2011年12月20日

能下の「狸塚」




みなさんは能下の北の方、テクノラインの脇に狸の焼き物(信楽焼?)が置かれた「狸塚」があるのをご存知ですか。

「みちしるべ 狸塚」と書かれた立札の裏には、下写真のように



  この豊かな自然を畏敬し、調和ある共棲を願う
             平成十一年十月 狸篤志一同
とあります。

聞くと、上のテクノポリスができて、このテクノラインに車が多く通りだすと当時、毎日のように狸が轢かれて死んでいったそうです。そのことに心を痛めた当時のテクノの人たちは有志で、ここに「狸塚」を作ったと聞きます。碑に書かれた「共棲」には、そういった意味が込められていたのですね。当時の人は本当にそう願ったのでしょう。

こういったことも、忘れ去られないように語り継いでいかなければなりません。不可抗力であれ、人間がとった行為にどう向き合い行動するか、そこに人間の真価が問われているように思います。

こ  
タグ :狸塚テクノ


Posted by 矢野町交流広場 at 13:26Comments(2)お宝発見(遺跡等)