2011年08月31日

矢野音頭

今日で8月も終わりですね。
ということは子どもたちの夏休みも終わりです。宿題は終わったかな。

外は、まだじっとり暑いですね。
でも、体で感じとる風は心地よく、秋を感じさせます。
「いぶき」の駐車場ではトンボがいっぱい舞っていますよ。


さて、先の「矢野町ふれあい納涼祭」では同好会のみなさんが「矢野音頭」を歌われました。
矢野音頭は、1987年(昭和62年)に地元地域、能下の坂本一路さんによって作詞され、不朽の名曲九州炭坑節にのせて歌われます。

矢野音頭は、三濃山村も含む矢野町の全15集落について歌われていますので、集落の紹介をかねて矢野音頭の歌詞を下に載せましょう。


         炭坑節「矢野音頭」

     詞 坂本一路   曲 炭坑節拝借

   1 瓜生よいとこ羅漢さん(ヨイヨイ)
     岩と紅葉に囲まれて
     十六羅漢がおわします
     ほんに羅漢はよいところ(サノヨイヨイ)

   2 上は矢野町の真ん中で(ヨイヨイ)
     天満神社みそなわす
     ご遺徳みんなで慕うなら
     上の町中に花が咲く(サノヨイヨイ)

   3 町は菅谷よいところ(ヨイヨイ)
     お寺教順名の通り
     雨が降ろうが風吹こが
     今日も平和の鐘が鳴る(サノヨイヨイ)

   4 町は二っ木昔から(ヨイヨイ)
     赤い紅葉で名が高い
     京明地蔵にぬかずけば
     みんなニコ〃繁昌する(サノヨイヨイ)

   5 真広よいとこ薬師さん(ヨイヨイ)
     東山からよい便り
     佛のみ教えを信ずれば
     心はいつも日本晴れ(サノヨイヨイ)

   6 下田よいとこ矢野川の(ヨイヨイ)
     清い流れの傍らで
     お寺明専古くから
     今日も感謝の法を説く(サノヨイヨイ)

   7 偉い人なら上土井よ(ヨイヨイ)
     初代村長山島さん
     学徳秀れて今も尚
     仰ぐみんながまた偉い(サノヨイヨイ)

   8 小河観音誰も知る(ヨイヨイ)
     浅野殿様信仰寺
     家老大石庭に立ち
     盡きぬ名残りを留めてる(サノヨイヨイ)

   9 森の名所は市の名所(ヨイヨイ)
     お寺おう椋おう社
     感状山を仰いでは
     コヤスの木々もほめている(サノヨイヨイ)

  10 中野よい人よい田圃(ヨイヨイ)
     朝は早よから日暮れまで
     今日も照りますお日さまは
     みんな感謝の手を合わす(サノヨイヨイ)

  11 金が坂から金坂に(ヨイヨイ)
     人は純情で勤勉で
     みんな笑顔で今日もまた
     明日の金坂夢に抱く(サノヨイヨイ)

  12 釜出よいとこ蛍狩り(ヨイヨイ)
     清い流れに清い石
     みんな仲良く手を握るや
     岸の蛍も身を焦がす(サノヨイヨイ)

  13 榊よいとこ信の町(ヨイヨイ)
     法林西教古い寺
     今日もみんなが手を合わしや
     広い町中もパラダイス(サノヨイヨイ)

  14 能下犬塚花の頃(ヨイヨイ)
     咲いた桜の木の下で
     踊る音頭の浴衣衆
     三本卒塔婆に渦を捲く(サノヨイヨイ)

  15 三濃が山からお呼び声(ヨイヨイ)
     千手観音山が手を招く
     衆生可愛やいとおしや
     今日も山から呼んでいる(サノヨイヨイ)






  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:25Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年08月30日

小河活動協議会の視察




28日の日曜日、淡路島のある集落が小河(おうご)に視察にこられるということで、矢野小学校の美化活動の後、私は小河公民館に向かいました。

小河地区は、地区内の各種団体から構成される小河活動協議会を立ち上げ、「活気ある心ゆたかな郷づくり」というテーマのもとに、地域あげてのゆず栽培、その加工品の製造販売など地域が一丸となって地域づくりに取り組んでおり、国や兵庫県から表彰を受けています。

