2012年11月22日

◆矢野荘の講演

今、兵庫県立歴史博物館で、開館プレ30周年記念特別展「赤松円心・則祐」を開催しています(12/2まで)。先日11月17日(土)、その特別展講演会で「播磨守護赤松氏と矢野荘の人々」と題した講演がありましたので聴いてきました。

講師は名城大学人間学部教授の伊藤俊一先生で、南北朝から室町時代の荘園が専門だそうです。矢野荘との関わりは、先生が学部生の時からで長年にわたり研究されて、今回こういう形で恩返しすることができてうれしいとおっしゃっていました。

講演の内容は、矢野荘の民と赤松氏を通した当時の社会との関わりを歴史的事実を追いながら述べられました。前半部分はここでも述べた矢野荘のおこりでした。

そのあとは、ここでは詳しくは説明できませんが、南北朝という動乱の時代に、長い歴史の中で播磨で唯一といっていいぐらい、中央のトップ一歩手前まで上り詰めた播磨守護の赤松氏(河本敏夫氏もそうだといえばそうかもしれませんが)によって、矢野荘の民は野伏(軽装で楯と弓矢を持ち、集団で射掛ける農兵)として戦に駆り出されたり、兵糧米を提供したり、赤松氏の造営事業に人夫として遠いところでは京都まで使役を担わされたということです。

しかし、矢野荘の農民はいいように使われていたわけではありません。守護赤松氏と協力し私益を増やす荘園経営を行ってきた東寺の代官祐尊や明済と対立し、惣荘一揆を引き起こします。そして、最終的には守護赤松氏に対しても、播磨の農民が結集し播磨の土一揆が起こり、守護方の軍兵を打ち負かし、侍は国から出て行けと宣言します。

ということで、矢野荘の民あるいは播磨の民は最後には自分たちの不利益から自分たちの生活を守るため結集して立ち上がったということです。ぼくはこれからの地域社会のあり方を考えるとき、現代の人にとって共同体の結集という点からもこの時代の人々、矢野荘のご先祖様から学ぶべき点が多いように思います。

ということで「矢野学」ですね。

ちなみに今回の展覧会で一番よかったのは、実物の「東寺百合文書」が見れたことです。「播磨矢野荘例名内是藤名名主実長申状」が展示してありました。和紙にきれいな字で書いてありました。


矢野荘の講演





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Posted by 矢野町交流広場 at 17:09│Comments(7)イベント等報告
この記事へのコメント
わくわくしますね。
これから面白くなりそうで、楽しみです。
Posted by ひろぽん at 2012年11月23日 17:57
ひろぽんさん

そうですね。
矢野町、のろしを上げるときです。
そして、輪を広げていきましょう。

Posted by 矢野町交流広場 at 2012年11月24日 00:23
伊藤俊一先生の講演の紹介をありがとうございます。私たちの祖先が、当時の矢野荘がどのような内実を持った共同体だったのでしょうか、非常に興味が惹かれるところです。
それぞれの時代の経済システム・政治権力の制約の中で今日まで営々と続いてきた歴史にロマンを感じます。伊藤俊一先生の著書(たとえば『室町期荘園制の研究』)に矢野荘に関係する事柄も書かれているのでしょうか?
Posted by Ishino Tadao at 2013年07月28日 18:49
Ishino Tadao様

コメントありがとうございます。
伊藤先生の書書については、おはずかしながら把握しておりませんで、矢野荘に関する記述についてもわかりません。申し訳ありません。

矢野荘の農民たち(ご先祖様)がどんな暮らしをしてきたのか、ぼくも興味のあるところです。矢野に関わるようになって『相生市史』などで僕が勉強した範囲で、矢野荘が当時どんなであったかをこのブログの「矢野歴史考」というカテゴリにまとめていっています。

前回から時間が空いてしまっておりますが、次の回がとりあえず最終回で核心となる予定です。矢野荘を地域自治やまちづくりの観点から捉え、私がもっともお伝えしたかったところです。近いうちにアップしたいと思っていますので、ご覧いただければ幸いです。

Posted by 矢野町交流広場 at 2013年07月29日 16:24
お疲れ様です。
今から思えば、子供の頃に聞いた矢野荘縁起や赤松山城の話、一揆の話(中世末期と江戸時代末期)などを、私には何ら変哲も無い山あいの集落の昔話という程度の感覚で聞き流していたように思います。「交流広場」管理人さんのおかげで矢野町を見直す機会が得られ、感謝感謝です。

昨日、伊藤先生の著書「室町期荘園制の研究」をネットで探し府立図書館から借りてきました。荘園制完成期から末期にかけての地域社会の統治支配や制度の変遷について、播磨国矢野荘の例が随所で記述されています。相生市史の編纂に携われたこともこの労作に繋がったようです。

同じく図書館で「講座日本荘園史」(吉川弘文館、全10巻)の第8巻に馬田綾子梅花女子大教授が矢野の荘の歴史をコンパクトにまとめて記述されているを見つけました。

また隣の棚に、「古代からのメセージ 播磨国風土記」(上田正昭京大名誉教授監修、播磨学研究所編・神戸新聞総合出版センター発行)がありました。
上田さんは、地域を世界全体の中で見ることで独自性の意味づけを行うこと、ローカルでグローバルな視座(グローカル)が必要と指摘しています。私は考古学や歴史学には全くの素人ですが、上田さんの指摘からみて、地域政策を考える上で、地域存続理由を地政学の見地を含め総合的に見てみる必要があるのかも知れないとの感想を持ちました。

今後の研究のアップを期待しています。
Posted by Ishino Tadao at 2013年07月31日 09:54
Ishino Tadao さま

いろいろ矢野や矢野荘についてお調べになられているようですね。ぼくのブログがきっかけとなって地元地域の歴史等にあらためて興味をもって下さったすれば、うれしいかぎりです。ありがとうございます。

先日、昨年兵庫県立歴史博物館で行われた伊藤俊一先生の講演の概略が記載された歴史博物館のブログを発見しました。ぼくの内容より詳しいのでよかったら見てみてください。

http://www2.hyogo-c.ed.jp/weblog/rekihaku-bo/index.php/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A/%E6%9C%AC%E6%97%A5%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95%E8%AC%9B%E6%BC%94%E4%BC%9A%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/

Posted by 矢野町交流広場 at 2013年07月31日 13:54
フォローをありがとうございます。”相生市史全8巻"も図書館にありましたので、残された人生の合間を見ながらボチボチと調べたいと思います。
多謝 o(^-^)o
Posted by Ishino Tadao at 2013年08月01日 08:50
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