2014年03月19日
◆第4回矢野再発見!セミナー開催
去る3月9日、第4回目の矢野再発見セミナー「矢野と秦氏伝承~地域に刻まれた記憶~」がありました。約60名の参加がありました。
今回のテーマは「秦氏ゆかりの神社群像~大避神社・芸能民・技術民~」です。結論からいえば、この地に多い大避神社、能楽のいわれが残る芸能、鍛冶の技術、これらはそこに秦氏というパズルを当てはめることすべてつながります。
すでに取り上げられたこの地に多数存在する大避神社は秦河勝を祀る秦氏ゆかりの神社です。秦氏はこの地(西播磨)を開拓した渡来民です。その大避神社に能楽や雅楽が奉納されます。それは、能楽を大成した世阿弥、そして世襲である雅楽の東儀家も泰河勝の子孫であるという伝承によります。
また、能楽のルーツである猿楽を巡行した芸能民は秦氏系で大勢を引き連れて、佐渡金山や石見銀山をまわっています。当然、秦氏の開拓地で鍛冶にまつわる多くの地名が残るこの地にも彼らが来た可能性はあるでしょう。世阿弥の最終拠点である大和国結崎は鍛冶師の居住地となっています。ちなみに庶民芸能である猿楽に美しい舞と音楽を取り入れたのが能楽です。世阿弥の父観阿弥によって作られました。
また、先生から西播磨の大庄屋永富家に残る伝承と秦氏の拠点であった伊賀上嶋家に残る伝承が一致し、ここにも秦氏を媒介として西播磨と伊賀がつながっていたという広域ネットワークの興味あるお話をうかがいました。
最後に、今、黒田官兵衛でよく耳にする一向宗(浄土真宗)門徒ですが、この地の特徴として真宗門徒が多いという話で、それは蓮如の孫、実円が本願寺とつながりが強い英賀御堂を拠点に農村に対して精力的に布教活動したことによります。こうして農民として根を張った秦氏集団を信者として門徒自治ができあがっていきます。
これで、今年度、「矢野再発見セミナー」4回のシリーズがすべて終了しました。参加いただいた方はいかがでしたでしょうか。来年度は、今回の続きを予定しています。先生と相談しプログラムを作り、またご案内いたします。次回もよろしくお願いします。
こ
Posted by 矢野町交流広場 at 17:25│Comments(0)
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