2013年08月30日
◆ひまわりのお辞儀
暑かった今年の夏休みも、もうすぐ終わりですね
子どもたちはどんな夏の思い出ができたでしょうか
矢野小のうえんで輝いていたひまわりも今ではみんなお辞儀をしています
一斉に同じようにお辞儀をしている姿が微笑ましく、パチリ
ところで、台風15号が接近しているようですが、被害のないことを祈ります


こ
子どもたちはどんな夏の思い出ができたでしょうか
矢野小のうえんで輝いていたひまわりも今ではみんなお辞儀をしています
一斉に同じようにお辞儀をしている姿が微笑ましく、パチリ
ところで、台風15号が接近しているようですが、被害のないことを祈ります


こ
タグ :ひまわり
2013年08月29日
◆『矢野町交流広場ニュース8月号』
『矢野町交流広場ニュース2013.8.23号』をお届けします。
今回は、8/10に行われた「矢野町ふれあい納涼祭」の模様と町内に建立されている「忠魂碑の清掃作業&追悼」の様子を取り上げました。また、裏面には現在、矢野町まちづくり推進委員会で進めている地域づくりの各推進チーム等の現況について報告しています。どうぞ、ご覧ください。
こ
今回は、8/10に行われた「矢野町ふれあい納涼祭」の模様と町内に建立されている「忠魂碑の清掃作業&追悼」の様子を取り上げました。また、裏面には現在、矢野町まちづくり推進委員会で進めている地域づくりの各推進チーム等の現況について報告しています。どうぞ、ご覧ください。
こ
2013年08月26日
◆キャッサバ順調です
キャッサバの現在の状況です。
今年苗木の確保に苦労したキャッサバですが、欠損もありますがなんとか順調に育っています。よかったよかった。
これまで各地区の自治会長さんを中心に、ビニールハウスでの芽出しの管理、渇水時の水やり、草刈り、液肥やりを行ってきました。あと9月に追肥を行って11月の収穫を待つのみです。それまでにもっと大きくな~れ!
こ
今年苗木の確保に苦労したキャッサバですが、欠損もありますがなんとか順調に育っています。よかったよかった。
これまで各地区の自治会長さんを中心に、ビニールハウスでの芽出しの管理、渇水時の水やり、草刈り、液肥やりを行ってきました。あと9月に追肥を行って11月の収穫を待つのみです。それまでにもっと大きくな~れ!
菅谷北圃場


葉っぱが太い(背が高い)のと細い(背が低い)の2種類のキャッサバがあるようです
菅谷南圃場


こちらは太い方のみですね


葉っぱが太い(背が高い)のと細い(背が低い)の2種類のキャッサバがあるようです
菅谷南圃場


こちらは太い方のみですね
こ
タグ :キャッサバ
2013年08月23日
◆サマースクールでマジックショー
今年も、7月22日から今日8月23日まで相生市内の夏休み中の障がい児童・生徒を受け入れる「サマースクール」が、矢野町交流広場の交流室(「いぶき」)で開催されました。
21日には、「いぶき」の人たちも一緒になってマジックショーを楽しみました。このマジックショーは昨年も来ていただきましたね(参照)←クリック。
今年のグループ名は、「マジックハイブスカス」だそうです。えっ、ハイブスカス? マジックをしてだんだんきれいになってハイビスカスになっていくんだって。
今回はちっちゃな助っ人3人も来てくれましたよ。ちなみに女の子二人のグループ名は「AYK2」っていうんだって。



ぼくは「りょうちゃん」

AYK2の二人が「にんじゃりばんばん」を踊ってくれました

ノリノリで会場のみんなも一緒に踊ります

ぼくは「バスロマン」の踊りをしてくれました。ちょっと恥ずかしそう

今月お誕生日なのでワインで乾杯

あら不思議、「フッ」って吹いたらほどけた

びっくり、ハトが登場

あらら、ビックリして逃げちゃった。そこに居なさい

今度はゲームだよ。猛獣が来たぞ

みんなで

ぼくもやりたいー

さて、何文字だ?

グループできた? 「カメラマンさんも」ってぼくもかり出されました(笑)

出演者全員でマジック

ハト触りたい

大丈夫。うまいうまい

ありがとうございました。大拍手~~
こ
21日には、「いぶき」の人たちも一緒になってマジックショーを楽しみました。このマジックショーは昨年も来ていただきましたね(参照)←クリック。
今年のグループ名は、「マジックハイブスカス」だそうです。えっ、ハイブスカス? マジックをしてだんだんきれいになってハイビスカスになっていくんだって。
今回はちっちゃな助っ人3人も来てくれましたよ。ちなみに女の子二人のグループ名は「AYK2」っていうんだって。


ぼくは「りょうちゃん」

AYK2の二人が「にんじゃりばんばん」を踊ってくれました

ノリノリで会場のみんなも一緒に踊ります

ぼくは「バスロマン」の踊りをしてくれました。ちょっと恥ずかしそう

今月お誕生日なのでワインで乾杯

あら不思議、「フッ」って吹いたらほどけた

びっくり、ハトが登場

あらら、ビックリして逃げちゃった。そこに居なさい

今度はゲームだよ。猛獣が来たぞ

みんなで

ぼくもやりたいー

さて、何文字だ?

