2012年02月17日

第6回「勉強会」から-契約講の地域自治

2月15日(水)夜8時から、第6回「勉強会」を行いました。今回は参加者が少なく4名でしたが、「歴史に学ぶ共同体自治」というテーマで行いました。当初、矢野荘の事例をお話する予定でしたが、ぼくの準備(勉強)が間に合わず、自分が学生時代に地域自治をテーマに書いた論文を使って行いました。

その論文は、岡田真美子編『地域をはぐくむネットワーク』(2006、昭和堂)の中の第2章「契約講と地域自治」です。(もう6年も前になるのかぁ)






契約講とは、主に東北地方に存在して、近世以前から現代までも続く歴史的な住民自治組織です。今でいうと自治会組織という感じですが、契約講が残る集落は自治会がありません。ただ時代とともに契約講は近代的な自治会へと移行していっています。

契約講はひょっとすると中世からの流れをくむ共同体自治組織で、自律した集落運営を今日まで行ってきたわけで、そこに、今に通じる地域自治を成り立たせるヒントがあるんじゃないかと思って研究しました。

ところで、契約講って、「契約」という言葉が使われ、どちらかといえば、近代に西洋から入ってきた言葉で近代的な匂いがしませんか。確かに現代で使う「契約」は、売買契約だったり、賃貸契約など、1対1の関係で結ぶ時に使いますね。

でも、「契約」という言葉はもともと日本にもあって、ここで使う「契約」は、多数の人の集まりがあって、彼らみんなで取り決めた約束を「契約」といいました。そうしたことで成り立っている講組織が契約講なのです。講組織、そう、ある目的のために集まった集団を講といいます。

では、契約講の目的は何であったか。それは、自分たちが生活していくために、つまり生活共同体としての村落を維持していくことが目的だったわけです。単なる地縁組織ではなかったのです。契約講とは、その時代の社会構造のなかで、村びとが自身の生活の保障のために考え出した自主的な住民自治組織で、そうすることによって人々の生活の維持と集落内の平和が保たれてきました。

契約講には、「伝帳」といって自分たちが取り決めていったことが詳細に書かれたものが残っています。そこには、取り決めにそむいた時の罰則や講員たちの連判も有ります。まさに中世の惣荘一揆を彷彿させます。

ここでは、その中身については触れませんが、私が結論としてこの契約講研究から得た共同体自治を成り立たせる、あるいは持続させる普遍的なこととして「仲間」という関係を見出しました。先の伝帳のなかに幾度となく「契約仲間」とか「仲間兄弟」という言葉が出てきます。共同体自治を成り立たせている大きな要因として「仲間」という関係があったのです。

契約講は、その「仲間」関係を維持するためにいろんな苦心をしています。たとえば、契約(総会)のあと講員みんなで食事を共にする「共食」もそうですし、ある部落の契約講では契約(総会)の最後に講員全員で「謡」を歌って閉めます。そう、いうまでもなく「仲間」という関係は単なる「なかよしこよし」ではありません。互いに信頼できる関係をいいます。

そこで、裏を返せば、地域住民がいかに「仲間」という関係を結べるかによって地域自治が実現できるかどうか決まってくるわけです。問題は、かつてのように農耕によって「仲間」という関係が結べなくなった今日、どうやって「仲間」という関係を築くことができるかです。その一つの提案が精神論ではなく実益を共有するコミュニティビジネスなのです。

こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 23:34Comments(4)「勉強会」

2011年12月22日

第4回「勉強会」から

昨日(21日)夜、第4回の「勉強会」を行いました。5名の方が集まってくださいました。

今回のテーマは「市民農園」

矢野町地域協議会では、将来の地域運営のために自分たちのお金は自分たちで稼ぐ、地域として収益事業に取り組む方向性を打ち出しています(コミュニティビジネスの推進)。そして、そこに雇用が生まれることを期待しています。

その中で一つは「キャッサバ芋」の栽培。キャッサバ芋は南米産の芋。お米より利益率が高いということで検討を開始し、来年度パイロット栽培を行う計画を立てています。これはもう少し見えてきたところであらためて。

キャッサバ芋に加えて、稼ぎ頭にどうかと考えたのが「市民農園」の運営。全国的に市民農園の数は急速に増えていっています。それだけ需要があるということ。矢野町は休耕田となっている「土地」がありますし、先生となれる農家の方たち「人」がいます。都市と農村の交流も考えて矢野町のいいところをPRしていきたい。そして、行き着くところは定住促進につながればと。

勉強会のなかで、いろんなアイディアも出てきました。

 主なターゲットを上のテクノに住む方にしたらどうか。距離的にも時間的にもいいですね。
 古民家を改修して宿泊型の市民農園もできる。遠方の人も呼び込める。
 「ふるさと交流館」を運営の拠点としては。交流館自体の活性化と過疎の進む矢野町北部の活性化につなげる。
 これを推進するのに兵庫県の「地域再生大作戦」の事業を受けるのも手である。これによって県、市、地域の協働事業となる。アドバイザーに専門の先生をむかえることができる。


