2016年05月26日

山陽道を歩こう(その1)

少し前のことになりますが、太子町歴史資料館の主催で現地見学会「山陽道を歩こう」と題して、江戸時代の山陽道を相生から姫路まで2回に分けて歩きました。この山陽道は都と九州を結び多くの諸大名が行き来した街道です。

3/27に行われた1回目は、相生から歴史資料館のある太子町鵤まで歩きました。約15km。最後の方、疲れました。




相生駅から出発です


駅を南に少し下って、陸本町に道標があります


(正面)「是より右さいこくみち」  (左)「是より左あ加本城下みち」





実はこのこんもりとしたところが古墳「赤坂古墳」


今は新興住宅街のここが街道だったなんて。昔はただの山だったんですね


那波野にある神戸若宮神社(子安神社)。ここは赤穂藩ではなく龍野藩の揖保郡


若宮神社から見える景色


神社を出て少し北へ行くと田んぼの中にある塚森古墳





河本光先生と書かれた石碑


たつの市揖保川町に入って、片島宿の本陣跡


本陣跡のすぐ斜め向かいにある了福寺。この門構えは実は本陣のもの


石仏石碑(圓尾幸蔵)


昼食は街道を離れ神戸神社でとりました。石柱の左には「なくはず宮」と書かれています


街道に戻り少し歩くと正條宿。ここも本陣跡で明治天皇が泊られました


郵便局のところにある正條の道標。正面に「右ひ免ぢかうべ」「左た津の山さき」


揖保川。昔は渡しがあったのだけど、今は橋を渡ります。かなり古い橋げた


揖保川を渡った辺りから疲れてきました。揖保村の道路元標。埋まっています


京都の大徳寺(臨済宗)を開山した大燈国師生誕の地 宝林寺


江戸時代、播磨で数少ない一揆を主導した弥右衛門を顕彰した石碑


林田川を渡って太子町へ。下阿曽にある茶屋垣内の地蔵


阿宗神社丁石。 (正)式内 阿宗神社 (右)従是北八丁廣山村鎮座

このあと本日終了となる鵤宿に入りますが、疲れていたのか写真を撮っていません
街道沿いには、斑鳩寺常夜灯や北向き地蔵、斑鳩村道路元標などがあります
かつて本陣もありました

2回目は4/10に太子町鵤から姫路の大手前通りまで歩きました。


  
タグ :山陽道


Posted by 矢野町交流広場 at 16:42Comments(0)推進員のつぶやき