そういうこともあって、小河地区にはいろんな地域から視察があり、この日は淡路島からバス一台で大勢の方が来られました。




自治会長から小河活動協議会のこれまでの活動や取り組みについてパワーポイントを使っての説明がありました。

淡路の会長さんが一番興味をもたれたのは、これらの活動をするために資金をどうしているのかということでした。

回答としては、基本的にいわゆる「農地・水」による助成金が使われていますが、計画的に自治会や営農組合基金からの補てんで賄っているということでした。

そして、これらの活動は助成金をもらってやり始めたのではなくて、以前からやってきた活動だということです。そこに助成金がついたという感じでしょうか。


では、小河地区のこれら一丸となったまとまりは一体どこからくるのでしょう。そのキーは、どうも村落から4km離れた山の中にあるため池「源重郎池」にあるようです。源重郎池は、江戸時代、村の総代であった源重郎さんが私財をなげうって何代もかけて村のために作ったため池です。

現在でもこのため池は小河の人たちの暮らしを助け、農家だけではなく非農家の人も総出でそこまでの道の補修に携わります。昔風にいえば「道普請」ですね。まるで江戸時代に源重郎さんが作った源重郎池が、水の流れのように今でも小河の地域をつないでいるようです。(だから、「小河」というのでしょうか。余談でした。たぶん小河川によるのでしょう)

上の写真を見れば、後ろの壁に歴代の総代さんの写真が掲げられています。その一番左端に源重郎さんの名前が書いてあります(江戸時代写真がありませんから)。これを見ると、源重郎さんから始まって偉大な総代さんの意思が引き継がれていっているようです。

源重郎池については、あらためて書きます。


  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:49Comments(0)イベント等報告

2011年08月29日

矢野小学校美化活動




8月28日(日)朝8時から約2時間、矢野小学校の校内とその周辺の美化活動がありました。
本来は先週行われる予定でしたが、雨のため延期になったのでした。

矢野小の全校児童、PTAはじめ自治会やシルバーの方々など地域の人たちが集まり、みんなで手分けして美化活動を行いました。


児童とPTAは芝生の運動場の草むしりをします














いっぱいとれた?


抜いた草や刈った草は一か所に集めます



自治会は校庭周辺の草むしりと草刈りです


前日の雨で抜きやすいです











シルバーの方に木の枝切りをしてもらいます





剪定はお手のもの


フェンスからはみ出た柳の枝を切ります (気を付けて)


休憩時間は、話がはずみます



こうやって見てくると、小学校って子どもたちを介して地域をつなぐ役目をはたしているのですね。
小学校の行事がそういう「場」を提供しているといってもいいのでしょうか。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 15:29Comments(0)矢野小学校

2011年08月26日

『矢野町交流広場ニュース8月号』

『矢野町交流広場ニュース2011.8.25号』を掲載します。

今回は、8月13日に行われました「矢野町ふれあい納涼祭」の報告と
これからの矢野町を考えるということで、だれもが参加できる「勉強会」の開催案内です。
どうぞご覧ください。



画像をクリックする大きくなります


こ  
タグ :ニュース


Posted by 矢野町交流広場 at 13:49Comments(0)「交流広場ニュース」

2011年08月25日

過ぎゆく夏






往く







稲穂が垂れてきました







交流広場の上がり口にかたつむりが・・・おっと、危ない



こ  
タグ :日常


Posted by 矢野町交流広場 at 13:45Comments(0)推進員のつぶやき

2011年08月24日

三濃山登山-ムラの跡

三濃山村は昭和50年代に最後の一家が離村して廃村となりました。あれから約40年、ムラの跡はどうなっているのでしょう。元住民のTさんに案内してもらい、ぐるっと回ってみました。

家はすべて朽ち果てて無くなり、田や畑であったところは大木や竹が生え、シダが生い茂り、森化しています。それは住民がムラを下りられるとき、田畑に植林されて離村されたことにもよります。

かつてここにムラが存在し人の生活があったこと、そしてきれいな棚田の風景があったことが嘘のようです。30年以上という時の流れを思わずにはおられません。棚田のあるムラの風景を見られなかったのが残念です。



もともと畑だったのでしょうか。シダが覆っています。


田の中に大木が育っています


ここにも



石垣の上には家が建っていました。もうありません。


家があった場所は竹林に


家を感じさせるものは、壊れた瓦ぐらい


座敷のあった真ん中に巨木が・・・30年という年月


井戸の跡


井戸横にある水溜め場 
この時期オタマジャクシがうようよいました
それだけ水温が低いのですね


別の水溜め場


農業施設であったため池の跡



三濃山は、歴史的にも高麗の僧 恵弁・恵聡が逃れてやってきた地、また聖徳太子の側近、秦河勝が狩りを楽しんだ地、そしてそういう仏縁浅からぬ地に空海が寺院を建立しようとやってきた地と伝えられています。

