2017年08月10日
◆今年も「矢野町ふれあい納涼祭」
先日8月5日、矢野町恒例の夏祭り「矢野町ふれあい納涼祭」が開催されました。
いや~、暑かったねー

夜6時、毎年オープニングを飾るのは、矢野小児童による「矢小っ子ソーラン」

決まった

矢野小の運動場は天然の芝。子どもたちは裸足で駆け回ります
みなさんの寄付で維持管理しています

主催者挨拶

模擬店も準備万端。来てねー

お楽しみショー。クイーンズ矢野川による「ようかい体操」

大ちゃんもやって来て、「一緒に踊ろうよ」






続いてステージは今市郷土芸能保存会和太鼓グループ風による演奏










もりあがってきました。司会の西田理恵さん歌謡ショー


日も暮れて


トリは宇多川都さん歌謡ショー


最後は、お楽しみ抽選会。「当たれ~」

やったー、一等賞

そして、祭りは終わる
こ
いや~、暑かったねー

夜6時、毎年オープニングを飾るのは、矢野小児童による「矢小っ子ソーラン」

決まった

矢野小の運動場は天然の芝。子どもたちは裸足で駆け回ります
みなさんの寄付で維持管理しています

主催者挨拶

模擬店も準備万端。来てねー

お楽しみショー。クイーンズ矢野川による「ようかい体操」

大ちゃんもやって来て、「一緒に踊ろうよ」






続いてステージは今市郷土芸能保存会和太鼓グループ風による演奏










もりあがってきました。司会の西田理恵さん歌謡ショー


日も暮れて


トリは宇多川都さん歌謡ショー


最後は、お楽しみ抽選会。「当たれ~」

やったー、一等賞

そして、祭りは終わる
こ
タグ :納涼祭
2017年07月27日
◆「お買い物同行サービス」を太子町で紹介
近隣の太子町が地域(自治会)の中で支え合う仕組みづくりとして「高齢者等買い物支援モデル事業」を立ち上げようとしています。
先月は町行政からモデルとなる自治会への説明会があり、今回7/23にはモデル自治会で近隣の2自治会(糸井池と糸井池田)が住民のみなさんへ説明会を開かれました。そこで先行事例として矢野町の「お買い物同行サービス」を紹介してほしいと依頼があり、ご質問に答える形で説明してきました。参加者は38名でした。糸井池・糸井池田、両自治会とも高齢化率が50%近いということです。
太子町は、車を町が準備し(とりあえずレンタカーを想定)、運転手をボランティアで地域の人が担うようです。行政主導と地域主導の違い、条件の違いはありますが、そこに困ってらっしゃる方がいるという事実は同じで何とかしてしてあげたいという思いも同じ。矢野町の事例が少しでもお役に立てれば幸いです。
それにしてもお隣のたつの市は「あかねちゃん号」が喜ばれているという声を耳にしますし、この度は太子町の買い物支援。相生市も「お買い物同行サービス」へ何らかの支援があればいいのに。うらやましい。

7/23 太子町糸井池田の集会所にて
こ
先月は町行政からモデルとなる自治会への説明会があり、今回7/23にはモデル自治会で近隣の2自治会(糸井池と糸井池田)が住民のみなさんへ説明会を開かれました。そこで先行事例として矢野町の「お買い物同行サービス」を紹介してほしいと依頼があり、ご質問に答える形で説明してきました。参加者は38名でした。糸井池・糸井池田、両自治会とも高齢化率が50%近いということです。
太子町は、車を町が準備し(とりあえずレンタカーを想定)、運転手をボランティアで地域の人が担うようです。行政主導と地域主導の違い、条件の違いはありますが、そこに困ってらっしゃる方がいるという事実は同じで何とかしてしてあげたいという思いも同じ。矢野町の事例が少しでもお役に立てれば幸いです。
それにしてもお隣のたつの市は「あかねちゃん号」が喜ばれているという声を耳にしますし、この度は太子町の買い物支援。相生市も「お買い物同行サービス」へ何らかの支援があればいいのに。うらやましい。
7/23 太子町糸井池田の集会所にて
こ
タグ :買い物支援
2017年07月20日
◆いきいき百歳体操のサロンでお抹茶カフェ
先週(7/13)のいきいき百歳体操のサロンの報告です。遅くなりました。
いつも体操の後に「おしゃべりカフェ」と題して、コーヒーとお菓子を食べながらみなさん自由におしゃべりを楽しんでいます。
先週は、地域の方から「いつもと違った雰囲気で」と提案があり、その方が材料も準備してくださって、お花をテーブルに飾り点てていただいたお抹茶をいただきました。お花をちょっと添えるだけでも雰囲気や気分も変わります。そんな心づかいと、お抹茶もいただけて参加者は大変喜んでおられました。
そういうわけで、月1回、第2木曜日の「おしゃべりカフェ」は「お抹茶カフェ」に変身です。地域の方や参加者からの提案と実践で、このサロンがどんどん充実していくのはうれしいことです。

