2012年08月22日

地域づくりの方向性-高須論文から

昨日、三濃山求福教寺の境内の状態をレポートしましたが、その三濃山の今後の整備や矢野の地域づくりの方向性の参考になればと一つの論文を紹介したいと思います。

以前、ある方から故 高須剛氏「文化としての山と川―三濃山を考える―」という論文のコピーをいただきました。それは、氏が創刊した詩的文芸誌『鴎』のNo.24(1991年)に掲載されていたものです。

高須剛氏は、相生出身の地の詩人で「相生ペンの会」初代事務局長、95年から相生市文化協会の会長を務められ、地域文化の向上に貢献されました。2010年に姫路市芸術文化賞を受賞されています。

その論文は、1991年という年代が示すように、まだバブルの余韻が残るバブル崩壊直後の三濃山にゴルフ場建設の計画が進められており、それを反対する論旨となっています。氏は、三濃山を「相生にとって歴史的文化的遺産の原点ともいうべき三濃山」と表現しています。また「相生の聖地」とさえいっています。

氏がいうには「自然とはただそこにあったものではなく、歴史の産物だという視点」が必要だということで、どういうことかというと、秦河勝以来(ぼくは恵弁・恵聡からと見ていますが)、矢野の山も川も土も(すなわち自然)すべて先祖の営為の産物であるということ、つまりそれは文化(→人間が関与するもの)であって、そういう意味で三濃山をはじめとする矢野の自然を歴史的文化遺産としています。

論文には、その「歴史的文化遺産としての風土を、より豊かで実りあるものにして次代に渡すことが、自然の贈物に対する私たちの姿勢であろう」としています。ここに矢野における地域づくりの方向性を見出すことができます。

ここで問題となるのは、「営為」(人間の営み・行為)という言葉ですが、どこまでの範囲をいうのでしょうか。ちょっと今日は時間がないのでまた明日。



三濃山を登る(テクノから)


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 15:31Comments(0)地域づくり事業