グループできた? 「カメラマンさんも」ってぼくもかり出されました(笑)

出演者全員でマジック

ハト触りたい

大丈夫。うまいうまい

ありがとうございました。大拍手~~
こ
2013年08月22日
◆コスモストーク
20日夜7時半から矢野町住民と市長はじめ相生市幹部の方々とが直接対話する「コスモストーク」がありました。
市長の市政説明では、教育の3本の矢を掲げ、教育すなわち人づくりに力を入れることを、寺小屋の師匠が多かった先人の行いになぞられ、強調されました。
矢野町においても矢野町の将来を考え、地域の子ども「矢野っこ」づくりを、この深い歴史と豊かな自然のなかで進められればと思いました。
約1時間の意見交換会では、あいさつ運動や小学校統合に関する今後のこと、広域行政、ふるさと交流館の運営・評価についてなど、時間が足りないぐらい活発に意見交換がなされました。



こ
市長の市政説明では、教育の3本の矢を掲げ、教育すなわち人づくりに力を入れることを、寺小屋の師匠が多かった先人の行いになぞられ、強調されました。
矢野町においても矢野町の将来を考え、地域の子ども「矢野っこ」づくりを、この深い歴史と豊かな自然のなかで進められればと思いました。
約1時間の意見交換会では、あいさつ運動や小学校統合に関する今後のこと、広域行政、ふるさと交流館の運営・評価についてなど、時間が足りないぐらい活発に意見交換がなされました。



こ
タグ :コスモストーク
2013年08月21日
◆今月の三濃山
18日、矢野小の美化活動の途中で失礼し、「今月の三濃山」に向かいました。
今回はゲストと一緒です。今年12月から数回に分けて矢野町の地域再認識プロジェクトとして矢野町に関わる歴史セミナーの開催を計画中です。その講師をしてくださる先生とお仲間に三濃山を案内しようと会長とともに登りました。

登山途中で真っ白なキノコに遭遇。見渡すとそこにもここにも

頂上からの眺め

アカガシは元気です

記念撮影。一番手前がセミナー講師の先生
今回、新たな発見が・・・

頂上手前にある巨岩

上からみるとその巨岩が割けてます。「ひょっとして、これは!」
先生によるとこの巨岩は御神体の可能性が。そうすると三濃山全体が神山に
割けの方向がちょうど南北で、その延長上に求福教寺と大避神社があるそうです

秦氏ゆかりの大避神社に参拝
こ
今回はゲストと一緒です。今年12月から数回に分けて矢野町の地域再認識プロジェクトとして矢野町に関わる歴史セミナーの開催を計画中です。その講師をしてくださる先生とお仲間に三濃山を案内しようと会長とともに登りました。

登山途中で真っ白なキノコに遭遇。見渡すとそこにもここにも

頂上からの眺め

アカガシは元気です

記念撮影。一番手前がセミナー講師の先生
今回、新たな発見が・・・

頂上手前にある巨岩

上からみるとその巨岩が割けてます。「ひょっとして、これは!」
先生によるとこの巨岩は御神体の可能性が。そうすると三濃山全体が神山に
割けの方向がちょうど南北で、その延長上に求福教寺と大避神社があるそうです

秦氏ゆかりの大避神社に参拝
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タグ :三濃山
2013年08月20日
◆矢野小の奉仕美化活動
8月18日(日)、朝8時より矢野小学校で校庭や周囲をきれいにする美化活動が行われました。児童、PTA、先生、自治会、シルバーの方々など地域の方が集まり、分担して一斉に行われます。
今年は例年になく、雨が多く降ったせいか、自慢の芝生運動場に強力な草が一面に生え、えらいことになっています。

芝生の中に草が、いや、草の中に芝生か・・・

一直線に並んで草むしり

ちゃんと抜けますか?

シルバーの方々は邪魔な木の枝を取り払います

花壇内の草も
お疲れ様でした
こ
今年は例年になく、雨が多く降ったせいか、自慢の芝生運動場に強力な草が一面に生え、えらいことになっています。

芝生の中に草が、いや、草の中に芝生か・・・

一直線に並んで草むしり

ちゃんと抜けますか?
シルバーの方々は邪魔な木の枝を取り払います

花壇内の草も
お疲れ様でした
こ
2013年08月19日
◆矢野小のうえんのひまわり
6月17日の黒・白大豆の植え付けの折に、JAさんから佐用町南光のひまわりの種をいただいて矢野小のうえんの縁に植えました。そのひまわりが今、パァッと黄色あざやかに咲いています。45名の全校児童が横に並んでいるようです。ご覧ください。



