2013年09月09日

◆矢野歴史講座9-「一揆」とは

中世という時代はよく一揆の時代といわれるようです。『相生市史』(第2巻、p.112)には、武士や僧侶から一般の農民にいたるまであらゆる階層の人々が、時と場合に応じて、さまざまな目的で一揆をむすんだ、とあります。

「一揆をむすぶ」? 「一揆」とはそもそもどういうことをいうのでしょうか。

『相生市史』によると、一揆とは揆(軌)を一にすること、すなわち心を同じくして(一味同心)、ともに行動することをいいます。たとえばある人物の支配を受け入れないという場合、あるいは共同で訴えを起こそうとする場合、これらのまとまった行動はいずれも一揆と呼ばれます。

そして、さらに次のように書かれています。

「一揆をおこなうためには共通の目的が必要である。皆に共通する目的がなければ、いかなる一揆もおこりえない。共通の目的をもつためには、共通の条件が必要である。その共通の条件としては、農民の生活をとりまくさまざまな条件―支配・行事・天候・災害などをあげることができるだろう。このような共通の条件にねざした土一揆(農民たちがおこなう一揆:筆者記)は、なんら特別な出来事ではなく、むしろ人々の日常生活の延長のうえにおこなわれたものだったのである」。

「矢野荘においても、ちょうど南北朝時代にはいったころから、いくたびもの一揆がむすばれたことが知られる。(中略)矢野荘の人々は、自分たちの力を自覚し、自分たちの手で生活をまもろうとしたにちがいない。いくたびもの一揆は、こうした人々の努力のあらわれなのである」。


そうか、「一揆」とは本来的にはどちらかというと、その「行為」そのものより「状態」のことをいうのか。共通の目的を達成するために、軌を一にすること、心を同じくすることが大事で、それを一揆と呼びました。さまざまな研究によると、一揆は中世末に畿内周辺に成立した組的結合のムラ(たぶん惣村のこと)の呼称に用いられたり、そこで行われる寄合のことを一揆と呼んだりすることからも、わかります。一揆には特定の手続き(作法・儀式)が必要でした。どんな儀式が必要だったのか、次回それをみていきます。

ところで、「共通の目的をもつためには共通の条件が必要である」と書かれています。集落や地域ということで考えてみると、この頃の時代は、そこに住む人が皆同じ生活をしていました。すなわち、皆が同じように田んぼを作りそれを糧に、助け合いながら(「結(ゆい)」)生きてきた。そのことが一番大きな共通の条件なのでしょうね。

しかし、現在に置き換えてみると、人それぞれいろんな生活の仕方があって、共通の条件というものが数少なくなってきています。地域の課題を解決する(共通の目的の達成)には、地域においていかに共通の条件に類するもの(共通感情とか)を育てる、あるいは作り出すことができるかがキーになっていると思います。



タグ :一揆

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Posted by 矢野町交流広場 at 14:00│Comments(0)矢野歴史考
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