2011年07月20日

「総有」ということについて

今日はかたいお話です。
でも、地域コミュニティや地域共同体を考える上で重要な概念についてのお話です。


先日、相生歴史研究会の矢野町散歩で真広の医王寺薬師堂を訪ねたとき、そこに「薬師堂縁起」という石碑がありました。




そこに「総有」という地域(共同体)にとって着目すべき言葉が使われていました。
そう、今日はその「総有」についてのお話です。その部分を拡大すると





境内の参道は、真広自治会総有(40戸)の山林を兵庫県に売却したお金で作ったとあります。

「総有」とはどういうことでしょう。それに対する言葉「共有」と比較するとわかりやすいです。ともに法律的な言葉です。
「共有」とは、複数者で使用・管理するもの(土地など)に対して、それぞれが所有の権利を有し、度合いに応じて分筆(分けることが)可能です。
一方「総有」は、ものを共同で利用する者たちの団体がそのものを所有しており、個々に所有する権利はありません。つまり分筆できません。

「総有」を具体的に示せば、里山など村で管理する「入会地(いりあいち)」があたります。村落としての所有です。しかし、これも明治以降の長い入会地闘争(裁判)の中で、ようやく学問的にも法的にもそう了解されるようになったのです。それまでは明治の変革で「無主の地」ということで入会地が国に召し上げられたり、登記の記載から個人所有が主張されたりしました。

ここで登記についてちょっと述べておきましょう。
共同山林など入会地は、今、それを利用する権利を有する者全員の個人名で登記されていると思います。権利を有する者全員の個人名といっても後に登記変更していなければ、最初登記した時点での権利者であって新たな戸は含まれず、かつ最初の権利者からの相続人は膨大になっているでしょう。

つまり、ここで言いたいのは、共同山林など入会地は実際は所有という概念で図れば「総有」であるけれども、登記上では個人が権利を有する「共有」として扱われているということです。ここに法制度の矛盾があります。
なぜそうなったかというと、団体は法人ではなければ登記できないからです。近年(といっても大分経ちますが)、自治会も「地縁による団体」として法人格をとることができるようになっています。

理屈くさいことを長々と書いてきましたが、なぜこのことをブログに取り上げたかというと、真広の人たちが、おそらくここも登記では40戸の「共有」となっていたでしょうが、石碑にちゃんと「総有」と記載し山林の売却費を村落全体のために使われたことに敬意を表したいからです。

それと、地域コミュニティや地域共同体を考える上で「総有」という概念が重要であることをいいたかったがためです。地域という団体が所有し、そして地域の人たちにより共同管理し共同利用する。そういう共同性の所有と行為によって共同体はなりたっています。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:55Comments(0)推進員のつぶやき