後世に、秦内麻呂が河勝の遺蹟を訪ね偲び求福教寺を興し、その後、源義家が堂宇を再興して三濃千坊といわれるまで一時栄えました。ちなみに、求福教寺観音堂の本尊は千手観世音菩薩像で、向かって右に金龍に乗った弘法大師(空海)像、左に聖徳太子像が祭られています。だた、実際この地にムラができたのは江戸時代以降だろうといわれています。

そんな歴史上の大物が多数関わってきた三濃山。それこそ地域の宝ですし、それを放っておくわけにはいかないでしょう。地域の活性化、すなわち矢野町の活性化や元気に十分貢献できるパワーを三濃山は秘めていると思うのです。

昨日のブログにも書きましたが、今、大阪の篤志家一家とわずかな有志によって三濃山はなんとか維持されている状態で、元住民のお一人は申し訳ない気持ちだといわれます。三濃山村の土地権利も、時代的に他の山林同様どうしようもできず、大部分は元住民が今でもそのままもっておられるようです。

今、三濃山を地域の宝、矢野町の宝と捉えるならば、地域としてなんとか三濃山を管理・運営できないものだろうか。しんどいだけでは続きませんので、地域事業としてそこを舞台に地域がお金を稼げる事業ができないだろうか。

個人的な思いをいえば、将来的には、田畑・住居のあった森化した部分も、もう一度切り開いてなんらかの事業展開につなげられたらと、そんなことを思ったりしています。


  
タグ :三濃山ムラ


Posted by 矢野町交流広場 at 17:26Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年08月23日

三濃山登山-求福教寺

かつて三濃山は村落として存在していました。相生市史によると明治末期には17戸70名の方が住まれていました。しかし、時の流れとともに住民は次第に山から下り、昭和50年代に最後の1戸2名が下りて廃村となりました。

そんな三濃山村ですが、毎月18日に大阪よりこられて、求福教寺の観音堂をはじめ境内を清掃され、お経を上げてお参りされている一家があります。そこに相生市内の地域の方や元住民の方が数人加わってお手伝いをされています。




仏具を外に出し観音堂のお掃除をします
境内の掃き掃除もされています




お掃除が終わるとお花とお供え物が供えられ、みんなでお経が上げられます


お話を伺いますと、大阪より来られている一家は、大阪に本社を構え東南アジアに工場を持って帽子の企画・製造を手掛ける会社の社長さんとその兄弟の一家だそうです。もともとは今の社長さんのお父さん、先代が上郡の金出地で事業を始めるとき、事業成功の祈願を行った際に神官から「あの方向から何かを感じる。むしろあちらをまつりなさい」というお告げあったそうです。

それで、その方向は三濃山だったので地元の人に連れて行ってもらうと、先代がそこで見たものは草が生え、荒れ果てた求福教寺だったわけです。信仰心の厚かった先代は私財を費やして観音堂を修復し、また森化していた伽藍跡を切り開き礎石を頼りに山王権現を復元していきました。手前の三重塔もゆくゆくは復元し伽藍を復興させたいと思われていたようです。

その先代も約15年前に亡くなり、今は現社長である息子さんたちが後を引き継いで自分たちの息子さんも一緒に一族で毎月18日にお世話をしに大阪からこられているというわけです。これは並大抵のことではないと思いました。

みなさんはお経が終わると、別に休憩所が建てられているのでそこでお昼をしてから帰られます。このとき、私も神戸新聞の記者さんもお昼を用意していなかったのですが、自分たちのお弁当から少しずつ分けてくださったのでした。そして帰りにはお下がりもいただいて、本当に恐縮です。


毎月来られているという三濃山の元住民の方に「自分が生まれ育ったこの地にやっぱり何か思いがあってこられていますか」と尋ねますと、「それより、(本来自分たちがしなければならない)この地の面倒を見てもらっているので申し訳ないという気持ちがあって…」と答えられました。これは地域づくりの観点からもなかなか意味深い回答です。またあらためて考えてみることとしましょう。