お花を用意してくださり

切って一輪差していきます

テーブルが華やかになりました

お抹茶を点てていただいています

おいしいですね

提案いただきご準備していただいたUさん、ありがとうございました
今後もよろしくお願いいたします
こ
いつも体操の後に「おしゃべりカフェ」と題して、コーヒーとお菓子を食べながらみなさん自由におしゃべりを楽しんでいます。
先週は、地域の方から「いつもと違った雰囲気で」と提案があり、その方が材料も準備してくださって、お花をテーブルに飾り点てていただいたお抹茶をいただきました。お花をちょっと添えるだけでも雰囲気や気分も変わります。そんな心づかいと、お抹茶もいただけて参加者は大変喜んでおられました。
そういうわけで、月1回、第2木曜日の「おしゃべりカフェ」は「お抹茶カフェ」に変身です。地域の方や参加者からの提案と実践で、このサロンがどんどん充実していくのはうれしいことです。

お花を用意してくださり

切って一輪差していきます

テーブルが華やかになりました

お抹茶を点てていただいています

おいしいですね

提案いただきご準備していただいたUさん、ありがとうございました
今後もよろしくお願いいたします
こ
2017年07月06日
◆サロンで七夕の笹飾り
本日(7/6)、いきいき百歳体操のサロンで七夕の笹飾りをしました。
短冊に願い事を書いて、折り紙で飾り物も作りました。
みなさん、あらためて飾り物の作り方を教わるまでもなく、簡単に作っちゃうんですよね。すばらしい!
最後には、お焚き上げをして、みなさんの願いが叶いますように。

短冊に願い事を書いて、

それぞれに飾り物を作ります

出来たら飾りましょう

笹は連合自治会長さんが用意してくださいました

願い事は、やっぱり健康のことが一番



完 成

最後に、笹飾りの前で記念撮影
こ
短冊に願い事を書いて、折り紙で飾り物も作りました。
みなさん、あらためて飾り物の作り方を教わるまでもなく、簡単に作っちゃうんですよね。すばらしい!
最後には、お焚き上げをして、みなさんの願いが叶いますように。

短冊に願い事を書いて、

それぞれに飾り物を作ります

出来たら飾りましょう

笹は連合自治会長さんが用意してくださいました

願い事は、やっぱり健康のことが一番



完 成

最後に、笹飾りの前で記念撮影
こ
タグ :七夕
2017年06月29日
◆当て逃げされた気分の中で思う
月曜日(6/26)に勤務中、私用車で西播磨地域を回っていたら、どうもどこかの駐車場で
当て逃げ(擦り逃げ?)されたらしい。帰宅して気付きました。
左側のフロント部分が擦られただけでなく、ボディも若干ひしゃがってフロントとの接合が微妙にズレてるし、上目ライトは傷ついて少し落ち込んでいる。
フロントだけでもきっちり色を塗り直すと7万円かかるらしい。「そんな余裕ないよー」ということで、磨いてもらうだけにしました。やっぱり深い傷の部分はどうしようもなく、色がはげてるし。気分最悪。



でも、当事者は、社会人として、自律した人間として、誠実で責任ある行動をとってほしいものです。最近、何かで「教育の本分は自律した人間を育てることにある」と読みました。矢野町の地域づくりも以前作成した「ふるさと自立計画」のなかで、「自律した地域の実現を目指し」とうたいます。
「個人の自律」「集団の自律」「住民の自律(=市民)」。「自律」という言葉には、一般論として批判的な見方もあるようですが、ぼくはやっぱり民主主義社会において、あるいはあらためて民主主義を考える上でも重要なキーワードだと思います。特に今の政権を見ていてそう思います。
当て逃げされた気分の中で・・・
こ
当て逃げ(擦り逃げ?)されたらしい。帰宅して気付きました。
左側のフロント部分が擦られただけでなく、ボディも若干ひしゃがってフロントとの接合が微妙にズレてるし、上目ライトは傷ついて少し落ち込んでいる。
フロントだけでもきっちり色を塗り直すと7万円かかるらしい。「そんな余裕ないよー」ということで、磨いてもらうだけにしました。やっぱり深い傷の部分はどうしようもなく、色がはげてるし。気分最悪。



でも、当事者は、社会人として、自律した人間として、誠実で責任ある行動をとってほしいものです。最近、何かで「教育の本分は自律した人間を育てることにある」と読みました。矢野町の地域づくりも以前作成した「ふるさと自立計画」のなかで、「自律した地域の実現を目指し」とうたいます。
「個人の自律」「集団の自律」「住民の自律(=市民)」。「自律」という言葉には、一般論として批判的な見方もあるようですが、ぼくはやっぱり民主主義社会において、あるいはあらためて民主主義を考える上でも重要なキーワードだと思います。特に今の政権を見ていてそう思います。
当て逃げされた気分の中で・・・
こ
2017年06月26日
◆相生探訪ウォーキング「那波」のまちを歩く2
相生探訪ウォーキング
「商業の町那波のまちなみと商港那波浦」
つづきです

