2013年09月12日

矢野歴史講座11-一揆の現代的意義

ここ3回は、矢野荘で行われた惣荘一揆から始まり、「一揆」とはどういうものかみてきました。惣荘一揆は中世後半の惣という自治組織(自律した集落)の集まりから生まれたものでした。現代と社会の成り立ちや背景が違いますが、自律した地域・地域自治の実現をめざす矢野町にとって何かそこから学び、感じ取ることができないかという思いで書きました。

確かに宗教色の強い一味神水を今の時代そのまま行うのはナンセンスです(ただ、今でも「直会(なおらい)」といって神酒を一つの杯で回し飲む、似た行為がお祭りのなかで儀式としてあります)。しかし、自律や自治という観点に立って考えたとき、そこから感じとることができるもの(センス)が確かにあります。それはなんだろうと考えたら、「覚悟」という言葉が浮かびました。

ここに書いてきた内容はすべて、矢野荘の記録が収められている「東寺百合文書」に記載されているもので、私たちご先祖様が実際に経験してきたまぎれもない事実です。これらからご先祖様がその時代をいかに必死に生きてきたのかをまざまざと感じ取ることができます。「覚悟」のほかにも「連帯」という言葉が浮かびました。

一揆は主体的に参加した個々のメンバーによって構成されています。そのような一揆はメンバーの自律性や独立性を特徴とし、「一揆に張本人はない」と実長が主張したように、メンバーの「平等」意識を基本的な属性としています。日本中世史学者の勝俣鎮夫は『一揆』という自身の著作のなかで、戦時平時を問わず一貫して一揆に流れる精神は、メンバーの「共同の精神」だといっています。一揆をむすぶことによって「共同の場」を創出しようとしたと。

また、勝俣は惣荘一揆について次のようにいっています。

「惣荘一揆とよばれる一揆は、惣という重層的な階層構成をもつ村落共同体を、一揆という形をとることにより、別の次元の、成員を平等とする『共同の世界』を一時的につくりあげるとともに、惣的総合を母体とすることにより、その一揆を『一同』とすることが可能となり、現実の力のみならず、『一同の観念』にもとづく新しい力をもつようになった」(勝俣鎮夫、『一揆』、1982、p89)

一揆は、現実の力を超えて「一同の観念」にもとづく新しい力をもつようになりました。今、矢野町がやろうとしている地域づくりに必要なのは、一揆、あるいは一揆の精神なのではないかと思えてきます。

一揆はある目的達成のために結成され、機能する集団でした。矢野町が進める地域づくりのなかでいろんな地域課題があります。それらを解決し、みなが幸福な暮らしを享受することを目的として、私たちもご先祖様にならって一揆をむすびましょう!



契約講の「掟覚帳」にある連判(江戸時代末期)



一味神水(契約講の直会、2008)


  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:41Comments(0)矢野歴史考