2011年09月13日

◆『までいの力』から学ぶこと

9月11日は、アメリカのテロから10年、そして東日本大震災からちょうど半年という日でした。その日にたまたま今年の「みなとフェスティバル」ということになりましたが、当然のごとく市長あいさつや来賓の方はそのことに触れられました。というわけでもないのですが、震災から少し考えたことがあります。

『までいの力』から学ぶこと


今、私の手元に『までいの力』という本があります(上写真)。それは、福島原発事故での放射能により計画避難のために全村民が離村を余儀なくされた福島県飯舘村(いいたてむら)の災害前に行われていた地域づくりのお話です。みなさんもぜひ見てみてください。売り上げが飯舘村の復興に使われます。

飯舘村は、人口約6000人で3人に1人がお年寄りという村です。しかし、先の平成の大合併では合併を選択せず、「自主自立のむらづくり」を菅野典雄村長のリーダシップのもと、これまでの価値観にとらわれない、柔軟かつユニークな発想で行ってきました。そうして飯舘村は「日本でもっとも美しい村」となりました。

そのとき、キーワードとなった言葉が「までい」です。「までい」とは、東北地方の方言で、手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味があります。スローライフをより深くしたこの「までい」を理念として子育て支援や環境保全活動、定住支援などいろんなアイディア・施策で地域づくりをおこない、メディアにも取り上げられるようになりました。

そんな中、放射能漏れといういわば人災によって一瞬のうちに築き上げてきたものが水の泡となってしまいました。こんな理不尽なことはありません。行き場のない怒りが湧き上がります。理不尽や不条理、もっとも嫌な言葉です。


矢野町も飯舘村に引けを取らない美しい自然豊かな歴史ある町です。ですから、飯舘村が行ってきたことから参考になること、学ぶべきことは、具体・抽象たくさんあります。中でもぼくがもっとも大事と思ったのは「地域経営」という感覚です。

しかし、矢野町と飯舘村が絶対的に違うのが、方や相生市の一地域、方や一自治体、つまり「財力の差」です。自律した地域を目指すには、今後どうしても地域でお金を稼ぐ必要があるように思います。それが経済的な自立ですし、そこに新たな雇用が生まれます。

いわゆるコミュニティビジネスの創出です。コミュニティビジネスは現代の新たな地域共同体を生み出す媒体となりうると考えています。ちなみにかつての村落共同体では農耕が共同体の媒体でした。




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Posted by 矢野町交流広場 at 18:41│Comments(0)推進員のつぶやき
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