こ



こ
2013年08月16日
◆忠魂碑の掃除と追悼
みなさん、矢野町内に忠魂碑があるのを御存知ですか。瓜生と菅谷の境界近くの瓜生の里山の上にあります。
14日の朝7時から、連合自治会長と副会長のお3人が忠魂碑とその周りの掃除を行い、矢野町の戦死者に対し追悼されました。この時期、日本各地で慰霊祭や追悼式が行われていることでしょう。矢野でも先の戦争で多くの方が亡くなったのだとあらためて思いました。その後世の者として、それぞれが「平和」についてしっかり考えていきたいものです。
ちなみに、矢野町でも遺族の方も出席されて、ここで慰霊祭を行っていたようですが、遺族の方もご高齢になってそれは無くなったようです。

忠魂碑の掃除をします

側面に「昭和二十八年十月 矢野村建立」と書かれています

忠魂碑の右隣にある碑には「戦没記念碑」とあり、側面に「大正二年十月 正七位勲五等吉田庸謹撰」と書かれています。こちらは、どうも日清・日露戦争の戦没者に対するものみたいですね。

左手にあるのは、忠魂碑を作るにあたっての賛同者の名板ですかね

碑の周りも草を刈ってきれいにします

追悼
こ
14日の朝7時から、連合自治会長と副会長のお3人が忠魂碑とその周りの掃除を行い、矢野町の戦死者に対し追悼されました。この時期、日本各地で慰霊祭や追悼式が行われていることでしょう。矢野でも先の戦争で多くの方が亡くなったのだとあらためて思いました。その後世の者として、それぞれが「平和」についてしっかり考えていきたいものです。
ちなみに、矢野町でも遺族の方も出席されて、ここで慰霊祭を行っていたようですが、遺族の方もご高齢になってそれは無くなったようです。

忠魂碑の掃除をします

側面に「昭和二十八年十月 矢野村建立」と書かれています

忠魂碑の右隣にある碑には「戦没記念碑」とあり、側面に「大正二年十月 正七位勲五等吉田庸謹撰」と書かれています。こちらは、どうも日清・日露戦争の戦没者に対するものみたいですね。

左手にあるのは、忠魂碑を作るにあたっての賛同者の名板ですかね

碑の周りも草を刈ってきれいにします

追悼
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2013年08月15日
◆矢野町ふれあい納涼祭開催2
大ちゃんとはばタンと一緒に記念撮影の次は、「ふれあいゲーム」です。
今回のゲームはスポーツ玉入れ「アジャタ」。アジャタとは、1チーム4~6名で100個の玉をバスケットに入れ合い、時間を競うゲームです。今回は玉70個で行いました。
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今回のゲームはスポーツ玉入れ「アジャタ」。アジャタとは、1チーム4~6名で100個の玉をバスケットに入れ合い、時間を競うゲームです。今回は玉70個で行いました。
ゲームを始める前に準備体操です。夏休みだし、ラジオ体操をしましょう。

「ラジオ体操第1----、1,2,3」

はばタンも体操しますよ

まずは小学生から。なかなか難しい



地区対抗大人の玉入れ


表彰です。景品が当たりました

地区は小河が優勝

JAさんの金魚釣りのサポート

オール矢野のやきそば作り

販売のお手伝いも

すっかり日が暮れ、きれいな三日月が。(見えるかな?)


納涼祭も大詰めです

歌謡ショー

マジックショー。会場からちびっ子も参加

ステージを下りてちびっ子の目の前でマジック

「え~、なんで~。すごい」
最後は、お楽しみ大抽選会

中学生スタッフも抽選のお手伝い

マジシャンから。おめでとう

やりました、一等賞です

「ラジオ体操第1----、1,2,3」

はばタンも体操しますよ

まずは小学生から。なかなか難しい



地区対抗大人の玉入れ


表彰です。景品が当たりました

地区は小河が優勝
今回一つの試みとして中学生ボランティアを募り、運営に携わってもらいました。小学校を卒業したら子どもたちと地域の接点が段々少なくなってきます。地域と子どもの関係作りにと、学校を通して生徒に声をかけていただき、9名の中学生が集まってくれました。各出店バザーのお手伝いをしてくれました。

JAさんの金魚釣りのサポート

オール矢野のやきそば作り

販売のお手伝いも

すっかり日が暮れ、きれいな三日月が。(見えるかな?)


納涼祭も大詰めです

歌謡ショー

マジックショー。会場からちびっ子も参加

ステージを下りてちびっ子の目の前でマジック

「え~、なんで~。すごい」
最後は、お楽しみ大抽選会

中学生スタッフも抽選のお手伝い

マジシャンから。おめでとう

やりました、一等賞です
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タグ :納涼祭
2013年08月14日
◆矢野町ふれあい納涼祭開催1
8月10日(土)、夕方6時より「矢野町ふれあい納涼祭」が開催されました。4時ごろより北の空が暗くなり、雷がとどろき雨が降り出しました。
開催できるか心配でしたが、6時直前に雨が上がり決行です。これも芝の運動場だから水はけがよく、できるんですよね。
今回の納涼祭は、これまでとちょっと趣向を変え、地域と子どもをテーマに子どもが楽しめる内容としました。さてさて、どんなだったかな。