ということで、来年年明け、「地域再生大作戦」を所管する県の担当部局(本庁)と打ち合わせをすることになりました。一歩ずつ進んでいます。誰もが笑顔の生まれる矢野町目指して、みんな力を合わせて頑張っていきましょう。




三濃山頂上(経納山)から瀬戸内海方面を望む


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 13:26Comments(0)「勉強会」

2011年11月18日

第3回「勉強会」から

11月16日(水)午後8時より、第3回目の「勉強会」を行いました。今回は5名の方が集まってくださいました。

これまで第1回、2回の勉強会から、10年、20年と矢野町の将来を見据えたとき、人口の減少、特に子どもがいない村落もあり、村の存続自体が問題となることが明らかになりました。そこで、矢野町の地域づくりの大きな方向性としてUターン、Iターン含め、矢野町への定住促進、特に若者の定住促進という方向性を見出しました。そこに向かって、そこにベクトルを合わせて矢野町のまちづくり施策を行っていくことになります。

今回は、「田舎に移り住む」という4回にわたる朝日新聞の連載記事(2011.6.17~20)から、いろんな自治体の定住につなげる取り組みの事例を勉強しました。

ここで学んだのは、単発的な施策ではなく、複合的に取り組むことが重要ということです。かつて相生市も「空き家バンク」をしていましたが、うまくいきませんでした。他の自治体の事例では、そこに、古民家を改修して住居を用意し田舎暮らしを体験してもらったり(「体験住宅」)、古民家見学や農業・自然体験を企画したり(「体験ツアー」)、田舎の魅力を伝える努力をしています。また、移り住んでこられた後も、地域との交流をサポートする団体(「交流サポート」)を作ってフォローしています。

要は、一連の戦略をもって行政と協働で進めることだ大事ということですね。矢野町としてもこの辺を組織的に協議できる場を作っていきたいと考えています。前を向いて一歩ずつ進んでいきましょう。




実りの秋(上)




  
タグ :勉強会定住


Posted by 矢野町交流広場 at 15:11Comments(0)「勉強会」

2011年10月24日

第2回「勉強会」から

去る10月19日夜8時から第2回目の「勉強会」をおこないました。今回は7名の方が集まってくださいました。

前回は、相生市の人口の将来予測から始まって矢野町の人口減少、特に中学生以下がゼロの集落も何集落かあり、5年後10年後の将来を見据えたとき、このままだと集落の維持が難しいということをあらためて確認し、矢野町の今後の大きな方向性として若い人たちを呼び込むことが必要だということを述べました。

今回は、それに関連する新聞記事を見ましたので紹介しました。

「村の復旧を担うIターン住民 『恩返ししたかった』」(朝日新聞)

みなさんもご存じのように先の台風12号は和歌山県の那智勝浦に甚大な被害をもたらしました。そのなかの口色川(くちいろかわ)集落は、人口の4割がIターン住民と呼ばれる都会から来た移住者です。

今回の災害で、集落を1軒1軒安否確認し、救助活動の中心的役割を担ったのが40~50代のIターン組だったということです。代々住む集落の方の一人が「新規定住者なしに集落は存続できない。この台風ではっきりわかった」と語っています。

この口色川集落を含む色川地区はIターン先進地で、70年代半ばには人口が1000人を切り、住民たちは集落が消えてしまうという危機感もち、70年代後半から農地や空き家のあっせん、宿泊施設の開設などでほぼ毎年1~7世帯、新たな定住者を受け入れてきたということです。受け入れられる態勢を整え、約30年かけて少しずつ少しずつ住民を増やしていったのですね。

やっぱり、災害時が象徴するように村を維持するには若い力が必要です。人工ピラミッドが逆三角形では支えられません。村が維持していくには、経験豊富なお年寄りがいて、行動力のある若者がいて、将来を担う子どもたちがいて、やっぱりバランスというものが重要なのでしょう。色川地区の例は矢野町も参考になるでしょう。

田舎暮らし希望者の支援をする東京のあるNPOによると、Iターンを含む田舎暮らしの相談件数は、07年の約2000件から10年に約6000件と約3倍に増えているそうですよ。

口色川集落の区長さんは「住民に、地元も新規も関係ない」「台風の日、みんなが命がけで動いてくれた。小さな村には人がおらなんば」と力を込めた、といいます。




帰りに交流広場から東の空を見上げると、
まあるいきれいなお月さんが矢野町を照らしていました


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 14:20Comments(0)「勉強会」

2011年09月23日

第1回目「勉強会」から

21日の夜8時からこれからの矢野町を考える第1回目の「勉強会」が開催され、11名の方が参加くださいました。台風が来たり、祭りの準備があったりとなかなか出にくいなか、思っていたより多くの方が集まっていただきうれしい限りです。