細い路地に入り、造船所のかつての社宅エリアを歩きます

秦河勝を祀る「那波大避神社」

次の目的地へ

「みずべのさんぽみち」を通ります

誰かが言った、トトロのみち

潮の匂いがします

相生市指定天然記念物「シバナ群落」


「那波港」にやってきました


急な坂を上って「大島城跡」に到着

大島の「那波住吉神社」

「善光寺」さんが冷たいお茶と菓子を用意してくださっていました。ありがとうございます

相生の「善光寺」-全国善光寺めぐりの札所の一つ




「大島地蔵尊」


川に沿って駅へ向かいます

「唯然地蔵」に立ち寄り


川にはでかいコイがいっぱいいました

細い路地を通り、駅までもう少し

ちょうど予定の1時です。みなさん、お疲れ様でした
こ
「商業の町那波のまちなみと商港那波浦」
つづきです

細い路地に入り、造船所のかつての社宅エリアを歩きます

秦河勝を祀る「那波大避神社」

次の目的地へ

「みずべのさんぽみち」を通ります

誰かが言った、トトロのみち

潮の匂いがします

相生市指定天然記念物「シバナ群落」


「那波港」にやってきました


急な坂を上って「大島城跡」に到着

大島の「那波住吉神社」

「善光寺」さんが冷たいお茶と菓子を用意してくださっていました。ありがとうございます

相生の「善光寺」-全国善光寺めぐりの札所の一つ




「大島地蔵尊」


川に沿って駅へ向かいます

「唯然地蔵」に立ち寄り


川にはでかいコイがいっぱいいました

細い路地を通り、駅までもう少し

ちょうど予定の1時です。みなさん、お疲れ様でした
こ
2017年06月22日
◆相生探訪ウォーキング「那波」のまちを歩く1
先週の土曜日(6/17)、相生探訪ウォーキングで、かつて商業の町として栄えた「那波」を歩きました(NPO法人相生いきいきネット主催)。約6kmのコース。快晴です。

9時10分相生駅に集合。約30名の参加がありました
松本恵司先生の解説で巡ります

相生駅から少し南に下ると西国街道の道標があります
「是より右さいこくみち、是より左あかほ城下道」

道標から少し西へ。「狐塚古墳跡」


川沿いから

狭い路地へ

赤穂街道を歩きます

「那波荒神社」



「那波村道路元標」





井戸だけど「ひょうたん池」
割れないように神輿の台車の車輪が浸けてあります(下見時に町探検の小学生からご教示)

母親の目が治ったという「神崎与五郎の孝行井戸」

説明板(クリックすると大きくなります)

「豆煎荒神」

「得乗寺」 住職さんに案内いただきました

お庭には、和泉式部が雨宿りをしたという「しだれ栗」。これはすごい!

近年最高の花の付きだとか。樹木医さんにより復活して良かったよ

栗は小ぶりですね


得乗寺の先にある「那波八幡神社」の絵馬



まだまだつづく・・・
こ

9時10分相生駅に集合。約30名の参加がありました
松本恵司先生の解説で巡ります

相生駅から少し南に下ると西国街道の道標があります
「是より右さいこくみち、是より左あかほ城下道」

道標から少し西へ。「狐塚古墳跡」


川沿いから

狭い路地へ

赤穂街道を歩きます

「那波荒神社」



「那波村道路元標」





井戸だけど「ひょうたん池」
割れないように神輿の台車の車輪が浸けてあります(下見時に町探検の小学生からご教示)

母親の目が治ったという「神崎与五郎の孝行井戸」

説明板(クリックすると大きくなります)

「豆煎荒神」

「得乗寺」 住職さんに案内いただきました

お庭には、和泉式部が雨宿りをしたという「しだれ栗」。これはすごい!

近年最高の花の付きだとか。樹木医さんにより復活して良かったよ

栗は小ぶりですね


得乗寺の先にある「那波八幡神社」の絵馬



まだまだつづく・・・
こ
2017年06月19日
◆今月の三濃山
18日、二か月ぶりに三濃山に上りました。

頂上のアカガシ。大丈夫、元気です

この日は、あまり瀬戸内海が見えませんね
本当に梅雨かと思うほどカラッといい天気が続いています
そのせいか、今回は一度もヤマヒルと遭遇しませんでした

しかし、上ってみると求福教寺の境内がえらいことに・・・

アリの巣だらけです(気持ち悪い)。巣の近くを羽アリがうるさいくらい飛んでいます


休憩所から上の経納山は草でいっぱい

近年、この種の草が山を覆っています。外来種でしょうか?


草刈り機で刈りました(草刈り機初体験)

草刈りは、来月も続く。。。

こ

頂上のアカガシ。大丈夫、元気です

この日は、あまり瀬戸内海が見えませんね
本当に梅雨かと思うほどカラッといい天気が続いています
そのせいか、今回は一度もヤマヒルと遭遇しませんでした

しかし、上ってみると求福教寺の境内がえらいことに・・・

アリの巣だらけです(気持ち悪い)。巣の近くを羽アリがうるさいくらい飛んでいます


休憩所から上の経納山は草でいっぱい

近年、この種の草が山を覆っています。外来種でしょうか?


草刈り機で刈りました(草刈り機初体験)

草刈りは、来月も続く。。。

こ
2017年06月15日
◆「お買い物同行サービス」今度は毎日新聞に掲載
昨年10月より矢野町で立ち上がった住民による「お買い物同行サービス」。4月に神戸新聞で取り上げられ(リンク)、今度は毎日新聞が6/1に取材に来られ、昨日(6月14日)の朝刊に掲載されました。どうぞご覧ください。

毎日新聞の記事(2017年6月14日)
(画像をクリックすると大きくなります)
この記事には、お買い物同行サービスが「矢野町の地域交通」の実現に向けた検討から始まっていることに触れられています。その辺の経緯は、当時、相生市のコミュニティアドバイザーであった私が作成した報告書に詳しいので、よければご参考ください。
現在、矢野町で行われているコミュニティ福祉事業-「いきいき百歳体操を中心としたサロン」と「お買い物同行サービス」は、矢野町の地域交通実現の流れの中から、まずは自分たちができるところからと始まりました。
こ