直前に雨が降り出しました

ぎりぎり雨が止みどうにか開催です

オープニングを飾るのは矢野小全校児童による「矢小っこソーラン」

ソーラン、ソーラン

今回会場に「ちびっ子ひろば」を設けました

いっぱい遊んでくれてます。よかった、よかった
今年も町内の各種団体さんがいろんなバザーを出店くださいました







いよいよ、大ちゃんとはばタンの登場です

司会の西田理恵さんとスリーショット

動きがかわいい

子どもたちに大人気


はばタンのお腹が気持ちいい

記念写真を撮りましょう

つづく
こ
開催できるか心配でしたが、6時直前に雨が上がり決行です。これも芝の運動場だから水はけがよく、できるんですよね。
今回の納涼祭は、これまでとちょっと趣向を変え、地域と子どもをテーマに子どもが楽しめる内容としました。さてさて、どんなだったかな。

直前に雨が降り出しました

ぎりぎり雨が止みどうにか開催です

オープニングを飾るのは矢野小全校児童による「矢小っこソーラン」

ソーラン、ソーラン

今回会場に「ちびっ子ひろば」を設けました

いっぱい遊んでくれてます。よかった、よかった
今年も町内の各種団体さんがいろんなバザーを出店くださいました







いよいよ、大ちゃんとはばタンの登場です

司会の西田理恵さんとスリーショット

動きがかわいい

子どもたちに大人気


はばタンのお腹が気持ちいい

記念写真を撮りましょう

つづく
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タグ :納涼祭
2013年08月09日
◆今月の「矢野っこひろば」(8月)
いやー、毎日暑いですね。
ということで、8月7日に行われた今月の「矢野っこひろば」は、水遊びをしました。
「気持ちいいー」
スイカもいただきました。
「おいしかったぁ」

おっきくなったね


シャワーに大喜び



水鉄砲で追いかけるぞー



水が苦手?


今度はお部屋に戻って遊びましょ





ダブルピース

絵本の読み聞かせ、始まるよー


テンション上がって大ハシャギ

スイカをいただきましょう

おっきなお口でガブッ






また来月会いましょう!
こ
ということで、8月7日に行われた今月の「矢野っこひろば」は、水遊びをしました。
「気持ちいいー」
スイカもいただきました。
「おいしかったぁ」

おっきくなったね


シャワーに大喜び



水鉄砲で追いかけるぞー



水が苦手?


今度はお部屋に戻って遊びましょ





ダブルピース

絵本の読み聞かせ、始まるよー


テンション上がって大ハシャギ

スイカをいただきましょう

おっきなお口でガブッ






また来月会いましょう!
こ
タグ :子育て
2013年08月08日
◆矢野歴史講座7-「惣」について3
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、近畿地方やその周辺部から農民たちは自らの手で「惣」あるいは「惣村」と呼ばれる自立的かつ自治的な村をつくりました。それが次第に各地方に広がっていきます。当然、矢野荘のここ矢野地域にも惣が作られていきました。
農民が生活する上で必然的なつながりによって形成されるムラ(集落)を自然村といいますが、そうすると「惣」は自然村ということになりますね。そして、場合によっては惣よりも広い範囲で惣同士が結びついていきます。これを「郷村(ごうそん)」といいます。その範囲が荘園や公領(郷や保など)の範囲とするものを「惣荘(そうしょう)」、「惣郷(そうごう)」といいます。(なるほど、矢野荘の矢野・若狭野エリアを惣荘と呼ぶのはそこからきているのか)
ここに、いちばん身近な惣を基体とし、問題によってはより広い範囲で農民たちは結合し問題解決を図っていこうとした様子をうかがい知ることができます。
何はともあれ、単位集落の自律(自治)を基本としています。自律した単位集落が結合することによってはじめて力を発揮することになるでしょう。共同体における自律・自治の核心に「寄合」があると考えています。
ここで、現在の矢野町と若狭野町の単位集落から惣、郷村、惣荘のイメージをちょっとまとめてみました。現在の単位集落と当時の惣は完全にイコールではないと思いますが、とりあえずイメージとして。

私たちのご先祖様は、それぞれの惣を基本として、場合によっては適当な範囲で結合し、そこで寄合を繰り返しながら方策を考え、自分たちの生活を守り生きてきたんだろうなと想像します。
矢野荘(矢野・若狭野エリアの「惣荘」)で、問題解決のためのもっとも大きな行動だったのが、永和3年(1377)に起きた惣荘一揆ではないでしょうか。次回は、「惣」の特徴としてあげられる一揆に焦点をあて、一揆とは一体どういうもので、ご先祖様はどのように結合していったのか、見ていきたいと思います。
こ
農民が生活する上で必然的なつながりによって形成されるムラ(集落)を自然村といいますが、そうすると「惣」は自然村ということになりますね。そして、場合によっては惣よりも広い範囲で惣同士が結びついていきます。これを「郷村(ごうそん)」といいます。その範囲が荘園や公領(郷や保など)の範囲とするものを「惣荘(そうしょう)」、「惣郷(そうごう)」といいます。(なるほど、矢野荘の矢野・若狭野エリアを惣荘と呼ぶのはそこからきているのか)
ここに、いちばん身近な惣を基体とし、問題によってはより広い範囲で農民たちは結合し問題解決を図っていこうとした様子をうかがい知ることができます。
何はともあれ、単位集落の自律(自治)を基本としています。自律した単位集落が結合することによってはじめて力を発揮することになるでしょう。共同体における自律・自治の核心に「寄合」があると考えています。
ここで、現在の矢野町と若狭野町の単位集落から惣、郷村、惣荘のイメージをちょっとまとめてみました。現在の単位集落と当時の惣は完全にイコールではないと思いますが、とりあえずイメージとして。

