2012年09月12日

◆矢野歴史講座2-荘園とは

3月に矢野で開催した「三濃山シンポジウム」松本恵司先生の講演の中で、この辺りは矢野荘(やののしょう)という荘園の一部で、矢野荘全体としては今の相生市とほぼ同じなんだよということでした。かなり大きな荘園ですね。兵庫県で2番目に大きな荘園だそうです。

この矢野荘は学術的な分野で全国的に有名なんですね。というのも、矢野荘は最終的に京都の東寺(東寺は嵯峨天皇により弘法大師に下賜され、真言密教の根本道場になる。ここにも弘法大師が顔を出します)の荘園になりますが、その頃矢野荘で起きた出来事などが記された古文書が残っているからなんですね。「東寺百合文書」といいます。そこから中世の荘園の様子や人々の生活・信仰の様子がわかります。

つまり、日本の中世がどんなだったかは、「東寺百合文書」によって矢野荘の様子、すなわち自分たちご先祖様の事実な事柄からわかるということなんです。これ、すごいことだと思いません? 矢野荘が日本の中世史を代表するのですよ。ということで、「矢野荘」というブランドは今後の矢野の地域づくりにおいて強力な武器になり得ると思います。

で、今日は少し原点にさかのぼって、「荘園」とは何かについて話しておきましょう。


荘園発生の背景
645年大化の改新により律令政治が始まります。おおざっぱにいえば法による政治です。そして、公地公民制度(土地も人も国のもの)、班田収授法により口分田が国から個人に分け与えられます。

しかし、時代が進むと、口分田が荒廃し、また人口増加で口分田が足らなくなります。そこで、為政者は723年に三世一身の法(開墾した土地は3代に限り私有地)を出しますが効果がないので、743年に墾田永年私財法を出し、墾田は永久に私有であることを認めました。

荘園とは
しかし、私有地には税が掛かりますので、開墾者はなんとかそれを逃れようとします。そうしてできたのが荘園です。税がかからないのは身分の高い貴族か寺院なので、そこを本家として開墾した土地を彼らに寄進し、守ってもらおうとしました。それが寄進系の荘園です。この場合、開墾者は主に地方の権力者になります。矢野荘はこれになります。一方、開墾者が貴族や寺院自身なのを自墾地系荘園といいます。

荘園には、不輸・不入の権といった特権ができます。不輸の権:税を納めないでよい権利。不入の権:国司の検田使が荘園に来るのを拒否する権利。

荘園の複雑な関与者
しかし、このように貴族や寺院に寄進することによって、一つの荘園に対して関与する人間(権利者)がたくさん出来てきます。以下のとおり。

本家職:名義上の所有者。領家職を指名
領家職:現地を管理する預所を指名
預所職:現地管理する代官
公文職:荘園を差配する現地有力者(開墾者)
地頭職:鎌倉幕府が送り込んだ管理者
名主職:実際の田畑の管理者
作人:名主のもとで田畑の耕作者

結局、一つの荘園に権利者が錯綜し、特に現地での権利者(預所職、公文職、地頭職)がトラブルの原因となります。


今日はここまで。明日は「矢野荘のおこり」です。





タグ :荘園矢野荘

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Posted by 矢野町交流広場 at 13:31│Comments(0)矢野歴史考
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