毎日新聞の記事(2017年6月14日)
(画像をクリックすると大きくなります)
この記事には、お買い物同行サービスが「矢野町の地域交通」の実現に向けた検討から始まっていることに触れられています。その辺の経緯は、当時、相生市のコミュニティアドバイザーであった私が作成した報告書に詳しいので、よければご参考ください。
現在、矢野町で行われているコミュニティ福祉事業-「いきいき百歳体操を中心としたサロン」と「お買い物同行サービス」は、矢野町の地域交通実現の流れの中から、まずは自分たちができるところからと始まりました。
こ
2017年06月12日
◆『鵤庄引付』と新たな<契約>発見
先月末、荘園つながりで太子町の鵤荘を歩いたこと報告しました。
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。

『鵤庄引付』冒頭部分
『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。
今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。

さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。
「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました(①、②、③)。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。
歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。
「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」
「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。
しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。
法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で
「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」
ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。
ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。
こ
今回は、太子町は斑鳩寺に遺る古文書『鵤庄引付』(いかるがのしょうひきつけ)の紹介をしたいと思います。

『鵤庄引付』冒頭部分
『鵤庄引付』は、応永五年(1398)から天文14年(1545)までの約150年間の荘園内で起こった様々な出来事とその時の対応の様子を、政所が書き留めた事務記録です。矢野荘が記載されている世界記憶遺産の『東寺百合文書』には及びませんが、平成24年に国指定重要文化財に指定されています。
今回、太子町歴史資料館によりその現代語訳がなされ、冊子が発行されました。『鵤庄引付-室町・戦国時代の日々-(初稿)』です。興味ある方は資料館で販売しています(600円)。

さて、早速見てみると冒頭の方に「契約」という文字が目に飛び込んできました。原文を見てみると見出しに「契諾」とも書かれ、「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」、終わりの方に「仍為後代明証、令契約之状 如件、」とあります。
「契約」という言葉は、これまで勉強会や矢野歴史講座で取り上げてきました。もともとは、「売買契約」など現代で使われるような二者間の法的な意味合いではなく、「一揆契約」など共同体や集団のメンバー同士による固い約束を意味したということをお伝えしました(①、②、③)。そして、それは民主主義や合意形成を考える上で、つまり地域(集団)の自律にとって大切なキーワードであると。
歴史家で評論家の故・山本七平もこの「契約」という言葉について、次のように語っています(山本七平『宗教からの提言』2016)。
「コントラクト(contract)という英語の翻訳語ではなく、契約という言葉は、足利時代に盛んに出てくる」
「日本人の場合は、人と人との話し合いが絶対であって、最後に誰かに証人になってもらう、その証人に神を引っ張りだすということは昔からあるわけで、それは先に集団契約があって、その保証に神が出てくる」
「契約」は仲間同士が自分たちで決めた約束(「掟」)であって、その保証人に神がなるということでした。その実際の行為が起請文であったり一味神水であったわけです。(なお、山本七平は、『聖書』ではそれぞれ個人が別々に神と直接契約を結ぶ上下契約であることを指摘しています)。
しかし、今回、『鵤庄引付』に記載される「契約」から私自身新たな発見がありました。『引付』の中に、上の「契諾 幡州鵤庄政所舎宅并敷地事」と題される同じ内容の契約状が二つ記載されています。その内容は難しくて私自身よく分からないのですが、どうも領主である法隆寺と現地鵤荘の政所との間で交わした契約のようなのです。
法隆寺が、ある本供養を執行するのに、鵤荘はそのための費用(年貢や課役)を負担し、もし万が一それを怠れば、法隆寺が鵤荘に無期限で貸している政所の建物と土地を没収するというものです。そして、二つの契約状というのが、内容は同じなのですが、法隆寺と鵤荘それぞれの立場から書かれているのです。法隆寺側が書いたとみられる契約状は、現代語訳で
「ここに賦課される年貢などの諸役や臨時の課役等は、すべて預所が命ずる。定められた諸役等を怠けることがない限り、永代、預けるものである。もし、未進・不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等を取り返す。その時、一切言い訳等は聞かない。後代の証拠のため、契約状、件の如し」
一方、鵤荘側が作成したとみられる契約状では、
「ここにかかる年貢などの諸役や臨時の課役等はすべて預所が命じ、その負担をする。(中略)決して不法や懈怠(けたい)があってはならず、請け負った年貢等の未進や懈怠がなければ、永代預けられる。もし、未進や不法があった時は、速やかにこの政所屋敷等は取り返され、その時は決して一言の異議も言いません。すなわち、後代の亀鏡(きけい)のため、契約状、件の如し」
ちなみに、「未進」は年貢などの税を進上しないこと、納めないこと。「亀鏡」はよりどころとなる規範、証拠です。法隆寺側は、「永代預ける」「政所屋敷等を取り返す」「一切言い訳を聞かない」。鵤荘側は、「永代預けられる」「政所屋敷等は取り返される」「一言の異議も言いません」。なんか面白いですね。
ここから分かることが二つあります。この「契約(契諾)」は集団契約ではなく、二者間の契約であること。そして、その契約状が二者それぞれの立場から作成されていること。驚きでした。これまで知っている契約は、一揆契約などメンバー同士の契約(約束)であり、メンバー全員による連判がなされているもので、この頃の「契約」は集団契約だけだと勝手に思っていました。果たして、これは一般的なことなのか、鵤荘の特殊な事例なのか。今度専門家に聞いていみよう。
こ
2017年06月07日
◆相生探訪ウォーキング「那波」参加者募集中
これまで有志グループ「相生ふるさと散歩」が矢野地域(クリック①、②、③)と相生(おお)地域(クリック)で相生探訪ウォーキングを開催してきました。
今回は、NPO法人相生いきいきネットの主催で商業の港町 那波地域 を歩きます。
またまたどんな発見があるか楽しみですね。まだ申込みに空きがあります。みなさんのご参加をお待ちしています。


