2011年05月26日

◆総代会2

続いて総代会のお話。

矢野町の風景は、圃場整備がなされテクノラインが通ったといえ、土地の起伏や山の形、集落の集まりなど中世の人たちが見てきた風景とそれほど変わっていません。
約1000年ほど前の人たちも自分と同じ風景を見、感じ、同じ畦道を歩いたのかと思うと感慨深いものがあります。

中世の頃、矢野町は矢野荘(やののしょう)という荘園の一部でした(当時の矢野荘は現在の相生市の区域とほぼ同じだそうです)。その頃の村は「惣村」といって、それこそ今でいう住民自治がしっかり確立された村でした。

そういう村の名主、代表者が総代です(たぶん総代はもともとは惣代だったのではないでしょうか)。総代は、村の中で最も信頼され人望厚い人格者が村人に押されてなりました。だから、村人は「総代さんがいうのだから」といって、総代さんが決めたこと(実際には協議して決めたこと)に従ってきました。

矢野町が「総代会」と言うところをみても、その方がしっくりくるということなのでしょう。そういう感覚が時代の流れのなかで少しずつ薄らえながらも、時の連続性によって矢野にはまだ残っているということでしょう。

近代的ニュアンスのある「会長」と「総代」。決め方だけでなく、その響きからもなんか重みが違いますね。

相生市史によると、惣村の時代、毎月13日に「」が開かれ、名主たちが集まって村の運営を話し合っていたそうです。固定された日にちで名主たちの寄り合いが行われ、村の運営を話し合ってきた。これが昨日の「総代会」につながっているかと思うと、これもまた感慨深いですね。


総代会2
交流広場の窓から見た今日の風景



ぼくは学生の時、自治機能をもつ「講」について若干研究してきたので、その辺の話もまた折をみてしていけたらと思います。
タグ :総代

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Posted by 矢野町交流広場 at 15:34│Comments(0)推進員のつぶやき
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