観音堂の向かって右側にある大避神社。秦河勝が祭神




観音堂の向かって左側にある弁財天を祭った市杵嶋神社。弁財天は水の神様




伽藍復元で建てられた山王権現
祭神は山嶽を支配する大山津見の神で、観世音菩薩の権現
山王権現の鳥居だけは昭和3年に菅谷の鳥居屋敷に再建されている




伽藍の中に新たに水子地蔵が作られている




最後に神戸新聞さんの記事を載せておきます。
(画像をクリックすると大きくなります)



2011年8月23日神戸新聞





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Posted by 矢野町交流広場 at 14:55Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年08月22日

三濃山登山-アカガシ

去る18日、はじめて 三濃山 に登ってきました。
毎月18日に三濃山求福教寺観音堂をはじめ境内を掃除をされ、お経をあげに遠く大阪から来られる方たち(一家)がおられます。神戸新聞さんがその方たちを取材されるということで、私にも声をかけてくださり一緒させていただきました。

その日に合わせて、もともと三濃山に住まれていた方や相生市の地域の方も登られてお手伝いをされています。今回はその方らについて、私たちはテクノの貯水池方面から登って行きました。テクノ方面からが時間的にも一番登りやすいとのことです。ちなみに観音堂等のお世話をされている一家は、上郡町の金出地から軽の四駆で登ってこられます。




地域の方について登ります。どっちの方向でここが道やといわれても初心者の私にはわかりませんでした。本当に助かりました。ありがとうございました。


頂上に到着です。瀕死のアカガシの木がありました。




このアカガシがかつて元気なときは、相生の那波からも確認できて相生のシンボルのようだったそうです。それが十年以上前から枯れだし、それを何とか食い止めようと地元住民を中心とした有志による「守る会」が1999年に結成され、寄付金を集め樹木医を呼んで見てもらったり、イベントを開催したり、保護活動をしました。

基本的に山頂の水不足が原因のようで、雨の水を貯める装置を作ったり、木々を植えたりして水を何とか確保する処置が施されています。

あれから10年余り。今の状態が上の写真です。なかなか好転したとはいえませんが、アカガシはまだ頑張っていました。当時立てられた表示板には、下の写真のように書かれていました(クリックすると大きくなります)。地域の人たちの思いが伝わってきます。



ちなみに、この山頂の山は「経納山(きょうのうさん)」と呼ばれ、アカガシのそばには秦河勝の遺徳をしのぶお経が納められているといいます。




山頂から見る相生市の風景。この写真ではよくわかりませんが、ここから矢野荘-現相生市ほぼ全域が一望できます。その意味でも三濃山は相生市にとってもシンボルですし、これでアカガシがもし復活したらすごいのにね。

手前の木たちは、「守る会」の人たちによって水を蓄えるために植えられた木々だそうですが、彼ら自身もきつそうです。


三濃山登山レポート、続きます。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:34Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年08月18日

朝顔のカーテン

「いぶき」の朝顔のカーテン
これもエコ「涼」かな









こ  
タグ :朝顔エコ


Posted by 矢野町交流広場 at 15:22Comments(0)NPO法人いぶき

2011年08月17日

矢野町ふれあい納涼祭4

祭もいよいよ後半戦です。

各単位自治会から代表一人の「ハッスルカラオケ」
みなさん、自慢ののどを披露します。






司会進行は、FM-GENKIの西田理恵さん


谷口市長も参戦です


会場はいい雰囲気に包まれています




芝生に腰をおろして楽しみます


子どもたちは芝生を駆けて遊びます








「ぼく眠いよ」


終盤、プロの方による「歌謡ショウ」


昨年に引き続き出演してくださった井上れいかさん


この女形演じるは、れいかさんのお父さん


ムッシュ髙木さん


お父さんは三枚目も演じます


お客さんと握手




最後は、豪華賞品のお楽しみ抽選会


福引を引くは村の駐在さん


こうして楽しい宴は終了しました。



まあるいお月さまが見ていました


こ  
タグ :納涼祭


Posted by 矢野町交流広場 at 18:31Comments(0)イベント等報告

2011年08月16日

矢野町ふれあい納涼祭3

今年の納涼祭は、世代間がふれあえる新たな企画が催されました。
その名も「ふれあいゲーム」です。(わかりやすい)

一つ目のゲームは、輪の中にどれだけ多くの人が入れるかです。
その中には必ずちっちゃい子とおじいさん・おばあさんお年寄りが含まれなければなりません。
最初、みんな遠慮していましたが、次第に参加者が増えていきました。










