2017年06月12日

◆『鵤庄引付』と新たな<契約>発見

先月末、荘園つながりで太子町の鵤荘を歩いたこと報告しました。
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。


『鵤庄引付』と新たな<契約>発見
『鵤庄引付』冒頭部分


『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。

今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。



『鵤庄引付』と新たな<契約>発見



さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。

「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました()。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。

歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。

「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」


「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。

しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。

法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で

「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
  
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
 
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」

ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。

ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。




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Posted by 矢野町交流広場 at 16:23│Comments(0)矢野歴史考推進員のつぶやき
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