チラシ
(画像をクリックすると大きくなります)
こ
今回は、NPO法人相生いきいきネットの主催で商業の港町 那波地域 を歩きます。
またまたどんな発見があるか楽しみですね。まだ申込みに空きがあります。みなさんのご参加をお待ちしています。


チラシ
(画像をクリックすると大きくなります)
こ
2017年05月31日
◆太子町「鵤荘」を歩く-聖徳太子の投げ石
「お太子さんの荘園・鵤荘の現地を歩く」、つづきです。
それでは、ここからは檀特山を下って、聖徳太子の投げ石(鵤荘の牓尓石)を巡ります。
今回は4か所の投げ石を巡りました。

下山は登りと反対側、北側から下りていきます

一つ目は、「東出(とうで)の投げ石」(県指定文化財)。太田小学校体育館のすぐ横にあります

説明板
(画像をクリックすると大きくなります)
北へ、太子東中学校のある小山を抜けていきます

二つ目は、「松ヶ下の投げ石」。工場の脇に草に埋もれていました

説明板
(画像をクリックすると大きくなります)

途中、さくらんぼがいっぱいなっていました
さらに北へ

田んぼの中に東西に延びた幅広の部分。これは何でしょう?「筑紫大道」
12世紀に起こった元寇に対処し兵を九州に送るために築いた道だそう
はるか筑紫の地とここを通った人たちに思いを馳せる
ここを通って西へ

三個目が「桜が坪の投げ石」。私有地にあります。この石だけ事情が異なります

田んぼの中にある、このわりあい大きなこんもりとした森は?

村の神社がありました。それにしては大きな森の中にありますね
そして、太歳神社からすぐの道路の真ん中に


今回最後の投げ石「平方の投げ石」(県指定文化財)があります。牓示石といえばこれ
写真を見れば分かるように、もともと田んぼの畦にあったものでまわりの石と明らかに違います。何らかの意図があってここに置かれたようです。
それにしても、なんで道路建設で車線をここだけ分かつようになってしまったのか。県と町でいろいろあったようです。ここではやめときましょ
。
実際に檀特山に登って太子町を見渡し、ここから聖徳太子が投げたといわれる投げ石を巡るウォーキングは、けっこう楽しかったです。でも、今回の参加者は学芸員さん含めて4名でした(さみし~)。太子町内だけではなく、観光という観点から町外へもっと発信・宣伝すればいいのにと思いました(もったいない)。また、このあたりは矢野荘を始めいっぱい荘園があるので、荘園のある地域同士が連携すれば地域の活性化につながる何か楽しいことができそうな気がしました。
こ
それでは、ここからは檀特山を下って、聖徳太子の投げ石(鵤荘の牓尓石)を巡ります。
今回は4か所の投げ石を巡りました。

下山は登りと反対側、北側から下りていきます

一つ目は、「東出(とうで)の投げ石」(県指定文化財)。太田小学校体育館のすぐ横にあります

説明板
(画像をクリックすると大きくなります)
北へ、太子東中学校のある小山を抜けていきます

二つ目は、「松ヶ下の投げ石」。工場の脇に草に埋もれていました

説明板
(画像をクリックすると大きくなります)

途中、さくらんぼがいっぱいなっていました
さらに北へ

田んぼの中に東西に延びた幅広の部分。これは何でしょう?「筑紫大道」
12世紀に起こった元寇に対処し兵を九州に送るために築いた道だそう
はるか筑紫の地とここを通った人たちに思いを馳せる
ここを通って西へ

三個目が「桜が坪の投げ石」。私有地にあります。この石だけ事情が異なります
他の投げ石は、古来より地の人たちに「太子の投げ石」として伝えられてきたものです。でも、牓示石が記され14世紀に描かれた播磨国鵤荘絵図の位置とは一致しません。そこで、絵図と一致するところに石がないか調べて見つかったのがこの石です。これは牓示石として一番可能性が高い大事な石ということで、私有地だけれども溝を造る際この部分だけU字溝を止めてもらったそうです。

田んぼの中にある、このわりあい大きなこんもりとした森は?

村の神社がありました。それにしては大きな森の中にありますね
「太歳神社」。よく聞く「オオトシ神社」ではなく、大の中に点があって「タサイ神社」と呼ぶそう。今は村の鎮守様ですが、もともとは鵤荘の政所と直接かかわりのあった神社だそうです
そして、太歳神社からすぐの道路の真ん中に


今回最後の投げ石「平方の投げ石」(県指定文化財)があります。牓示石といえばこれ
写真を見れば分かるように、もともと田んぼの畦にあったものでまわりの石と明らかに違います。何らかの意図があってここに置かれたようです。
それにしても、なんで道路建設で車線をここだけ分かつようになってしまったのか。県と町でいろいろあったようです。ここではやめときましょ

