2014年02月20日

第3回矢野再発見セミナー開催

報告が遅くなりました。

2月9日に第3回目の矢野再発見セミナー「矢野と秦氏伝承~地域に刻まれた記憶~」が開催されました。前日は大雪で心配しましたが、天気良く、無事開催することができました。約50名の参加がありました。

今回のは「矢野川・千種川紀行~千種川水系の生業と信仰~」と題して、古代から中世の時代、この地域の水運と生業を見ていきました。

この時代の現地支配者は、水上交通の要所も治めていたというお話です。秦氏の末裔を名乗る寺田氏も例外ではありません。そもそも秦氏が非農業民(職人)の支配によって権勢を拡げていったことと関係があるようです。

そして、この地域の生業としてあがってくるのが、鋳物師・鍛冶です。以前にも、金掘や鍛冶屋川などそれにまつわる地名等が多いことに触れました。

また、若狭野の雨内や矢野の下田に銅山跡があり、近くには必ず大避神社があって、職人の存在を示す「イモチヤ」という地名や「オンヨウシ(陰陽師)」という地名があります。オンヨウシは、当時山は神とされそこを掘るのに祈りをささげたところからきているようです。

「三濃千軒」といいますが、千軒は鉱山で一時的に繁栄した地の呼び名だそうです。お隣の上郡にも金出地(かなじ)という地域があり三濃山と地質的にも共通で生業も共通しています。上郡町の岩木は「鍛冶千軒」と呼ばれていたそうですね。

そして千種川を上ると千種町のたたらの里に行き着きます。「ちくさのはがね」といってここの鋼は良質で、備前長船の刀匠も好んで使用したようで、世界にも名が知れ渡りました。

次回は、最終回で「秦氏ゆかりの神社群像~大避神社・芸能民・技術民~」です。次回3月9日、参加をお待ちしております。







  


Posted by 矢野町交流広場 at 16:31Comments(0)イベント等報告