私たちのご先祖様は、それぞれの惣を基本として、場合によっては適当な範囲で結合し、そこで寄合を繰り返しながら方策を考え、自分たちの生活を守り生きてきたんだろうなと想像します。
矢野荘(矢野・若狭野エリアの「惣荘」)で、問題解決のためのもっとも大きな行動だったのが、永和3年(1377)に起きた惣荘一揆ではないでしょうか。次回は、「惣」の特徴としてあげられる一揆に焦点をあて、一揆とは一体どういうもので、ご先祖様はどのように結合していったのか、見ていきたいと思います。
こ
2013年08月07日
◆矢野歴史講座6-「惣」について2
今日は、自律した中世の村「惣」の自治についてみていきましょう。
その前に「惣」の人的構成について述べておくと、「惣」は指導者として乙名(おとな)、沙汰人(さたにん)がおり、地下人(じげにん)と呼ばれる自立した一般百姓もまた構成員としていました。また、年齢的なところで乙名になる前の若年者を若衆(わかしゅう)といいました。
乙名は有力農民(名主)や多くの耕地を有する者など有力者によって複数人で構成され、惣の運営・調整・交渉などを行いました。つまり、村の執行役員ってとこでしょうか。中には守護や国人と主従関係を結んで武士となる者も現れ、地侍と呼びました。乙名はもともと、村落の祭祀を執り行う宮座(みやざ)の代表者を指していましたが、惣の結合は宮座での儀式を中心に行われていたので(すなわち惣ほぼイコール宮座)、惣の指導者を意味するようになりました。
沙汰人はもともと荘園領主や荘官の代理人として、命令や判決を現地で執行する者を指しましたが、荘園の弱体化と惣の発達により惣との結びつきを強めて惣の指導者になる者もいました。
血気盛んで意欲や体力のある若衆は、惣の警察・自衛・消防・普請・耕作など共同体の労働の中心を担いました。ここで着目することは、惣という村落共同体のなかで若者には若者の役割がきちんとあり、村の一員として村に関わってきたということです。それがそのまま村落の維持・継続につながってきました。今日における地域の持続を考えるとき、いかに若者が地域に関わることができるか、そういう場を創出できるかがポイントだと思います。
それでは惣の自治について、主な特徴として以下の6つを上げてみました。
①協議機関・・・惣の内部は、平等意識と連帯意識によって結合していました。惣で問題や決定すべき事項が生じたときは、惣の構成員が出席する「寄合(よりあい)」という会議を開いて独自の決定を行っていました。ぼくは、何か問題があったら人が寄り集まって協議する、この寄合という行為が村落自治の根幹だと考えています。
②規約制定・・・惣は村の結合を維持していくため、寄合で「惣掟(そうおきて)」という独自の規約を定め、惣掟に違反した場合は惣自らが追放刑、財産没収、身体刑、死刑などを執行する「自検断(じけんだん)」が行われることもありました。検断は領主や地頭など通常支配する側の重要な権限ですが、支配される側の惣自身が行うことに大きな特徴があり、そこに意味の重さがあります。
③共有財産・・・惣は生産に必要な森・林・山を惣有財産とし、惣の住民なら誰もが利用できる「入会地(いりあいち)」を設定しました。(以前近代的所有の考え方で「総有」と「共有」の違いをどこかで話したでしょうか。なかったらその機会をまた)
④共同作業・・・入会地の管理からため池・水路や道路の普請(修築)、灌漑用水の配分調整など、日常生活・生産に必要な事柄を主体的に取り組んでいきました。
⑤年貢納入・・・年貢はもともと領主・地頭が徴収することとされていましたが、惣が責任をもって一括して年貢納入を請け負いました。これを地下請(じげうけ)といいます。地下請の制度は、惣が消滅し近世村落が成立した江戸時代以降も継承されていきます。
⑥抗議行動・・・惣が支配者や対立する近隣の惣への抗議・要求活動として「一揆」を結成しました。一揆は一見暴力行為として捉えられがちですが、もともとは心を一つにするという意味をもち、参加者が同一の目的のもとで相互に対等の立場に立って強く連帯することが一揆でした。惣による一揆を土一揆(つちいっき)といい、それは生活困窮からというよりは自治意識の高まった惣が主張すべき自分たちの権利を要求するために発生したと考えられます。しかし、戦国時代に入り戦国大名による一円支配が強化されるに従って、惣は自治的性格が薄まっていき、土一揆の発生は次第に減少していきました。
大事なことは、現代における地域自治を考えるにあたり、これら惣自治の特徴(自治の現れ)から何を学び、どこに意義を見出すかです。これ以降は、これら惣自治の特徴のいくつかについてさらに言及し、現代の地域自治へつながるご先祖さまからの声を探っていきたいと思います。
次回は、現在の矢野地域から矢野荘内の惣の地割イメージをちょっと作ってみましょう。
こ
その前に「惣」の人的構成について述べておくと、「惣」は指導者として乙名(おとな)、沙汰人(さたにん)がおり、地下人(じげにん)と呼ばれる自立した一般百姓もまた構成員としていました。また、年齢的なところで乙名になる前の若年者を若衆(わかしゅう)といいました。
乙名は有力農民(名主)や多くの耕地を有する者など有力者によって複数人で構成され、惣の運営・調整・交渉などを行いました。つまり、村の執行役員ってとこでしょうか。中には守護や国人と主従関係を結んで武士となる者も現れ、地侍と呼びました。乙名はもともと、村落の祭祀を執り行う宮座(みやざ)の代表者を指していましたが、惣の結合は宮座での儀式を中心に行われていたので(すなわち惣ほぼイコール宮座)、惣の指導者を意味するようになりました。
