2017年06月29日
◆当て逃げされた気分の中で思う
月曜日(6/26)に勤務中、私用車で西播磨地域を回っていたら、どうもどこかの駐車場で
当て逃げ(擦り逃げ?)されたらしい。帰宅して気付きました。
左側のフロント部分が擦られただけでなく、ボディも若干ひしゃがってフロントとの接合が微妙にズレてるし、上目ライトは傷ついて少し落ち込んでいる。
フロントだけでもきっちり色を塗り直すと7万円かかるらしい。「そんな余裕ないよー」ということで、磨いてもらうだけにしました。やっぱり深い傷の部分はどうしようもなく、色がはげてるし。気分最悪。
でも、当事者は、社会人として、自律した人間として、誠実で責任ある行動をとってほしいものです。最近、何かで「教育の本分は自律した人間を育てることにある」と読みました。矢野町の地域づくりも以前作成した「ふるさと自立計画」のなかで、「自律した地域の実現を目指し」とうたいます。
「個人の自律」「集団の自律」「住民の自律(=市民)」。「自律」という言葉には、一般論として批判的な見方もあるようですが、ぼくはやっぱり民主主義社会において、あるいはあらためて民主主義を考える上でも重要なキーワードだと思います。特に今の政権を見ていてそう思います。
当て逃げされた気分の中で・・・
こ
当て逃げ(擦り逃げ?)されたらしい。帰宅して気付きました。
左側のフロント部分が擦られただけでなく、ボディも若干ひしゃがってフロントとの接合が微妙にズレてるし、上目ライトは傷ついて少し落ち込んでいる。
フロントだけでもきっちり色を塗り直すと7万円かかるらしい。「そんな余裕ないよー」ということで、磨いてもらうだけにしました。やっぱり深い傷の部分はどうしようもなく、色がはげてるし。気分最悪。
でも、当事者は、社会人として、自律した人間として、誠実で責任ある行動をとってほしいものです。最近、何かで「教育の本分は自律した人間を育てることにある」と読みました。矢野町の地域づくりも以前作成した「ふるさと自立計画」のなかで、「自律した地域の実現を目指し」とうたいます。
「個人の自律」「集団の自律」「住民の自律(=市民)」。「自律」という言葉には、一般論として批判的な見方もあるようですが、ぼくはやっぱり民主主義社会において、あるいはあらためて民主主義を考える上でも重要なキーワードだと思います。特に今の政権を見ていてそう思います。
当て逃げされた気分の中で・・・
こ
2017年06月26日
◆相生探訪ウォーキング「那波」のまちを歩く2
相生探訪ウォーキング
「商業の町那波のまちなみと商港那波浦」
つづきです
細い路地に入り、造船所のかつての社宅エリアを歩きます
秦河勝を祀る「那波大避神社」
次の目的地へ
「みずべのさんぽみち」を通ります
誰かが言った、トトロのみち
潮の匂いがします
相生市指定天然記念物「シバナ群落」
「那波港」にやってきました
急な坂を上って「大島城跡」に到着
大島の「那波住吉神社」
「善光寺」さんが冷たいお茶と菓子を用意してくださっていました。ありがとうございます
相生の「善光寺」-全国善光寺めぐりの札所の一つ
「大島地蔵尊」
川に沿って駅へ向かいます
「唯然地蔵」に立ち寄り
川にはでかいコイがいっぱいいました
細い路地を通り、駅までもう少し
ちょうど予定の1時です。みなさん、お疲れ様でした
こ
「商業の町那波のまちなみと商港那波浦」
つづきです
細い路地に入り、造船所のかつての社宅エリアを歩きます
秦河勝を祀る「那波大避神社」
次の目的地へ
「みずべのさんぽみち」を通ります
誰かが言った、トトロのみち
潮の匂いがします
相生市指定天然記念物「シバナ群落」
「那波港」にやってきました
急な坂を上って「大島城跡」に到着
大島の「那波住吉神社」
「善光寺」さんが冷たいお茶と菓子を用意してくださっていました。ありがとうございます
相生の「善光寺」-全国善光寺めぐりの札所の一つ
「大島地蔵尊」
川に沿って駅へ向かいます
「唯然地蔵」に立ち寄り
川にはでかいコイがいっぱいいました
細い路地を通り、駅までもう少し
ちょうど予定の1時です。みなさん、お疲れ様でした
こ
2017年06月22日
◆相生探訪ウォーキング「那波」のまちを歩く1
先週の土曜日(6/17)、相生探訪ウォーキングで、かつて商業の町として栄えた「那波」を歩きました(NPO法人相生いきいきネット主催)。約6kmのコース。快晴です。
9時10分相生駅に集合。約30名の参加がありました
松本恵司先生の解説で巡ります
相生駅から少し南に下ると西国街道の道標があります
「是より右さいこくみち、是より左あかほ城下道」
道標から少し西へ。「狐塚古墳跡」
川沿いから
狭い路地へ
赤穂街道を歩きます
「那波荒神社」
「那波村道路元標」
井戸だけど「ひょうたん池」
割れないように神輿の台車の車輪が浸けてあります(下見時に町探検の小学生からご教示)
母親の目が治ったという「神崎与五郎の孝行井戸」
説明板(クリックすると大きくなります)
「豆煎荒神」
「得乗寺」 住職さんに案内いただきました
お庭には、和泉式部が雨宿りをしたという「しだれ栗」。これはすごい!