実際に檀特山に登って太子町を見渡し、ここから聖徳太子が投げたといわれる投げ石を巡るウォーキングは、けっこう楽しかったです。でも、今回の参加者は学芸員さん含めて4名でした(さみし~)。太子町内だけではなく、観光という観点から町外へもっと発信・宣伝すればいいのにと思いました(もったいない)。また、このあたりは矢野荘を始めいっぱい荘園があるので、荘園のある地域同士が連携すれば地域の活性化につながる何か楽しいことができそうな気がしました。
こ
2017年05月30日
◆太子町「鵤荘」を歩く-檀特山
相生市には一昨年、世界記憶遺産に登録された「東寺百合文書」に記載される有名な荘園「矢野荘」がありますが、太子町にも聖徳太子ゆかりの荘園「鵤荘(いかるがのしょう)」があります。
鵤荘は、聖徳太子35歳のとき推古天皇の前で勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経の解説をしたところ天皇に大変喜ばれ、播磨のこの地(太子町)に土地を賜り、それを法隆寺に寄進しました。その土地が後世、法隆寺領鵤荘となりました。
鵤荘には、聖徳太子が現太子町のほぼ中央に位置し姫路市と分ける檀特山(だんとくさん)のてっぺんから石を投げて土地の境界を決めたという「聖徳太子の投げ石」(鵤荘の牓示石)が7か所残っています(一つは姫路市にある)。そのうちの4つが県の指定文化財に指定されています。
今回(5/14)、太子町の歴史資料館主催で、檀特山に登って太子町を一望し実際に太子の投げ石を巡る見学会「お太子さんの荘園・鵤荘の現地を歩く」(約12km)があったので参加しました。荘園つながりということで報告させてください。

JR網干駅から出発です

網干駅には、かつて新宮から網干港まで走っていた播電鉄道の引き込み線の跡が残っています
(中央部が引き込み線跡。左側の石段がホームだったところ)

神功皇后が立ち寄った時に船をつないだという船つなぎの岩

今回は朝日山にも立ち寄りました。小学生以来です

「そうそう、この門」。記憶が蘇ってきました

瀬戸内海が見渡せます

朝日山大日寺

巨大な大日如来が横たわっています


いよいよここから檀特山に登ります

最近、体力落ちてるからなぁ

古墳の跡。檀特山にはいっぱい古墳があります


頂上が見えてきました。最後がきつかった

頂上の巨岩。太子が黒駒に乗って登り修行したので、太子行道(こうどう)の岡ともいう

巨岩にはぼこぼこした穴が。聖徳太子の黒駒の蹄跡だそう
応仁天皇が望覧時の杖や沓(くつ)の跡ともいわれています

この岡から太子町が360°見渡せます。南側は姫路市~瀬戸内海

東側は太田地区と姫路市勝原区

西側(斑鳩地区~石海地区) 応神天皇がここに立ち国見したという立岡山が見えます

北側(太田地区~龍田地区) 真正面の小山に太子東中学校
つづく・・・
こ
鵤荘は、聖徳太子35歳のとき推古天皇の前で勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経の解説をしたところ天皇に大変喜ばれ、播磨のこの地(太子町)に土地を賜り、それを法隆寺に寄進しました。その土地が後世、法隆寺領鵤荘となりました。
鵤荘には、聖徳太子が現太子町のほぼ中央に位置し姫路市と分ける檀特山(だんとくさん)のてっぺんから石を投げて土地の境界を決めたという「聖徳太子の投げ石」(鵤荘の牓示石)が7か所残っています(一つは姫路市にある)。そのうちの4つが県の指定文化財に指定されています。
今回(5/14)、太子町の歴史資料館主催で、檀特山に登って太子町を一望し実際に太子の投げ石を巡る見学会「お太子さんの荘園・鵤荘の現地を歩く」(約12km)があったので参加しました。荘園つながりということで報告させてください。

JR網干駅から出発です

網干駅には、かつて新宮から網干港まで走っていた播電鉄道の引き込み線の跡が残っています
(中央部が引き込み線跡。左側の石段がホームだったところ)

神功皇后が立ち寄った時に船をつないだという船つなぎの岩

今回は朝日山にも立ち寄りました。小学生以来です

「そうそう、この門」。記憶が蘇ってきました

瀬戸内海が見渡せます

朝日山大日寺

巨大な大日如来が横たわっています


いよいよここから檀特山に登ります

最近、体力落ちてるからなぁ

古墳の跡。檀特山にはいっぱい古墳があります


頂上が見えてきました。最後がきつかった

頂上の巨岩。太子が黒駒に乗って登り修行したので、太子行道(こうどう)の岡ともいう

巨岩にはぼこぼこした穴が。聖徳太子の黒駒の蹄跡だそう
応仁天皇が望覧時の杖や沓(くつ)の跡ともいわれています

この岡から太子町が360°見渡せます。南側は姫路市~瀬戸内海

東側は太田地区と姫路市勝原区

西側(斑鳩地区~石海地区) 応神天皇がここに立ち国見したという立岡山が見えます

北側(太田地区~龍田地区) 真正面の小山に太子東中学校
つづく・・・
こ
2017年04月27日
◆「おてらdeらいぶ」-メディア掲載情報
23日に晴天の中、盛大に開催された矢野町音楽祭「おてらdeらいぶ2017」ですが、25日の神戸新聞に掲載されました。どうぞご覧ください。