沙汰人はもともと荘園領主や荘官の代理人として、命令や判決を現地で執行する者を指しましたが、荘園の弱体化と惣の発達により惣との結びつきを強めて惣の指導者になる者もいました。
血気盛んで意欲や体力のある若衆は、惣の警察・自衛・消防・普請・耕作など共同体の労働の中心を担いました。ここで着目することは、惣という村落共同体のなかで若者には若者の役割がきちんとあり、村の一員として村に関わってきたということです。それがそのまま村落の維持・継続につながってきました。今日における地域の持続を考えるとき、いかに若者が地域に関わることができるか、そういう場を創出できるかがポイントだと思います。
それでは惣の自治について、主な特徴として以下の6つを上げてみました。
①協議機関・・・惣の内部は、平等意識と連帯意識によって結合していました。惣で問題や決定すべき事項が生じたときは、惣の構成員が出席する「寄合(よりあい)」という会議を開いて独自の決定を行っていました。ぼくは、何か問題があったら人が寄り集まって協議する、この寄合という行為が村落自治の根幹だと考えています。
②規約制定・・・惣は村の結合を維持していくため、寄合で「惣掟(そうおきて)」という独自の規約を定め、惣掟に違反した場合は惣自らが追放刑、財産没収、身体刑、死刑などを執行する「自検断(じけんだん)」が行われることもありました。検断は領主や地頭など通常支配する側の重要な権限ですが、支配される側の惣自身が行うことに大きな特徴があり、そこに意味の重さがあります。
③共有財産・・・惣は生産に必要な森・林・山を惣有財産とし、惣の住民なら誰もが利用できる「入会地(いりあいち)」を設定しました。(以前近代的所有の考え方で「総有」と「共有」の違いをどこかで話したでしょうか。なかったらその機会をまた)
④共同作業・・・入会地の管理からため池・水路や道路の普請(修築)、灌漑用水の配分調整など、日常生活・生産に必要な事柄を主体的に取り組んでいきました。
⑤年貢納入・・・年貢はもともと領主・地頭が徴収することとされていましたが、惣が責任をもって一括して年貢納入を請け負いました。これを地下請(じげうけ)といいます。地下請の制度は、惣が消滅し近世村落が成立した江戸時代以降も継承されていきます。
⑥抗議行動・・・惣が支配者や対立する近隣の惣への抗議・要求活動として「一揆」を結成しました。一揆は一見暴力行為として捉えられがちですが、もともとは心を一つにするという意味をもち、参加者が同一の目的のもとで相互に対等の立場に立って強く連帯することが一揆でした。惣による一揆を土一揆(つちいっき)といい、それは生活困窮からというよりは自治意識の高まった惣が主張すべき自分たちの権利を要求するために発生したと考えられます。しかし、戦国時代に入り戦国大名による一円支配が強化されるに従って、惣は自治的性格が薄まっていき、土一揆の発生は次第に減少していきました。
大事なことは、現代における地域自治を考えるにあたり、これら惣自治の特徴(自治の現れ)から何を学び、どこに意義を見出すかです。これ以降は、これら惣自治の特徴のいくつかについてさらに言及し、現代の地域自治へつながるご先祖さまからの声を探っていきたいと思います。
次回は、現在の矢野地域から矢野荘内の惣の地割イメージをちょっと作ってみましょう。
こ
2013年08月05日
◆矢野歴史講座5-「惣」について1
「矢野歴史講座」。なかなか時間が取れず、昨年9月からのご無沙汰でした。
前回は、相生が中世「矢野荘」の時代、暗躍した「悪党」についてお話しました。悪党は、一般的には自分の権利を守るため体制に不満をもつ者が立ち上がり時代を回した人たちと、ややヒーロ―的に捉えられがちですが、実はその裏には刈田狼藉など勝手な暴力的反社会的行為により苦しめられた農民たちがいたことを述べました。
しかし、農民たちは結束して自分たちの生活を守るため自衛的に立ち上がります。この基盤となったのが「惣(そう)」あるいは「惣村(そうそん)」といわれる村組織でした。「惣」「惣村」とは、中世日本における農民の、有力名主を中心に団結した地縁共同体的な自治組織です。実は現代の日本の農村の約4分の3がこの頃形成され、「惣」をルーツにしているといわれています。矢野荘の矢野・若狭野エリアは「惣荘(そうしょう)」と呼ばれていました。ということで、今回は「惣」の秘密について探っていきます。
まずは「惣」という字。なぜ「惣」なのか。それは、地縁的な範囲でそこに住む農民のすべて(惣て)が構成員になっているところからきています。そして、その代表が、今風にいえば「惣代」ですが、現在使っている「村の総代(自治会長)さん」の総代はここからきているようです。このような地縁結合による自然発生的な村を、外からの行政的な区割りによって作られた行政村(ぎょうせいそん)に対して自然村(しぜんそん)といいます。