肩車。考えましたね


優勝は11人でした


第2回戦です




おっ、慣れてきましたね


ゲームに勝って賞品をゲット



ふたつ目のゲームは、じゃんけんポンです。
周りの人とじゃんけんをしていって、勝つと負けた人からコインをもらいます。
多くコインを持っている人が勝ちです。












集計です


コイン同数により決勝じゃんけん




だいぶん日が暮れてきました。
祭のボルテージがあがってきましたよ。

こ  
タグ :納涼祭


Posted by 矢野町交流広場 at 13:48Comments(0)イベント等報告

2011年08月16日

矢野町ふれあい納涼祭2

ここで、バザーや会場の様子を紹介しましょう。


受付。最後に福引があるからね



おでんとアイスコーヒーが売っていますね




瓜生の若者G「青壮連」がソーセージを焼いています


焼きそばの前には列ができてますね


がんばって焼きそば焼きます、焼きます



ペットボトル釣り。何が入っているのかな





こちらはスーパーボールすくい





家族でお越しです




こ  
タグ :納涼祭


Posted by 矢野町交流広場 at 12:50Comments(0)イベント等報告

2011年08月15日

矢野町ふれあい納涼祭1




8月13日、「矢野町ふれあい納涼祭」が18時から開催されました。
日中はゆだるような暑さでしたが、開会の頃にはちょうどいいあんばいです。






オープニングは、矢野小学校全校児童による「矢野っ子ソーラン」。
引き継がれ踊られている矢野っ子ソーランは見ものです。
元気よく踊りました。















連合自治会長から開催のあいさつです。
矢野町の将来について矢野町自ら切り開いていくことを力強く述べられました。




矢野音頭同好会のみなさんによる「矢野音頭」
矢野音頭は地元の方が作詞され炭坑節にのって歌われます。
三濃山を入れた15の部落の特色が歌われています。

瓜生よいとこ羅漢さん(ヨイヨイ)
岩と紅葉に囲まれて
十六羅漢がおわします
ほんに羅漢はよいところ(サノヨイヨイ)






さあ、お待ちかね、矢野町の美女集団による「みんなでフラダンス」

月の夜は浜に出てみんなと踊ろうやしの木かげ
手を腰にウクレレに合わせて踊ろうフラのおどり








会場のみなさんも一緒に!





まだまだつづく

こ  
タグ :納涼祭


Posted by 矢野町交流広場 at 16:21Comments(0)イベント等報告

2011年08月12日

明日(8/13)は納涼祭




すでにお知らせしていますが、明日13日は、「矢野町ふれあい納涼祭」です。
今日、朝早くから自治会の方によりテントが張られ、ステージもできました。
みなさん、明日13日は、18時に矢野小学校に集合ですよ!





プログラムです。

       総合司会:西田理恵(姫路FM-GEBKIパーソナリティ)

       18:00  開会
       18:00~ 矢野小学校児童出演
               矢野っ子ソーラン (元気に踊ります♪)
       18:20~ 挨拶
               矢野町連合自治会会長
       18:25~ 矢野音頭 (矢野音頭同好会)
       18:40~ みんなでフラダンス (皆さん一緒に踊ってね♪)
       18:55~ ふれあいゲーム (皆さん参加してね♪)
       19:25~ ハッスルカラオケ
               特別出演:相生市長 谷口芳紀
       19:50~ 歌謡ショウ
               ムッシュ高木 (日本クラウン)
               井上れいか (日本クラウン)
       20:40~ お楽しみ抽選会 (豪華賞品あり)
       21:00  閉会

こ  
タグ :納涼祭


Posted by 矢野町交流広場 at 18:20Comments(0)お知らせ・案内

2011年08月12日

神戸新聞掲載

8月10日の神戸新聞にこのブログのことが掲載されました。
恐れ入ります。



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こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 07:26Comments(0)推進員のつぶやき

2011年08月10日

「安産杉」案内板設置

以前、矢野町のパワースポットとして紹介しました羅漢石仏の前にある「安産杉」ですが、去る8月6日に地域の方の手により、新しい案内板が設置されました。瓜生自治会長の直筆による立派な案内板です。

これまでの案内板は長い年月で朽ち果ててしまっていました。このままではだめだと羅漢を管理している地元地域の方が立ち上がったのでした。

現在の安産杉は、昭和42年の台風で倒れた安産杉の切り株に植栽されて育った二代目です。案内板にはそのことが記載されています。羅漢に来られた時は、地域の思いが込められたこの案内板も見てみてください。







こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 23:59Comments(0)お宝発見(遺跡等)

2011年08月09日

コスモストーク




先週8月4日に、「市民と協働で築きあげるまちづくり」ということでコスモストークが矢野町でありました。コスモストークとは、相生市長はじめ相生市の幹部と市民が直接、意見交換など対話する場です。

最初、パワーポイントを使って市長による報告・説明がありました。内容としては、東日本大震災の支援について、第2期相生市行財政健全化計画について、相生市自治基本条例の制定についての3項目でした。

意見交換では、矢野町は少子高齢化・人口減少と突き進む中、農業振興地区でもあって、活性化をどのようにするのかという質問がありました。これはなかなか簡単には答えが出ない、難しい問題です。しかし、多くの将来的な課題はこの根本的な問題から発生しているといえます。

ただ言えることは、矢野町の住民としてどうしたいのか、まずは自分たちで考えてみることが大切なのかなと思いました。そのためにも住民のみなさんが考えられる「場」が必要ですし、そうして気運を盛り上げていくことが大事だと思いました。

その動きの一つが「矢野町地域協議会」の設立にあると思います。私も微力ながら頑張っていきたいと思います。


ところで、上の写真を見てください。行政はテーブルが用意され上座に、住民と相対する形で並んでいますね。相生市だけでなくお隣のたつの市もそうですが、市民との対話というとどこも似たような昔ながらの陣形をとります。これだと要望・陳情は遠慮するといっても、ある意味そうなりやすい「場」の組み方をしているので仕方ありません。なにごとも「場」づくりは大事です。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 23:59Comments(0)推進員のつぶやき

2011年08月08日

子供川魚釣り体験




子供夏休み特集。
昨日(8月7日)、才元の里ふるさと交流館「子供川魚釣り体験」がありました。
今年で4回目だそうです。
魚釣りの場所は、ふるさと交流館から歩いてすぐの矢野川のほとり。
今回は地元の子どもを中心に21名の子どもたちが集まりました。
21名の子どもたちが釣った魚の数と大きさを競います。

この日は、最高に暑く、まさに猛暑、川の水も透き通っています。
魚釣りには、本当は大雨の後など少し濁っている方がいいようです。




竹ざおの針に餌のミミズをつけてもらいます。




9時30分、釣り開始です








「獲れた!」




ここでは珍しいオヤニラミも釣れました


ラスト30分は川の中に入って獲ります


川の中は気持ちよさそう




「釣れた!」 おっ、これは大きい


「私も釣りたいよぉ」


集計です


もっとも多く釣れたのは33匹。ダントツです。
もっとも大きかったのは14cm。13.5cmが二人で接戦でした。


表彰です。楯がついています。おめでとう。

夏休みのいい思い出ができたかな。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:06Comments(2)イベント等報告

2011年08月05日

ジュニア茶道教室

子ども夏休み特集。
昨日(8/4)は矢野公民館で「ジュニア茶道教室」がありました。
12名の子どもたちが茶道の作法を学びます。
学校の茶道部に入って経験している子どもたちとはじめての子どもたちにわかれて行いました。

座る位置だとか正座からの立ち上がり方とか箸の扱い方とか、細かな作法があってなかなか覚えるのに大変です。
11月の公民館の文化祭で披露するとか。みんながんばってくださいね。


経験者のおっきい子どもたち


お盆に載せた一式を運びます


お湯を入れます


シャカ、シャカ


ありがとうございます


いただきます


「苦っが。 ようけ入れたやろ」













はじめての子どもたち


さあ、今からたてます


抹茶を入れて


シャカ・シャカ・シャカ-茶せんを縦に、切るように


どうぞ


いただきます



「どうだった?」「苦かった?」
「先におまんじゅう食べたからセーフやった」
でも足が・・・・












うわっ

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 12:44Comments(0)イベント等報告

2011年08月04日

矢野っこひろば-水遊び




今月の「矢野っこひろば」水遊びです。
昨日(8/3)午前中に開催されました。

今、夏真っ盛りですね。この日も暑かった。
子どもたちは水の中で気持ちよさそうです。










お花にお水をあげましょ




一通り遊んだあとはスイカが配られました。



「あま~い」


「おいし」


がぶり





「また、きてね!」


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 12:52Comments(0)矢野っこひろば