2015年03月03日

今年度最後の「矢野再発見セミナー」

 先月15日、今年度最後の「矢野再発見!セミナー」で、後期セミナー「矢野荘の残照Ⅰ~赤穂義士の時代~」の第2回目「矢野地域と元禄の群像」が開催されました。約50名の参加がありました。

 今回は、前回に引き続き『忠臣蔵』です。浅野内匠頭の江戸城松の廊下の刃傷沙汰以降、討ち入りまでの赤穂義士たちの動きを、ときには複数のドラマの映像を交えながら詳細にたどりました。

 赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助は当初、お家再興を一番に考えた穏健派でしたが、浅野大学の広島藩お預けが決定し浅野家再興が絶望的になったことにより、討ち入りを決意します。そこから神文(討ち入りの誓約書)を同士に一旦返却して再度意志確認し、結束を図り直します。その後は吉良邸の内外部に人を送り込み情報収集に努め用意周到に事を進めます。

 元禄15年12月15日午前4時半頃討ち入りを開始し、午前5時半頃蔵に隠れていた吉良上野介を討ち取りました。このときドラマでは討ち取る際、両者で言葉のやり取りがあるように描かれていますが、実際はそんなことはなく切り倒したあとに松の廊下時の額の傷を見つけて上野介と分かったということです。午前8時頃泉岳寺にある浅野内匠頭の墓所に吉良上野介の首をささげ本懐を遂げたのでした。元禄16年2月4日、義士切腹。

 また、本セミナーでは赤穂藩浅野家改易後のここ矢野町が、一つの幕府領から時とともに安志藩小笠原領、小田原藩大久保領、尼崎藩松平領等、領地が細かく分断されていく様子を視覚的に確認しました。(これはわかりやすい!)

 これで、昨年度から始まった山口和翁先生の「矢野再発見!セミナー」歴史編は一区切りとなります。これまで多くの方に参加頂きありがとうございました。






















 セミナーの番外編として3月8日に山口先生と登る「感状山城ハイキング」を企画しました。よかったらご参加ください。詳しくは下のチラシをご覧ください。週末、天気が心配だなぁ・・・


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Posted by 矢野町交流広場 at 16:32Comments(2)イベント等報告