近年最高の花の付きだとか。樹木医さんにより復活して良かったよ
栗は小ぶりですね
得乗寺の先にある「那波八幡神社」の絵馬
まだまだつづく・・・
こ
9時10分相生駅に集合。約30名の参加がありました
松本恵司先生の解説で巡ります
相生駅から少し南に下ると西国街道の道標があります
「是より右さいこくみち、是より左あかほ城下道」
道標から少し西へ。「狐塚古墳跡」
川沿いから
狭い路地へ
赤穂街道を歩きます
「那波荒神社」
「那波村道路元標」
井戸だけど「ひょうたん池」
割れないように神輿の台車の車輪が浸けてあります(下見時に町探検の小学生からご教示)
母親の目が治ったという「神崎与五郎の孝行井戸」
説明板(クリックすると大きくなります)
「豆煎荒神」
「得乗寺」 住職さんに案内いただきました
お庭には、和泉式部が雨宿りをしたという「しだれ栗」。これはすごい!
近年最高の花の付きだとか。樹木医さんにより復活して良かったよ
栗は小ぶりですね
得乗寺の先にある「那波八幡神社」の絵馬
まだまだつづく・・・
こ
2017年06月19日
◆今月の三濃山
18日、二か月ぶりに三濃山に上りました。
頂上のアカガシ。大丈夫、元気です
この日は、あまり瀬戸内海が見えませんね
本当に梅雨かと思うほどカラッといい天気が続いています
そのせいか、今回は一度もヤマヒルと遭遇しませんでした
しかし、上ってみると求福教寺の境内がえらいことに・・・
アリの巣だらけです(気持ち悪い)。巣の近くを羽アリがうるさいくらい飛んでいます
休憩所から上の経納山は草でいっぱい
近年、この種の草が山を覆っています。外来種でしょうか?
草刈り機で刈りました(草刈り機初体験)
草刈りは、来月も続く。。。
こ
頂上のアカガシ。大丈夫、元気です
この日は、あまり瀬戸内海が見えませんね
本当に梅雨かと思うほどカラッといい天気が続いています
そのせいか、今回は一度もヤマヒルと遭遇しませんでした
しかし、上ってみると求福教寺の境内がえらいことに・・・
アリの巣だらけです(気持ち悪い)。巣の近くを羽アリがうるさいくらい飛んでいます
休憩所から上の経納山は草でいっぱい
近年、この種の草が山を覆っています。外来種でしょうか?
草刈り機で刈りました(草刈り機初体験)
草刈りは、来月も続く。。。
こ
2017年06月15日
◆「お買い物同行サービス」今度は毎日新聞に掲載
昨年10月より矢野町で立ち上がった住民による「お買い物同行サービス」。4月に神戸新聞で取り上げられ(リンク)、今度は毎日新聞が6/1に取材に来られ、昨日(6月14日)の朝刊に掲載されました。どうぞご覧ください。
毎日新聞の記事(2017年6月14日)
(画像をクリックすると大きくなります)
この記事には、お買い物同行サービスが「矢野町の地域交通」の実現に向けた検討から始まっていることに触れられています。その辺の経緯は、当時、相生市のコミュニティアドバイザーであった私が作成した報告書に詳しいので、よければご参考ください。
現在、矢野町で行われているコミュニティ福祉事業-「いきいき百歳体操を中心としたサロン」と「お買い物同行サービス」は、矢野町の地域交通実現の流れの中から、まずは自分たちができるところからと始まりました。
こ
毎日新聞の記事(2017年6月14日)
(画像をクリックすると大きくなります)
この記事には、お買い物同行サービスが「矢野町の地域交通」の実現に向けた検討から始まっていることに触れられています。その辺の経緯は、当時、相生市のコミュニティアドバイザーであった私が作成した報告書に詳しいので、よければご参考ください。
現在、矢野町で行われているコミュニティ福祉事業-「いきいき百歳体操を中心としたサロン」と「お買い物同行サービス」は、矢野町の地域交通実現の流れの中から、まずは自分たちができるところからと始まりました。
こ
2017年06月12日
◆『鵤庄引付』と新たな<契約>発見
先月末、荘園つながりで太子町の鵤荘を歩いたこと報告しました。
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。
『鵤庄引付』冒頭部分
『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。
今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。
さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。
「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました(①、②、③)。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。
歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。
「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」
「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。
しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。
法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で
「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」
ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。
ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。
こ
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。
『鵤庄引付』冒頭部分
『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。
今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。
さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。
「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました(①、②、③)。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。
歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。
「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」
「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。
しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。
法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で
「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」
ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。
ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。
こ
2017年06月07日
◆相生探訪ウォーキング「那波」参加者募集中
これまで有志グループ「相生ふるさと散歩」が矢野地域(クリック①、②、③)と相生(おお)地域(クリック)で相生探訪ウォーキングを開催してきました。
今回は、NPO法人相生いきいきネットの主催で商業の港町 那波地域 を歩きます。
またまたどんな発見があるか楽しみですね。まだ申込みに空きがあります。みなさんのご参加をお待ちしています。
チラシ
(画像をクリックすると大きくなります)
こ
今回は、NPO法人相生いきいきネットの主催で商業の港町 那波地域 を歩きます。
またまたどんな発見があるか楽しみですね。まだ申込みに空きがあります。みなさんのご参加をお待ちしています。
チラシ
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