思います。惣村自治を構成する要素の一つに村の共有財産としての山林(里山)を上げることができます。惣村は、薪や草など生産(主として稲作)に必要な資源を山林から採取していました。里山は村の共有財産として共同で管理し利用してきました。そこは村の一員であれば誰もが利用できます。そういう土地を「入会地(いりあいち)」といいます。今回は入会地というものの性格を「所持」という観念からみていきます。

今では、里山は薪から石炭・石油といった燃料革命によりその利用価値がほとんどなくなり、高齢化で作業できる人が減ったというのも一つにありますが、人手が山に入らず大部分が放られ荒れた状態にあります。。そのせいか、イノシシやシカなどが人家のあるムラまで下りて来ては、作物を荒らすようにになりました。また、大雨など天災時の影響も懸念されます。

かつて入会地は共同で利用する「場」であり、ゆえに共同で管理されてきました。以前、契約講で取り上げた規約書である「伝帳」には入会地である共有山林を「村持」と記載しています。「村持」とはどういう状態をいうのでしょうか。「村持」とは村の「所持」です。「所持」は所有と違います。法的にも所有が、物を全面的に支配し、どのように利用(処分)することができるのに対し、「所持」とは物がある人の事実的支配の下にあるとみられる状態をいい、一時的に物を支配しているにすぎません。

哲学の桑子敏雄は、「所持」には誰かからの「預かり物」という意があるといいます。入会地は、古代以前からの日本人の自然観からすれば、いわば神様からの「預かり物」でしょうか。あるいは近世以降では領主からの「預かり物」でしょうか。少なくとも農民には入会地は今でいう絶対的な意味での所有という観念にはなかったと考えられます。共同管理による共同利用という範囲での「所持」です。つまり、入会地(里山)に対しては今でいうと所有権ではなく利用権を有していたということになります。

しかし、明治になり西洋の「所有」概念が入ってきました。入会地は個人に分割されたり、あるいは「無主の地」(所有者がいない土地)ということで、政府が農民から取り上げていくことになります。運よく集落に残った入会地に対しても集落は法人格をもたないため、個人に分筆され「共有」という所有形態をとることになります。こうして誰のものでもあって誰のものでもなかった入会地の里山が個人の財産(「所有」)へと変貌を遂げていきます。

近年、山林を始め集落の共有財産を個々の「共有」ではなく、集落(団体)として所有するために自治会は公的な「地縁による団体」を申請し、自治会で法人格を取るようになってきました。この所有形態を「総有」といいます。ちなみに、「地縁による団体」の規約では世帯ではなく個人が構成員となっています。この点で現実とのかい離があり、規約は対外的でユニバーサルなものと言え「掟」ではありません。



入会地「里山」


こ  
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Posted by 矢野町交流広場 at 13:43Comments(0)矢野歴史考