2013年11月21日

相生歴史研究会講演会を聴講






先日16日、相生市民会館で相生歴史研究会による講演会がありました。近大姫路大学講師の松下正和先生をお招きし、「播磨国風土記と欠落した赤穂郡の謎」という演題で、何か矢野に関わることも聴けるのではないかと参加してきました。

播磨国風土記は播磨の最古の地誌ですが、なぜか赤穂郡の章がありません。他の郡のようにここから赤穂郡の当時(奈良時代)の様子がわからず残念です。もともとあったのだけど欠損したのか、最初からなかったのか。

先生の話を聴くと、現存する播磨国風土記は三条西家に伝わる写本(天理大学附属天理図書館所蔵)が底本となっており、それは草稿本(下書き)で、また播磨国風土記の破れた欠損部分は冒頭の明石郡、加古郡の部分になっていることから、赤穂郡は下書き時には間に合わず(サボった?)最初からなかったような気がします。どちらにせよ、はっきりわかりませんでした。

文章に「矢野」が最初に確認されるのが、平安時代に書かれた『倭名類聚抄(通称:和名抄)』でそこには「八野郷」という名前ででてきます。相生市はこの八野郷付近に属し、この頃の郷域は矢野川の上流にあたる矢野村(明治22年成立)一帯だそうで、つまり今の矢野町ということでしょうか。また平安以前には、平城京跡出土木簡に「八野郷」と書かれたものがあるそうですが、われわれ赤穂郡なのか出雲国の八野郷なのか、確定的ではないそうです。一つでも赤穂郡八野郷と書かれたものが出ればということです。

また、先生によると、三本卒塔婆伝説に代表されるように秦河勝と矢野との関わり伝承は中世以降に作られた物語で、三濃山を建立したとされる泰内麻呂以降が本当のことのようです。でも、そういう秦河勝伝説が後世起こるのもこの地が秦氏と関わりが深いことによります。

ということで、12/1から始まる私たちの「矢野発見!セミナー 矢野と秦氏伝承~地域に刻まれた記憶~」につながっていきます。ぜひ、ご参加ください。
詳しくは→http://yanochohiroba.tenkomori.tv/e342292.html

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:35Comments(0)イベント等報告