2011年06月17日

矢野町の元気創造

今週、3日連続で矢野町のパワースポットを紹介しました。
この新たなパワースポットしかり、矢野町をぐるっと見渡せば歴史的な遺跡や人物、伝説などがいっぱいつまっています。

昨日あげた羅漢石仏、赤松氏ゆかりの感状山城跡、文福茶釜の美濃山、平家の落人伝説、秦川勝、矢野荘、悪党の寺田法然、宇麻志神社の神馬図絵馬、大石内蔵助と関わりのある小河山観音堂・・・
メジャーなところだけでも枚挙に暇がありません。
地元の人しか知らない伝説などまだまだ掘り起こせばいっぱい出てきそうです。

これらをつなげて矢野町ならではストーリーを編み、観光モデルルートを考え、内外に情報発信をして人を呼び込む。矢野町の活性化、すなわち矢野町が元気になるすべは十分あると確信しました。

それから、矢野町の方とお話しするなかで、それぞれがおじいさんやおばあさん、あるいは親から聞いてきたいろんな言い伝えや伝説があるようです。それらを聞き書きして記録として残す必要があるでしょう。記憶から記録へです。もう埋もれてしまった話もあるでしょう。

また、矢野町は先祖代々、古くから名士のお家もたくさんあります。そこには貴重な古文書も残っているでしょう。ここからも矢野町のお宝を発掘可能ですし、将来のためにもきっちり整理する必要があるのではないでしょうか。

さあ、夢や思いがどんどん広がってきましたよ。
どこからどうやって手をつけていきましょうか。


相生のまちづくり塾の講義のために相生市史から『千年の矢野荘』を書かれた松本先生が、そこに次のように三濃山の求福教寺のことを書かれています。

「一日中、誰にも会いませんでしたが、鹿を3回見ました。私が高校の頃、何もなかった龍野城や赤穂城がいつの間にか再建されて整備されています。相生の場合は、このお寺がシンボルとして良いと直感しました。近世のお城より、古代・中世の寺院の方が素敵です。矢野荘のシンボルとして整備していったら良いと思いました。その際、自動車は乗り付けられないままにしておく方が、これからの時代にふさわしいでしょう」。

何かこれが矢野町の元気を創出するヒントになるんじゃないかと、それこそ直感しました。と言っても、私はまだ三濃山に行ったことがないのです。近々登ってみようと思います(誰か一緒に行きません? まむし出たら怖いし)。

求福教寺はかつて山岳仏教の大寺院として栄え、三濃山は三濃千坊と呼ばれるほどでした。しかし、明治以降、住民らは次第に下におり、昭和50年頃に最後の一軒(2名)が下りて、三濃山村は廃村となりました。今は、毎月一回決まった日に、どなたかが求福教寺にお参りやお世話をしに登ってこられるているそうです。なんか三濃山にロマンを感じますね。素敵な物語が紡げそうです。

とりあえず、私は足を使って、矢野町のお宝を一つずつ丹念に拾い上げていくとしましょう。



ガンバレ日本!2-つながる


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:17Comments(3)推進員のつぶやき