2015年06月08日

矢野歴史講座14-前回の補足

矢野歴史講座も終盤にかかっています。といっても前回が昨年の10月でした。がんばります。今回は、次のテーマに入る前に少し前回の補足をしておきまよう。

前回の「村の合意形成と全員一致」では、村の寄合で行われる合意形成で全員一致とはどういうことかをみてきました。一揆の一味神水や起請文(当事者全員による誓約書)や村の掟に印される血の連判は、全員一致の証明というよりは、その決定に対して全員が遵守することを約束する儀式ではなかったかと言いました。そのことを以前にも取り上げた『東寺百合文書』「播磨国矢野庄例名内是藤名名主実長申状」の一文が物語っています。

その申状は、東寺が1377年の惣荘一揆の首謀者を名主である実長一人に押し付けて、農民の結束を分断させようとしたのに対して、実長が反論したものです。

「惣荘50余名の名主数十人、一味同心に連判をもって訴え申すとき、いかに一人異議を唱えることができようか。もし惣荘の一揆に背いたらたちまち罰せられるので、一旦の難を逃れるため本意にあらずといえども判を押したのだ。何によって一人に首謀者を押しつけるのか。当名(是藤名)を奪い取ろうと貶める企てだ。容易に推し量れる。もし現地農民の連判した者すべてに罪があるのなら、荘園の住人すべてにその咎めを行いなさい。すでにその考えはなく、祝師(ほうりし)は去年行貞名を充てがわれている」。


この文章はなかなか興味深い文章です。ここからいろいろと推測できます。

まず一つは、自分が言うように一揆の一味神水は全員一致ではなく全員が約束を守る儀式、いえ、約束を破らないことを誓う儀式といえます。

そして、二つ目に惣荘の中心人物である実長は必ずしも惣荘一揆に賛成ではなかったということ(これは咎めから逃れるために嘘かもしれませんが)。

三つ目にリーダー一人の考えが絶対ではなく、決議は寄合でみんなで決め、その責任はメンバー全員にあること。民主的といえます。

当時の農民(ご先祖様)の寄合(惣儀)の有り様が分かりたいへん興味深いです。これも『東寺百合文書』のお陰ですね。世界記憶遺産に認定されるのが待ち遠しいです。



「播磨国矢野庄例名内是藤名名主実長申状」『東寺百合文書』
(京都府立総合資料館アーカイブより)


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:28Comments(0)矢野歴史考