2012年05月28日

親鸞聖人降誕会と節談説教




5月21日(月)、菅谷の教順寺で親鸞聖人の降誕会(ごうたんえ)がありました。

これは、矢野と若狭野のお西とお東を合わせた浄土真宗のお寺9か寺(これを「矢野谷東西法中(ほっちゅう)9か寺」という)で、明治39年から100年以上お寺持ち回りで続いている法会だそうです。

東西合同の行事は全国でも珍しいらしく、また矢野地域と若狭野地域のお寺が合同というのもかつてこの地域が一体だった現れでしょう(矢野荘の「惣荘(そうしょう)」という部分になります。これについてはまたあらためて)。





法話には、昨年も教順寺に来られた祖父江佳乃師による「節談説教(ふしだんせっきょう)」がありました。節談説教とは、以前にもお伝えしましたが、今ではあまり聴かなくなりましたが、落語の源流といわれ、高座から節をつけて語る浄土真宗独特の説法です。

教順寺には第五世住職に節談説教で全国を行脚したの田淵静縁師がおり、名人といわれた、祖父江佳乃師の御祖父 祖父江省念師と親交があったようです。佳乃さんはおじいさんから節談説教を引き継いだわけですね。

佳乃さんの説教は、ぼくは初めて聴きましたが、「話力(わぢから)」というんでしょうか、話の世界に引きこまれていきました。やはり、落語に通じるものがあります。しかし、法話の本分、説教というぐらいですから、そこには教え説くものがあります。

前半は、佳乃さんの名前にまつわるお話から、一人の自分としてちゃんと認めてもらうことの大切さ、それが生きる基軸になるということ。つまり、「個」あるいは「私」の大切さでです。そして、善と悪を併せ持つ(手を合わすということ)私が自分の人生を生き抜くとき、そこで得られた経験が「智慧」という宝であること。それを次代に相続するのだと。

休憩を挟んで後半は、「降誕会」ですから親鸞聖人の生い立ちの話です。親鸞は8歳で母親を亡くします。母は亡くなる前に親鸞に「弱き者に光をあてる道」に進みなさいと諭します。そうして、親鸞は貴族の出ですが、仏門の世界に入ることを決意し、愚直に突き進み、みなさんご存知のように一般の民の救済(心の救済)に生涯を捧げます。これが大乗というものでしょう。

さて、前半のお話と後半のお話。実はそこには人が社会を生きていく上でもっとも重要な命題が込められています。「self and others」(自己と他者)です。前半が自己(self)の大切さ。そして後半は他者(others)と相対する視点から語られています。

社会とは、「self and others」、自己と他者との関係、自己と他者とのバランスで成り立っており、社会でおこるすべての問題はそこに帰結するといっても過言ではありません。

で、この「節談説教」。落語の語りに生きることの教え。昨年の「ふれあい寄席」で招待した矢野小学校の子どもたちが落語の世界に引き込まれ目を輝かせていたことを思うと、ぜひこれから生き辛い世の中を生きていかなければならない子どもたちにこそ「節談説教」を聴いてもらいたいと思いました。自分も他人も大事なんだよと。そして人生の先輩から「大丈夫だよ」と。





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Posted by 矢野町交流広場 at 13:41Comments(0)イベント等報告