そもそも、なぜ矢野町の歴史講座で「惣」を取り上げるのでしょう。今矢野町は日本の社会的な動きの中で、自律した地域、すなわち地域自治の体現目指してやっていこうとしています。そういうなか、村落として自立し自治的運営をこの時代おこなってきた「惣」に学ぶべきこと、ヒントとなることがあるのではないかと考えたからです。しかも、それは他の誰でもない、「東寺百合文書」によって自分たちのご先祖様から学ぶことができるのです。これはすごいことだと思いませんか。ただ、当時と今と社会背景が全然違います。しかし、自律した地域、地域自治の実現のために、その本質というか普遍的なものを抽出できるのではないかと思っています。
もう少し詳しく、「惣」が発達した背景についてみていくと、鎌倉時代後期から南北朝にかけて荘園制が弱まり、農民の主体的農業生産が可能となりました。そこに、農業生産力が向上して作人が名主化するような自立した農民が増加します。そういう状況のなかで、領主や国人の不当で非合理な要求に対抗しなければならない、悪党や戦乱期の略奪から自衛しなければならないという事情がありました。
歴史が教える荘園制の弱体化から主体性ある農民への移行は、行政の財政力が弱まり、そこから自助・共助や地域主権といわれる今日に通じるところがあるように思います。そして、「惣」の発達には農業生産力が向上して自立した農民がキーであったように、地域自治の実現には地域の経済的自立が重要な要素であると考えています。地域としていかに経済的自立を図るかがポイントです。
では、「惣」は実際にどういう自治運営を行ってきたのでしょうか。次回に続く。
こ
前回は、相生が中世「矢野荘」の時代、暗躍した「悪党」についてお話しました。悪党は、一般的には自分の権利を守るため体制に不満をもつ者が立ち上がり時代を回した人たちと、ややヒーロ―的に捉えられがちですが、実はその裏には刈田狼藉など勝手な暴力的反社会的行為により苦しめられた農民たちがいたことを述べました。
しかし、農民たちは結束して自分たちの生活を守るため自衛的に立ち上がります。この基盤となったのが「惣(そう)」あるいは「惣村(そうそん)」といわれる村組織でした。「惣」「惣村」とは、中世日本における農民の、有力名主を中心に団結した地縁共同体的な自治組織です。実は現代の日本の農村の約4分の3がこの頃形成され、「惣」をルーツにしているといわれています。矢野荘の矢野・若狭野エリアは「惣荘(そうしょう)」と呼ばれていました。ということで、今回は「惣」の秘密について探っていきます。
まずは「惣」という字。なぜ「惣」なのか。それは、地縁的な範囲でそこに住む農民のすべて(惣て)が構成員になっているところからきています。そして、その代表が、今風にいえば「惣代」ですが、現在使っている「村の総代(自治会長)さん」の総代はここからきているようです。このような地縁結合による自然発生的な村を、外からの行政的な区割りによって作られた行政村(ぎょうせいそん)に対して自然村(しぜんそん)といいます。
そもそも、なぜ矢野町の歴史講座で「惣」を取り上げるのでしょう。今矢野町は日本の社会的な動きの中で、自律した地域、すなわち地域自治の体現目指してやっていこうとしています。そういうなか、村落として自立し自治的運営をこの時代おこなってきた「惣」に学ぶべきこと、ヒントとなることがあるのではないかと考えたからです。しかも、それは他の誰でもない、「東寺百合文書」によって自分たちのご先祖様から学ぶことができるのです。これはすごいことだと思いませんか。ただ、当時と今と社会背景が全然違います。しかし、自律した地域、地域自治の実現のために、その本質というか普遍的なものを抽出できるのではないかと思っています。
もう少し詳しく、「惣」が発達した背景についてみていくと、鎌倉時代後期から南北朝にかけて荘園制が弱まり、農民の主体的農業生産が可能となりました。そこに、農業生産力が向上して作人が名主化するような自立した農民が増加します。そういう状況のなかで、領主や国人の不当で非合理な要求に対抗しなければならない、悪党や戦乱期の略奪から自衛しなければならないという事情がありました。
歴史が教える荘園制の弱体化から主体性ある農民への移行は、行政の財政力が弱まり、そこから自助・共助や地域主権といわれる今日に通じるところがあるように思います。そして、「惣」の発達には農業生産力が向上して自立した農民がキーであったように、地域自治の実現には地域の経済的自立が重要な要素であると考えています。地域としていかに経済的自立を図るかがポイントです。
では、「惣」は実際にどういう自治運営を行ってきたのでしょうか。次回に続く。
こ
2013年08月02日
◆矢野町ふれあい納涼祭(ご案内)
8月10日(土)、毎年恒例の矢野町夏祭り「矢野町ふれあい納涼祭」が開催されます。
今年は、例年と少し趣向を変え、子どもを中心に据えたプログラムになっています。
ど根性大根の「大ちゃん」と兵庫県の観光大使「はばタン」が登場しますよ。
二人?の掛け合いトーク?が見もの?
ちびっ子集まれ~、大ちゃんとはばタンといっしょに写真を撮ろう!
ふれあいゲームは、「アジャタ」というスポーツ玉入れ。果たしてどんなゲームか。みんな参加してね。
今年のステージパフォーマンスは、世紀のマジックショー。ワクワク楽しみ~
最後は、豪華賞品が当たる抽選会です。いい商品をゲットだー
そして、プログラムのどこかでサプライズな催しも用意しています。お楽しみに
今回、矢野の中学生が運営ボランティアでお手伝いしてくれます。よろしくね!
子どもたちが地域と関わりながら、矢野町を盛り上げていきましょう!
多くの方のご来場をお待ちしております

