2014年01月21日

◆第2回矢野再発見セミナー開催

最近時間が取れず、ブログの更新に間が空いてしまいました。

先日18日、第2回目の矢野再発見!セミナー「矢野と秦氏伝承~地域に刻まれた記憶~」が開催され、矢野町内外から約70名の参加がありました。

今回のテーマは「中世矢野物語~“秦氏の末裔”を名乗る人々~」です。主に矢野荘で公文職にあって悪党と呼ばれた寺田氏に焦点を当てた内容で、なかなか興味深く新たな発見がありました。

矢野荘の開発は、秦氏の子孫である秦為辰(はたのためとき)によって行われたと伝わっていますが、その伝承は後世、公文職を追われた寺田氏によって作られたようです。

その時代、後醍醐天皇の「本領安堵法」-開発領主の子孫、何代にもわたって、その土地を領有したものが不当に領地を奪われた場合は、受け継いできた土地領有の証拠文書をもとに裁決する-によって、寺田法然の孫にあたる寺田範長が奪われた公文職に再任するために、寺田は由緒ある秦氏の末裔であることを言いたかったようです。

1335年頃、寺田範長は荘園領主(東寺)に、公文職に再任できたなら代々の土地領有の証拠文書を提出するので、東寺は新たな那波・佐方地域の支配も強化でき年貢が増えるであろうと訴えたのです。しかし、結果的にはダメでした。

ここから分かったのは、矢野荘は那波・佐方地域の開墾によって荘園を申請した、そこにすでに開拓されていた矢野・若狭野地域も入れて大きな荘園になったという認識でしたが、どうも申請時点では那波・佐方地域は荘園としてはまだ未開の地であったようですね。

次回は、千種川沿いに起こった産業や信仰です。楽しみです。
次回(2/9 13時半から矢野公民館)もぜひご参加ください。






講師の山口和翁(かずお)先生





矢野荘-赤色が那波・佐方地域、緑とオレンジが矢野・若狭野地域
下地中分で緑が地頭分、オレンジが領家分








若狭野にある大避神社 寺田氏は大避神社の別当を務めた


流暢な司会により質問コーナーが進められます


専門的な質問がでますね





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Posted by 矢野町交流広場 at 13:22│Comments(0)イベント等報告
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