2017年05月30日

太子町「鵤荘」を歩く-檀特山

相生市には一昨年、世界記憶遺産に登録された「東寺百合文書」に記載される有名な荘園「矢野荘」がありますが、太子町にも聖徳太子ゆかりの荘園「鵤荘(いかるがのしょう)」があります。

鵤荘は、聖徳太子35歳のとき推古天皇の前で勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経の解説をしたところ天皇に大変喜ばれ、播磨のこの地(太子町)に土地を賜り、それを法隆寺に寄進しました。その土地が後世、法隆寺領鵤荘となりました。

鵤荘には、聖徳太子が現太子町のほぼ中央に位置し姫路市と分ける檀特山(だんとくさん)のてっぺんから石を投げて土地の境界を決めたという「聖徳太子の投げ石」(鵤荘の牓示石)が7か所残っています(一つは姫路市にある)。そのうちの4つが県の指定文化財に指定されています。

今回(5/14)、太子町の歴史資料館主催で、檀特山に登って太子町を一望し実際に太子の投げ石を巡る見学会「お太子さんの荘園・鵤荘の現地を歩く」(約12km)があったので参加しました。荘園つながりということで報告させてください。



JR網干駅から出発です


網干駅には、かつて新宮から網干港まで走っていた播電鉄道の引き込み線の跡が残っています
(中央部が引き込み線跡。左側の石段がホームだったところ)


神功皇后が立ち寄った時に船をつないだという船つなぎの岩


今回は朝日山にも立ち寄りました。小学生以来です


「そうそう、この門」。記憶が蘇ってきました


瀬戸内海が見渡せます


朝日山大日寺


巨大な大日如来が横たわっています





いよいよここから檀特山に登ります


最近、体力落ちてるからなぁ


古墳の跡。檀特山にはいっぱい古墳があります





頂上が見えてきました。最後がきつかった


頂上の巨岩。太子が黒駒に乗って登り修行したので、太子行道(こうどう)の岡ともいう


巨岩にはぼこぼこした穴が。聖徳太子の黒駒の蹄跡だそう
応仁天皇が望覧時の杖や沓(くつ)の跡ともいわれています


この岡から太子町が360°見渡せます。南側は姫路市~瀬戸内海


東側は太田地区と姫路市勝原区


西側(斑鳩地区~石海地区) 応神天皇がここに立ち国見したという立岡山が見えます


北側(太田地区~龍田地区) 真正面の小山に太子東中学校

つづく・・・

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 17:17Comments(0)イベント等報告