プ ロ グ ラ ム

こ
今年は、例年と少し趣向を変え、子どもを中心に据えたプログラムになっています。
ど根性大根の「大ちゃん」と兵庫県の観光大使「はばタン」が登場しますよ。
二人?の掛け合いトーク?が見もの?
ちびっ子集まれ~、大ちゃんとはばタンといっしょに写真を撮ろう!
ふれあいゲームは、「アジャタ」というスポーツ玉入れ。果たしてどんなゲームか。みんな参加してね。
今年のステージパフォーマンスは、世紀のマジックショー。ワクワク楽しみ~
最後は、豪華賞品が当たる抽選会です。いい商品をゲットだー
そして、プログラムのどこかでサプライズな催しも用意しています。お楽しみに
今回、矢野の中学生が運営ボランティアでお手伝いしてくれます。よろしくね!
子どもたちが地域と関わりながら、矢野町を盛り上げていきましょう!
多くの方のご来場をお待ちしております


こ
2013年08月01日
◆福島の子どもたちが来矢野
今7/30夕から8/2朝まで、真宗大谷派山陽教区の「FC(福島チルドレン)プロジェクト」で、福島の子どもたちが矢野に来られて菅谷の教順寺さんにホームステイされています。
来られた子どもたちは、福島の中学1年生4名(一人は引っ越しされて山形から)です。このプロジェクトに参加するのは3回目なんだって。
昨日(7/31)、小規模作業施設「いぶき」に見学に来られました。

「いぶき」さんの作業を見学。お互いに自己紹介をしました

さをり織りを見学

少し織ってみましょう。初めての体験
このあと話が進んで、それぞれがちょっとした作品を織ってみることになりました

一旦お寺に戻って、お勤め

「正信偈」なかなかうまいですよ
お昼に、子どもたちがそうめんを作ってくれました
手際良く分担して仲良く進めています
すごーい。感心

おいしそう

いただきます。真剣に食べてます
次の日

さをり織りが完成しました。テーブルクロスかな

「いぶき」のみなさんと記念撮影
今回、福島の子どもたちが矢野にきてくれて、私たちにとっても福島で起こったことを身近に感じることができました。子どもたちは普通に福島市の学校に通っていますが、近くに放射能という見えない敵がいるのも事実です。未来ある子どもたちにそんな不安な思いはさせたくないものです。
こ
来られた子どもたちは、福島の中学1年生4名(一人は引っ越しされて山形から)です。このプロジェクトに参加するのは3回目なんだって。
昨日(7/31)、小規模作業施設「いぶき」に見学に来られました。

「いぶき」さんの作業を見学。お互いに自己紹介をしました

さをり織りを見学

少し織ってみましょう。初めての体験
このあと話が進んで、それぞれがちょっとした作品を織ってみることになりました

一旦お寺に戻って、お勤め

「正信偈」なかなかうまいですよ
お昼に、子どもたちがそうめんを作ってくれました
手際良く分担して仲良く進めています
すごーい。感心

おいしそう

いただきます。真剣に食べてます
次の日

さをり織りが完成しました。テーブルクロスかな

「いぶき」のみなさんと記念撮影
今回、福島の子どもたちが矢野にきてくれて、私たちにとっても福島で起こったことを身近に感じることができました。子どもたちは普通に福島市の学校に通っていますが、近くに放射能という見えない敵がいるのも事実です。未来ある子どもたちにそんな不安な思いはさせたくないものです。
こ