最初ということもあり、三濃山のアカガシは現在どんな状態かという話から始まって、矢野町には多くの歴史的資源があるねとか、いろんな話題に話が展開していきました。


私からは相生市の2055年までの人口予測のデータと矢野町のこれまでの人口推移と各集落の現時点での年齢構成データを提示しました。人口予測と推移のデータをみると、相生市は昭和45年ごろをピークに約4万人から現在約3万人まで一直線に人口が減少しており、矢野町もこの50年で約1000人の人口減があって、現在は2000人を切っています。ちなみに明治末期には矢野町は4000人以上の人が住んでいました。集落ごとに見れば、中学生以下の子どもが0%の集落も存在し、あと5年、10年先、その集落は存続しているのだろうかという心配も湧きあがってきます。

将来の矢野町の元気や活性化、町の維持を考えるとき、それらのデータからは、いかに人を確保し、特に町の若者の流出を防ぎ、外からも若い人たちをいかに町に呼び込むことができるか、ということが要として見えてきます。これはなにも相生市や矢野町だけに限らず、人口減少社会に突入した日本のどの自治体、地域にもいえることです。そうすると、悪い言い方をすれば、結局人の奪い合いということになります。

現に多くの自治体が独自の定住促進施策を作りPRしていますし、相生市の「子育て応援都市宣言」かつその多数用意されたメニューにしてもしかりです。そんななかで矢野町としても矢野町の自然、歴史、風土に適した実行的かつ実効的な定住促進策を練り進めていくことが、矢野町の地域づくりの一つの方向性となるでしょう。それには雇用(特に地域での雇用)を抜きに語れません(で、コミュニティビジネスにつながります)。

そうすると、勉強会のなかで、将来的に矢野町の維持、元気・活性化のために若い人たちの確保を目指すというなら、小学校の統合で矢野町から小学校が無くなってもいいのか、という意見が上がりました。矢野町の将来を見据えた地域づくりという見地から見た場合、ごもっともな意見です。

小学校の統合問題の進め方については、しかるところで進められているのでここでは触れませんが、この勉強会開催の意義はそういう意見が出てみんなで考える「場」を提供することにあります。こういった住民が話し合える「場」があること、これがこれからの自律した地域づくりの出発点ではないかと考えるからです。

この勉強会はまだ始まったばかりでちっぽけですが、この勉強会をきっかけに、他でも町の人たちが集まって、意見を出し合い、議論し、そしてそれらを集約・収束し、実施計画を作り、実行できるようになればと思います。言いかえれば、地域自治・自律した地域に向けてまずやっていくことは、そのサイクルを回す仕組みを考え、それを軌道に乗せることかもしれません。



彼岸花が咲く季節になりました




真広にて




菅谷にて


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 18:09Comments(0)「勉強会」

2011年09月18日

「勉強会」を開催します

先月の「矢野町交流広場ニュース」でもお伝えしましたが、矢野町の将来について住民が考える第1回目の「勉強会」9月21日水曜日、夜8時から矢野町交流広場で開催します。どなたでも参加できますので、多くの方の参加をお待ちしております。

日本社会は、戦後から続いた右肩上がりの高度経済成長社会はバブルの崩壊によって終焉し、現状を維持していく持続可能な安定社会に入ったといわれています。しかし、「失われた10年」と呼ばれた90年代を過ぎて10年たった今でも、どうすれば持続可能な安定社会が築けるのか、政治の退廃もあってなかなか確固たる答えを見出せないでいます。

けれども、社会の構造が中央集権から地方分権へという流れは疑いもなく、またその流れゆく先には地域分権があります。つまり、人任せではなく自分たちの町のことは自分たちで考え、決断し実行していかなければならない時代がきたのです。これを「地域自治」といい、そしてこれが「自律した地域」となります。これからは昭和の良き時代と違ってなかなか厳しい時代のようです。

でも、ぼくは心配していません。なぜなら、矢野町の先人たちはこれまで(明治以前)、地域自治を体現し自律した地域を自ら築いてきたからです。しかし明治以後の中央集権国家が村から自治を奪っていきました。だから、それに気付き取り戻せばいいのです。この辺については、またあらためて話しましょう。

ともあれ、矢野町の将来については矢野町の住民自身が考えなければいけないことは明白です。しかし、じゃ、何をどう始めればよいのか。わからないことだらけです。

そこで、とりあえず、住民の意思ある人たちが集まって話し合える、気軽に語れる「場」が必要ではないかと考え、今回の「勉強会」を思いついたわけです。ここで語り合うなかから、矢野町の活性化・元気に何が問題となっているのか、そして実際矢野町のビジョン(総計)を作成し、それを実現するには具体的にどう動けばいいのか、そういうことをみんなで勉強していけたらと思います。

矢野町住民自身の手で、住民だれもが笑顔あふれる矢野町を築いていくために。



瓜生大池



大池が潤す大地


こ  


Posted by 矢野町交流広場 at 00:19Comments(0)「勉強会」