神戸新聞の記事(4月25日)
(画像をクリックすると大きくなります)
また、4月29日(土)のサンテレビ「西はりまサタデー9」(AM9:00~9:30)でも放送されます。お時間のある方はどうぞご覧ください。
こ
神戸新聞の記事(4月25日)
(画像をクリックすると大きくなります)
また、4月29日(土)のサンテレビ「西はりまサタデー9」(AM9:00~9:30)でも放送されます。お時間のある方はどうぞご覧ください。
こ
タグ :おてらdeらいぶ
2017年04月25日
◆「おてらdeらいぶ」と新緑を歩く
23日、絶好のイベント日和のなか、矢野町音楽祭「おてらdeらいぶ2017」が開催されました。運営を離れて、今回初めて観客としてお寺を歩いて回り、道中の新緑を楽しみました。

法林寺(榊) 「あろーふぃーるど♪」
矢野町のメンバーで結成された同世代のバンド
1曲目の「SOMEDAY」が始まると胸にジーンとくるものがありました




西教寺(榊) 「劇団ユニット企画《UNI》」
朗読だけどドラマティックに。言葉の力に惹きっ込まれました




教順寺(菅谷) 「ゴスペルクワイア四季彩」
迫力のあるゴスペルの歌声とリズムが境内に響き渡りました

矢野川沿いを歩いて明専寺へ







下田公民館の牡丹桜が満開でした

明専寺(下田) 「愛音デュオ ハセキカク」
ご夫婦の息の合った掛け合いは楽しく、地域愛あふれる歌声を堪能

明専寺(下田) 「アンサンブルN」
クラッシックの変遷が学べ、心地よい旋律にうっとり
最後は、中央会場の矢野小学校でフィナーレ

双葉中学校

那波中学校

最後に全員で「花は咲く」と「ふるさと」を合唱




楽しかったね!
こ

法林寺(榊) 「あろーふぃーるど♪」
矢野町のメンバーで結成された同世代のバンド
1曲目の「SOMEDAY」が始まると胸にジーンとくるものがありました




西教寺(榊) 「劇団ユニット企画《UNI》」
朗読だけどドラマティックに。言葉の力に惹きっ込まれました




教順寺(菅谷) 「ゴスペルクワイア四季彩」
迫力のあるゴスペルの歌声とリズムが境内に響き渡りました

矢野川沿いを歩いて明専寺へ







下田公民館の牡丹桜が満開でした

明専寺(下田) 「愛音デュオ ハセキカク」
ご夫婦の息の合った掛け合いは楽しく、地域愛あふれる歌声を堪能

明専寺(下田) 「アンサンブルN」
クラッシックの変遷が学べ、心地よい旋律にうっとり
最後は、中央会場の矢野小学校でフィナーレ

双葉中学校

那波中学校

最後に全員で「花は咲く」と「ふるさと」を合唱




楽しかったね!
こ
2017年04月24日
◆「お買物同行サービス」が神戸新聞に
昨年10月より住民の運転ボランティアで始まった矢野町の「お買物同行サービス」ですが、先週の実施日(20日木曜日)に神戸新聞の記者さんが取材に来られ、21日の朝刊で紹介されました。ご覧ください。

(画像をクリックすると大きくなります)
記事では、主に実施面を紹介してくださっています。
コミュニティ支援員(コーディネーター)の私は、同行者として毎回一緒に乗車させてもらっています。本サービスは高齢者の買い物支援が第一の目的です。
でも、「久しぶりやな。どないしとったん?」、「元気やった?」・・・
車内や店舗での待ち時間に弾むそんなおしゃべりやその時のみなさんの笑顔を見ていると、高齢者の孤立化の防止にもつながり、1時間半というわずかな時間ですがコミュニティの場(居場所)にもなっているではないかと思います。なんかそんな副次効果もけっこう重要なことだと思います。
3月よりコープさんが自身の店舗まで送り迎えをする同様なサービスを始められました。そちらを利用されている方からは「コープ(のサービス)を利用しているし、二つもは悪いから」と遠慮される方もおられますが、こちらは全然そんなことないです。私たちは行きたいとこに行けなくて寂しい思いをされる方が悲しいですから。利用者にとっては選択肢が増えるのはいいことなので、気軽にご利用ください。
こ

(画像をクリックすると大きくなります)
記事では、主に実施面を紹介してくださっています。
コミュニティ支援員(コーディネーター)の私は、同行者として毎回一緒に乗車させてもらっています。本サービスは高齢者の買い物支援が第一の目的です。
でも、「久しぶりやな。どないしとったん?」、「元気やった?」・・・
車内や店舗での待ち時間に弾むそんなおしゃべりやその時のみなさんの笑顔を見ていると、高齢者の孤立化の防止にもつながり、1時間半というわずかな時間ですがコミュニティの場(居場所)にもなっているではないかと思います。なんかそんな副次効果もけっこう重要なことだと思います。
3月よりコープさんが自身の店舗まで送り迎えをする同様なサービスを始められました。そちらを利用されている方からは「コープ(のサービス)を利用しているし、二つもは悪いから」と遠慮される方もおられますが、こちらは全然そんなことないです。私たちは行きたいとこに行けなくて寂しい思いをされる方が悲しいですから。利用者にとっては選択肢が増えるのはいいことなので、気軽にご利用ください。
こ
タグ :お買物同行サービス
2017年04月21日
◆23日は新緑の「おてらdeらいぶ」、矢野町へ
今週末4月23日(日)、5回目となる「おてらdeらいぶ」が新緑真っ只中の矢野町で開催されます。「おてらdeらいぶ」は、町内にある5か寺を会場(+中央会場の矢野小学校)に、同日行う音楽ライブです。
今年は1か寺がご住職の体調により不参加で4か寺で開催。午前2か寺、午後2か寺と多くのライブを回りやすくなっています。
23日は、音楽と新緑にどっぷりと浸りに矢野町へ。お待ちしています。


プログラム
(画像をクリックすると大きくなります)

新緑の教順寺(菅谷)
こ
今年は1か寺がご住職の体調により不参加で4か寺で開催。午前2か寺、午後2か寺と多くのライブを回りやすくなっています。
23日は、音楽と新緑にどっぷりと浸りに矢野町へ。お待ちしています。


プログラム
(画像をクリックすると大きくなります)
新緑の教順寺(菅谷)
こ
タグ :おてらdeらいぶ
2017年04月20日
◆今月の三濃山
18日、三濃山に上がりました。実は前日の夜、すごい雨でどうなるかと思いましたが、よく晴れてよかったです。
ところで、まだ4月と安心してたのに、何と、もうヤマヒルがいました。
貯水池から歩き始めて数十メートルでズボンの裾にヤマヒルが付いていました(やめてよー
)。
出るのが早くなっているような気がします。みなさん、気をつけてくださいね。これから10月まで忌避剤をふるなど対策をして登ってください。

下では桜が終わったばかり。山は新緑です

緑の中につつじの紫がきれいです

足元にはスミレが咲いていました

今日は瀬戸内海がよく見えます


アカガシは元気です


ただ今のアカガシは、支えられた枯れ木をつたった細い幹の上方から枝葉が出ているので、
これがどんどん大きくなっていったら自分自身を支えられるか心配です

休憩所のヤマザクラ、ほとんど散りながらもまだなんとか見れました


遠くから眺めると、屋根に被っているようです


集落跡地の桜を見ながら求福教寺観音堂へ

観音堂の前に大きなヤマザクラがあります
ここもほとんど散りながらまだ2割ほど残っていました


毎年4月18日に登ってきますがタイミングが悪く、
この6年間、このヤマザクラがきっちり咲いているところを見たことがありません

まだ今年は開花が遅く、よく見れた方ですね

実は一週間前に咲いているのを期待して来ました。いっこうに咲く気配すらなかったのに

本当にパッと咲いてパッと散ったような感じです
また昨夜の雨でも大分散ってしまったのでしょう。残念です
来年を絶対満開のところを見ますよ

帰りにテクノ線から見た、ちょうど犬塚の上あたりのヤマザクラがきれいでした
こ
ところで、まだ4月と安心してたのに、何と、もうヤマヒルがいました。
貯水池から歩き始めて数十メートルでズボンの裾にヤマヒルが付いていました(やめてよー

出るのが早くなっているような気がします。みなさん、気をつけてくださいね。これから10月まで忌避剤をふるなど対策をして登ってください。

下では桜が終わったばかり。山は新緑です

緑の中につつじの紫がきれいです

足元にはスミレが咲いていました

今日は瀬戸内海がよく見えます


アカガシは元気です


ただ今のアカガシは、支えられた枯れ木をつたった細い幹の上方から枝葉が出ているので、
これがどんどん大きくなっていったら自分自身を支えられるか心配です

休憩所のヤマザクラ、ほとんど散りながらもまだなんとか見れました


遠くから眺めると、屋根に被っているようです


集落跡地の桜を見ながら求福教寺観音堂へ

観音堂の前に大きなヤマザクラがあります
ここもほとんど散りながらまだ2割ほど残っていました


毎年4月18日に登ってきますがタイミングが悪く、
この6年間、このヤマザクラがきっちり咲いているところを見たことがありません

まだ今年は開花が遅く、よく見れた方ですね

実は一週間前に咲いているのを期待して来ました。いっこうに咲く気配すらなかったのに

本当にパッと咲いてパッと散ったような感じです
また昨夜の雨でも大分散ってしまったのでしょう。残念です
来年を絶対満開のところを見ますよ


帰りにテクノ線から見た、ちょうど犬塚の上あたりのヤマザクラがきれいでした
2017年04月19日
◆桜のある風景5-二木公園
「桜のある風景」の最後は、菅谷の矢野川沿いにある二木公園です。よくゲートボールをされています。
毎年、行き帰りに車道から眺めて何かを感じる景色でした。6日は体操の後にここでお花見の予定でしたが、まだ全然咲いてなくて残念でした。(4月12日撮影)
こ
毎年、行き帰りに車道から眺めて何かを感じる景色でした。6日は体操の後にここでお花見の予定でしたが、まだ全然咲いてなくて残念でした。(4月12日撮影)
二木公園




帰りの夕暮れに、ワンショット




帰りの夕暮れに、ワンショット
こ
2017年04月18日
◆桜のある風景4-中野、二木
桜のある風景第4弾。中野の薬師堂と二木の京明地蔵、そしてニツ木川のほとりです。
(4月12日撮影)
6年前にここでおばあさんが花見をしている写真を撮りました。それをFBのマイページに使っています。私がコミュニティ推進員として矢野町に関わる出発点ともいえる写真で、ここは想い出の場所です。
こ
(4月12日撮影)
中野 薬師堂

二木 京明地蔵

二ツ木川


二木 京明地蔵

二ツ木川

6年前にここでおばあさんが花見をしている写真を撮りました。それをFBのマイページに使っています。私がコミュニティ推進員として矢野町に関わる出発点ともいえる写真で、ここは想い出の場所です。
こ
タグ :桜